源経基館(武蔵国・埼玉県鴻巣市) | おしろまなぶ の お城を学ぼう

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さてさて、お盆休み明けの週を終えた方、まだまだ休んでるよという方、いかがお過ごしでしょうか。
私はお盆休みを終えてハードな3日間が終わり、安堵しています。

今回は、現在の埼玉県鴻巣市にあった源経基館をご紹介します。
また城じゃなくて館ですかー、という感じですが、ヘタな城跡より遺構が残っています。

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源経基館跡は現在、伝源経基館跡(伝???)となっていて、鴻巣駅西口から徒歩15分ほどのところにあります。

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鴻巣駅。
JR東日本の高崎線(湘南新宿ライン経由および上野東京ライン経由東海道線直通、両毛線直通含む)が乗り入れています。
東京のベッドタウンの1つとしての性格を持つ、埼玉県鴻巣市の中心駅です。
2005年(平成17年)に北足立郡吹上町、北埼玉郡川里町を編入して人口約12万人となりました。

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埼玉県立鴻巣高校。
伝源経基館跡は鴻巣高校の裏手にあります。
左側に小道がありますので曲がって行きましょう。

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埼玉県指定史跡 伝源経基館跡の標柱。
伝でも指定史跡になれるんです!!

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伝源経基館跡入口。
矢印の方に向かって進んでいきましょう。

源経基館は、938年(天慶元年)に清和源氏の祖・源経基が武蔵介として赴任した際に築いたといわれています。

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空堀。
郭の角にあたる場所ですので、空堀が鋭角に折れ曲がっていますね。
逆光ですみません。
それにしても、立派な空堀です。

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空堀。
左側が郭、右側のフェンスの向こうが鴻巣高校のグラウンドです。
やや浅くなってしまっている感はありますが、なかなか見事な空堀ですね。

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ここに居館が築かれていたのでしょうか。

源経基は同時に赴任した武蔵権守・興世王とともに武蔵国造・武蔵武芝と争い、そこに平将門が介入します。
いったんは和解が成立しますが、武芝の兵が経基の陣営を包囲したため、経基は京へ逃れました。

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まるで櫓台のような一際大きな土塁。

しかし、発掘調査によって源経基が築いた館であるという確たる遺構は発掘されていません。
また、平安時代のものというよりも室町~戦国時代の城の一部である可能性もあり、よく分かっていません。

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六孫王経基城址の碑。
源経基は六孫王と呼ばれていました。
先ほどの櫓台のような土塁の上にあります。

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腰曲輪(?)。
南西側だけ空堀と土塁が築かれていませんで、腰曲輪のような平地が設けられています。

ちゃんとした説明板があるはずなのですが、見つけられませんでした(汗)
謎だらけな感じですが、この辺で終わります。

では、この辺で。


御城学。