小牧山城(尾張国・愛知県小牧市) | おしろまなぶ の お城を学ぼう

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訪問したお城について書いていきます。

織田信長が築城した城として有名な、現在の愛知県小牧市にある城、小牧山城をご紹介します。

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小牧山城跡のある小牧山は、岩倉駅または小牧駅から名鉄バスに乗るなどして、小牧市役所前バス停で下車するとすぐのところにあります。

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小牧市役所前バス停。
いろいろなバスが停まるようですが、正直よくわかりませんでしたww

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小牧市役所旧本庁舎。
小牧山の麓に建っています。平成24年12月末をもって閉鎖されています。

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小牧市役所新本庁舎。
道路を挟んだ向かい側にあります。

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史跡 小牧山の看板。

小牧山城は、桶狭間の戦いに勝利した織田信長が美濃の斎藤道三を攻略するための拠点として、1563年(永禄6年)に築いた城です。

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大手口。
市役所旧本庁舎脇の坂道から登っていきます。

1562年(永禄5年)に徳川家康と清洲同盟を結んだ信長は、美濃攻略の拠点を移すべく、こんな手を打ったと伝えられています。
清洲城からの移転の噂を聞きつけて不満を燻らせていた家臣たちに、移転先として小牧山よりさらに北を初めに提案し、一斉に反対されると譲歩案として小牧山を提示、すると今度はほとんど反対もなく移転が決まった、というものです。
よくある交渉術ですが、織田信長も全てトップダウンで決めていた訳ではないということでしょうか。

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観音洞。
乳の出ない妻に食べさせるため、麓の狩人が子を孕んだ鹿を撃ったところ、小鹿は七つの石に、母鹿は観音像になったと伝えられています。
これを祀ったのが麓にある間々乳観音の始まりとされています。

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間々乳観音出現霊塲の碑。
間々乳観音は浄土宗の寺院・龍音寺のことで、授乳にご利益があるとされるお寺です。
もともとは小牧山の観音洞にありましたが、織田信長によって移されたとされています。

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模擬天守(小牧市歴史館)。
1967年(昭和42年)に名古屋市在住の実業家・平松茂が私財を投じて建設し、小牧市に寄贈したものです。
内部は歴史史料館となっています。
小牧市歴史館については↓↓
http://www.md.ccnw.ne.jp/seinen/rekisikan/gaiyou.htm
http://www.city.komaki.aichi.jp/bunkazai/komakijo/002833.html

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尾張徳川家19代・徳川義親氏の像。
所領だった小牧山を国に寄付した方ですね。

斎藤氏を滅ぼし、稲葉山城を手に入れると、信長は拠点を稲葉山城に拠点を移し、岐阜城と名を改めます。
これによって役目を果たした小牧山城は廃城となりました。

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歴史館の展望室から見た小牧市の街並み。

1584年(天正12年)に豊臣秀吉と徳川家康が戦った小牧・長久手の戦いで、徳川家康が小牧山に先に本陣を置き、同じく小牧山を狙ってい豊臣秀吉を悔しがらせたとされています。

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帯曲輪。
奥の方に土塁が見えます。

両軍痛み分けによる休戦後、小牧山城は再び廃城となりました。

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小牧山の模型。

江戸時代は尾張徳川家の領地として保護され、1927年(昭和2年)に国に寄付されました。

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小牧山の碑と土塁。
帯曲輪側の入り口になっています。

意外と遺構が残っているのかなぁという感じがしました。
山の反対側も回れればよかったのですが、時間の都合により断念せざるを得なかったのが残念でした。

では、この辺で。


御城学。