長沼城(下総国・千葉県成田市) | おしろまなぶ の お城を学ぼう

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訪問したお城について書いていきます。

何とか間に合いました。
つい先日、行ってきたばかりの城攻めレポになります。
現在の千葉県成田市にあった城、長沼城をご紹介します。

その前に、今日から新年度ですね。
新年度を迎えるに当たり、私、無職になりました!!!
エイプリルフールの嘘ではなく、本当に無職になったんです。数日間限定で(笑)
しかし、正直まだ退職した実感がわきません。普通に仕事の電話掛かってきましたし(苦笑)
無職初日は娘の入園式の送り迎えなどをして過ごしました。

話がそれましたが、ここからは長沼城の紹介に入っていきたいと思います。

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長沼城跡は、現在は長沼市民の森として整備されています。
京成成田駅からコミュニティバスを利用する方法もあるようですが、本数が少ないこともあり、私は車で行きました。
ですので、京成成田駅の画像はありません。

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稲荷神社の鳥居と階段。
市民の森の一角に神社があるのですが、そこの階段がものすっごい急です。
まあ、久々の城攻めにハイテンションとなった私は駆け上がっていきましたが(笑)

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鳥居をくぐる手前の手水舎の反対側にある腰曲輪みたいなスペース。
ちょっと説明が分かりにくくてすみません。
きっと腰曲輪ではないんでしょうけど・・・いや、腰曲輪なのかな??

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稲荷神社。
階段を上りきったところにあります。

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稲荷神社の裏手からさらに登ると、このような虎口っぽい感じのところに出ます。
さあ、いよいよ長沼市民の森(長沼城跡)へ!!!

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主郭跡。
桜が咲いていて、とってもキレイでした。
ごくごく普通の自然公園といった感じの印象です。

長沼城は、室町時代に結城朝光の子孫である長沼朝教が居館を設けたのが始まりとされています。

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長沼城址の標柱。
主郭跡の一角にあるのですが、小さい・・・小さすぎるっ(笑)
もうちょっと立派なやつにしようというのは思いつかなかったのでしょうか?

戦国時代にも長沼氏の居城として用いられていたようですが、以後についてはよく分かっていません。

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長沼下戻百周年記念碑。
江戸時代から長沼村が占有して漁業を営んできた長沼が、周辺の村によって勝手に国有地化されたのを、福沢諭吉に仲介を依頼して無償払い下げを勝ち取ってから100周年を記念して1998年(平成10年)に建てられた碑です。
これについては、後でもう少し詳しく書きます。

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展望台。
こちらも主郭跡の一角にあります。
もちろん登ってみました(笑)
高所恐怖症なのに、ついつい高いところに上がってしまいます・・・。

長沼城付近には長沼という沼があり、江戸時代から長沼村が専有して漁業を営んでいました。

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展望台からの景色。
木が邪魔で見通しが悪いうえに、見えるのは田んぼばかり・・・何だかな~な展望台でした。

1872年(明治5年)、入会地化を望む周辺の村々が明治維新の混乱の乗じて長沼の国有化を申請してしまいます。

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土塁跡(?)。
かなり立派な盛り土がありました。きっとこれが土塁跡だと思われます。
それとも櫓台跡かな?櫓台跡の可能性も高いですね。

困った長沼村は福沢諭吉に事態の収拾を依頼し、1876年(明治9年)に長沼の借地権を、1897年(明治30年)には長沼の無償払い下げを勝ち取り、利権の回復に成功しました(長沼事件)。

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やや低いですが、こちらも土塁跡(?)。
主郭跡をぐるっと囲むような位置にありましたので、きっと土塁跡でしょう。

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井戸跡(?)。
ずいぶん立派に塞いでありますが、おそらく井戸跡です。
小屋みたいなもので塞がれていて、中が全く見えません・・・。
井戸を塞ぐのに、こんなに高さが必要なのか・・・??謎です。

長沼城の話より、長沼事件の話の方が長くなってしまった印象ですが、この辺で終わりたいと思います。

では。


御城学。