大高城(尾張国・愛知県名古屋市) | おしろまなぶ の お城を学ぼう

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訪問したお城について書いていきます。

今回は「大高の兵糧入れ」で有名な、現在の愛知県名古屋市にあった城、大高(おおだか)城をご紹介します。

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大高城跡は現在は大高城址公園となっていて、大高駅から徒歩10~15分で行くことができます。

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大高駅。
JR東海の東海道本線が乗り入れています。
大高駅のある名古屋市緑区は、名古屋市の16の区の中でもっとも人口の多い区で、愛知郡鳴海町、知多郡有松町、知多郡大高町が名古屋市に編入された際に設けられました。

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史跡 大高城跡の碑。
大高城址公園は国の史跡に指定されています。

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この坂を上ると本丸跡に行けます。

室町時代に花井備中守によって築かれたと伝えられていますが、築城年代ははっきりとはしていません。

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本丸跡。
何もありませんww

戦国時代には水野忠氏が居城とし、当初水野氏は今川氏についていましたが、後に織田氏の配下となります。
織田信秀の跡を信長が継ぐと、鳴海城主山口教継は離反して今川氏について大高城を攻略、今川義元の家臣・鵜殿長照が城主となります。

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大高城址の碑。

1560年(永禄3年)の桶狭間の戦いの際、織田氏は丸根砦と鷲津砦を築いて大高城を包囲しますが、松平元康(後の徳川家康)はこの包囲網を突破して兵糧の運び込みに成功します(大高の兵糧入れ)。

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本丸の少し高くなったところにある、小さな神社。

松平元康はそのまま大高城を守りますが、今川義元が討たれると岡崎城へと撤退しました。

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本丸と二の丸をつなぐ土橋。
両側に空堀がありますが、茂みになっていて写真ではよくわかりませんね。

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二の丸跡。
こちらも何もありません。

清洲同盟により大高城の戦略的な価値はなくなり廃城となりますが、1616年(元和2年)に尾張藩家老・志水忠宗がこの地に居を構え、明治になるまで志水氏の居館として用いられました。

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二の丸跡の土塁(?)が削られているのか、もともとこういうつくりなのか、通路になっています。

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腰曲輪跡。
ここに志水忠宗の屋敷があったとかなんとか。

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土塁。

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帯曲輪跡。
すべり台やブランコといった遊具が設置されています。

では、この辺で終わらせていただきます。


御城学。