大椎城(上総国・千葉県千葉市) | おしろまなぶ の お城を学ぼう

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訪問したお城について書いていきます。

さて、すっかり不定期更新になってしまいましたが、久々の連休(私のシフトの話です)となったため、更新しました。
連休になったとはいえ、雪の予報だったので引きこもってこの間訪問した城のブログを書くしかないということで・・・

風邪も引いてしまいましたしね(汗)

そんな今回は、千葉県千葉市緑区にありました大椎(おおじい)城をご紹介します。
千葉市って旧国名でいうと、基本的には下総国なんですけど、緑区のこの周辺は上総国なんですよね。

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ああ逆光・・・

大椎城跡は、現在あすみが丘第8緑地となっていて、JR土気(とけ)駅南口から徒歩30分くらい、または千葉中央バスで創造の杜バス停で下車し、徒歩7~8分程度で行くことができます。
あすみが丘第8緑地は、ワンハンドレッドヒルズ(通称チバリーヒルズ)の裏手にあります。

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土気駅南口。
JR東日本の外房線(総武快速線・京葉線・東金線直通含む)が乗り入れています。朝夕の通勤時間帯のみ特急が停車し、朝は上り、夕は下りの特急わかしおが停車します。

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写真左の遊歩道っぽく整備された道を進みます。

大椎城は、平安時代中期に平忠常により築かれたのが始まりとされています。

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ずんずん進んでいきましょう。
この辺は歩きやすく整備されています。

平忠常は1028~1032年(長元元~4年)に房総三カ国(下総国、上総国、安房国)で反乱(平忠常の乱)を起こし、朝廷より派遣された源頼信により平定されます。

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土橋跡(?)。
竹林で分かりにくいですが、両側が空堀になっています。

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空堀・・・のはずですが、竹やら木やらで何が何だか分かりません(汗)

その後も平忠常の子孫が千葉氏を名乗って大椎城を居城としていましたが、1126年(大治元年)に千葉常兼・常重父子が亥鼻城を築いて本拠地を移しました。

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虎口跡(?)。
右側に見える立て看板には、「おおじの森」として里山地区に指定された旨が書かれています。

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空堀跡(?)。
全部「(?)」付きですが、案内表示などが冒頭の案内板以外なかったので、よく分からなかったのです・・・(汗)

その後も千葉氏の一族が居城としていましたが、室町時代の15世紀中頃に酒井氏が勢力下におさめます。

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史跡 大椎城跡の碑。
主郭へ入る虎口のところにあります。

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主郭跡。
木しかありません。
もう少し案内板的なものでも設置してもらえるとありがたいと思いました。

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主郭の周りをグルっと回る感じに通路があって、そこを通ってきました。

1590年(天正18年)に豊臣秀吉の小田原攻めにより酒井氏が滅亡し、大椎城は廃城となりました。

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竹藪です。
さらに進んでいったら、最初のところに合流しました。
この辺になるとあまり整備されていませんで、ちょっと歩きにくいです。


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ワンハンドレッドヒルズの入口。
ワンハンドレッドヒルズはバブル期に東急不動産が開発・分譲した高級住宅街ですが、都心からのアクセスも悪く、バブルもとっくに崩壊した現在でも土地分譲中です。
詳しくは↓↓
http://www.one-hundred.com/
オシャレといえばオシャレな家が並んでいますが、何もこんな辺鄙なところにわざわざ・・・という感じが否めない、残念な住宅街です(汗)

あまり案内板などもなくて少々分かりにくい城跡ですが、久々に城攻めしたこともあって大変満足できました。

では、この辺で。


御城学。