本庄城(武蔵国・埼玉県本庄市) | おしろまなぶ の お城を学ぼう

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訪問したお城について書いていきます。

今回は、現在の埼玉県本庄市にあった城、本庄城です。

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本庄城跡は、現在は本庄市役所や城山稲荷神社、城下公園となっていて、本庄駅北口から徒歩10~15分程度で行くことができます。

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本庄駅北口。
JR東日本の高崎線(湘南新宿ライン経由および上野東京ライン経由東海道線直通、両毛線直通含む)が乗り入れています。
中山道最大の宿場町・本庄宿として栄えた本庄市の中心駅ですが、昔ながらの駅といった感じの雰囲気があります。
本庄市は2006年(平成18年)に児玉郡児玉町と新設合併して新たに本庄市となっています。

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本庄市役所。
市役所のあるところも本庄城の城域だったはずですが、遺構かどうか微妙な地形が結構あります。

本庄城は1556年(弘治2年)に、武蔵七党の1つである児玉党の本庄実忠によって築かれたとされています。

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城山稲荷神社の鳥居。

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本庄城趾の碑。
城山稲荷の鳥居に寄り添う感じで設置されています。

本庄氏は古河公方と対立する山内上杉氏に属しますが、1567年(永禄10年)に後北条氏に攻められて落城・降伏し、後北条氏の配下となります。

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城山稲荷神社。
本庄城主・本庄実忠が椿稲荷明神を城の守護神として勧請し、社を建立したのが始まりとされています。
以後、本庄氏の氏神として厚く信仰されました。
小笠原氏も城山稲荷神社を信仰し、社殿を再興したといわれています。

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城下公園。
城山稲荷神社に隣接しています。

1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原攻めの際、本庄城主となっていた本庄実忠の子・近朝は小田原城に籠城しますが落城、城主を失った本庄城も落城します。

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野球ができるスペースがあります。
スコアボードもあります。

徳川家康の関東入封に伴い、信濃国松尾から小笠原信嶺が城主となりますが、1612年(慶長17年)に信嶺の子・信之が下総国古河に転封となると本庄藩は廃藩となり、本庄城も廃城となりました。

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なぜか巨大なボウリングのピンに城下公園と書かれています(笑)
文字が消えかかっていて、だいぶ年季入ってます。

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シャトーブリッジ。
ネーミングセンスがスゴいです(笑)

その後、本庄城の城下町付近に中山道最大の宿場町・本庄宿が形成されていきます。

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元小山川。
本庄城の水堀的な役割を担っていたと考えられます。

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本庄市立歴史民俗博物館。
1883年(明治16年)に本庄警察署として建設されたものを展示室として用いています。
建物は埼玉県指定文化財となっていて、本庄市の歴史にまつわる展示があります。
雉岡城と本庄城についての解説もあります。

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田村本陣の門。
中山道最大の宿場町・本庄宿にあった2つの本陣のうち、北本陣といわれた田村本陣の門が歴史民俗博物館の前に移築されて残っています。
現在、この門は本庄市指定文化財になっています。

では、この辺で。


御城学。