牛久保城(三河国・愛知県豊川市) | おしろまなぶ の お城を学ぼう

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訪問したお城について書いていきます。

今回は、現在の愛知県豊川市にあった城、牛久保城です。

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牛久保城跡は、牛久保駅周辺に広がっていて、駅周辺をグルッと散策する感じになります。

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牛久保駅。
JR東海の飯田線が乗り入れています。

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牛久保駅付近にある名もなき公園。
ここはかつての本丸跡の近くにあるそうです。
奥の盛り土が土塁跡なのかと思いましたが、そうでもないようです。

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祠があります。

牛久保城は、1529年(享禄2年)に牧野成勝が築城したとされています。

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牛久保城趾の碑。
後ろのマタニティークリニックが気になって仕方ありません(笑)
牛久保城については↓↓
http://www.toyokawa-map.net/kanko/ushikubo_joshi.php

1590年(天正18年)、徳川家康の関東移封に伴って牧野康成が上野国大胡に移ると、牛久保城は池田輝政が入った吉田城の支城となり、輝政の家臣・荒尾成久が城主となります。

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大聖寺の門。
こちらのお寺は、牛久保城の前身ともいえる一色城があった場所にあります。
一色城は1439年(永享11年)に一色時家によって築かれたとされています。
時家は1477年(文明9年)に家臣の波多野全慶により討たれ、全慶が城主となります。
1493年(明応2年)に波多野全慶も時家の家臣だった牧野古白によって討たれ、1505年(永正2年)に古白が吉田城を築いて居城を移すと、牧野成勝が入ります。
成勝が1529年(享禄2年)に牛久保城を築いたことにより廃城となりました。

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大聖寺の本堂。
う~ん、城跡に建つお寺の割に、民家の一角をお寺風にしたような本堂です。
小規模なお寺なので、あまりお金を掛けられない事情があるのかもしれませんね。

1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦い後は天領となり、牛久保城は代官所として用いられていましたが、1700年(元禄13年)に廃城となりました。

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今川義元の墓。
1560年(永禄3年)の桶狭間の戦いで討たれ、首をとられた今川義元の胴体を、家臣がこの寺に葬ったのがこの墓(胴塚)です。
大聖寺は小さなお寺ですが、とても歴史のあるお寺なのですね。
詳しくは↓↓
http://www.toyokawa-map.net/kanko/yoshimoto_haka.php

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一色刑部の墓。
一色城を築いた一色刑部時家の墓もあります。
家臣によって討たれて城を乗っ取られた割に、ちゃんと墓があるのが不思議な感じです。

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長谷寺(ちょうこくじ)。
元は真言宗だったそうですが、現在は浄土宗の寺院です。

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長谷寺本堂。
大聖寺よりはるかに立派・・・。
ここには牧野家守本尊の観世音菩薩像や、山本勘助守本尊の摩利支天像(豊川市指定文化財)が安置されています。

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山本勘助の墓。
山本勘助晴幸は15歳の時に牧野氏の家臣・大林貞次の養子となり、大林貞幸と名乗っていました。
その後、貞次に実子が生まれたことから親子の縁を切り、武田信玄に仕えることとなりました。
信玄の軍師として知謀を尽くしますが、1561年(永禄4年)の川中島の戦いで討死、勘助と親交のあった長谷寺の住職が遺髪を埋めてこの五輪塔を建立したといわれています。
詳しくは↓↓
http://www.toyokawa-map.net/kanko/kansuke_haka.php

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熊野神社。
大聖寺や長谷寺とは線路を挟んだ向かい側にあります。

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牛久保のナギ。
熊野神社の裏手にある樹齢400年以上と推定されるナギの木です。
国指定の天然記念物となっています。
これを見に行ったら電車を1本逃してしまったのが残念でなりません(笑)

牛久保城の遺構らしき遺構はありませんでしたが、その他の見どころが結構あったので、楽しめました。
では、この辺で。


御城学。