渋谷城(武蔵国・東京都渋谷区) | おしろまなぶ の お城を学ぼう

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訪問したお城について書いていきます。

今回は、現在の東京都渋谷区にあった城、渋谷城です。

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渋谷城跡は現在、金王八幡宮となっていて、渋谷駅東口・新南口より徒歩5分のところにあります。
金王八幡宮のHPは↓↓
http://www.geocities.jp/ynycr674/

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渋谷駅出口16b。
JR東日本の山手線、埼京線(川越線、りんかい線への直通含む)、湘南新宿ライン(高崎線、宇都宮線、東海道線、横須賀線へ直通)と東急電鉄の東横線、田園都市線、東京メトロの銀座線、半蔵門線、副都心線、京王電鉄の井の頭線が乗り入れるターミナル駅です。
東横線と副都心線、田園都市線と半蔵門線は相互に直通運転しています。
すっごい仮設の出口をのっけてますが、急に雨が降ってきましたのでやむなくです。

渋谷は若者の街として知られ、渋谷駅を中心にデパートや飲食店などが立ち並ぶ繁華街ですね。
そんな渋谷で、他には目もくれず渋谷城跡へ行ってきました。

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金王八幡宮の鳥居。
こちらは裏口ですね。
金王八幡宮は、1092年(寛治6年)に渋谷氏の祖・河崎基家によって建立され、基家の子・重家がこの地に館を築いて居城(渋谷城)として以来、渋谷氏の氏神として崇拝されていました。
重家には嫡子ができず、八幡宮で祈願したところ、金剛夜叉明王が妻の胎内に宿る夢を見た後、嫡子に恵まれたため、金王丸と名付けたとされています。

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鳥居をくぐってすぐのところに、公園があります。
小さな児童公園といった感じです。

1051年(永承6年)の後三年の役で、源義家に仕えて功績をあげた河崎基家が与えられた地に、子の重家が居館を築いたのが渋谷城の始まりです。
河崎重家は堀河天皇から「渋谷」の姓を賜り、この地を支配します。

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社殿。
1612年(慶長17年)に春日局が造営したものです。
徳川家光の乳母であった春日局と教育係だった青山忠俊は、3代将軍を家光の弟・忠長が継ぐといわれていたのを心配し、金王八幡宮を参拝・祈願していたといいます。
家光が将軍になると、その加護に感謝して社殿を造営したとされています。
現在は渋谷区指定の重要文化財となっています。

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渋谷城 砦の石。
社殿の横に1つだけポツンと取り残された感じのこの石、渋谷城の石垣だった石といわれています。
それにしてもよく残っていたものだと思いますね。どこか適当に動かされても分からないような気がしますが・・・。

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神楽殿。
ここでは様々な儀式が執り行なわれます。

扇谷上杉氏についていた渋谷氏は、1524年(大永4年)の後北条氏と高輪原の戦いの際に渋谷城を焼き払われ、渋谷氏は滅亡してしまいます。

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金王丸御影堂。
この御影堂には、渋谷金王丸常光が17歳で出陣する際に自らの姿を彫刻し、母に形見として残したといわれる木像が納められています。
渋谷金王丸常光は、1156年(保元元年)の保元の乱で源義朝に仕えて功績をあげますが、続く1160年(平治元年)の平治の乱で源義朝が討たれると出家し、土佐坊昌俊と名乗ります。
1185年(文治元年)に源頼朝の命で義経を討つべく出陣しますが、義経の郎党に討たれます。
金王丸の名声から、金王八幡宮と呼ばれるようになったとされています。

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神門。
1769年(明和6年)と1801年(享和元年)に造営されたという2つの説があります。
渋谷区指定の重要文化財です。

短めですが、この辺で。

では。


御城学。