明智光秀が縄張した湖の城!近江・大溝城
滋賀県高島市の大溝城の攻城記録です。今回も過去の記録になります。攻城日:2020年9月19日大溝城が築かれた当時の琵琶湖の周辺には東岸に織田信長の安土城、北東岸には秀吉の長浜城、南西岸に光秀の坂本城が築かれ琵琶湖を中心とした城郭ネットワークが形成されつつありました。そこに織田信長の甥である津田信澄が信長の命により琵琶湖北西岸の高島郡に新たな居城を築くことになります。この時大溝城の縄張を明智光秀がしたと伝わっており、琵琶湖とその内湖を巧みに取り込んだ水城が築かれました。天正10年(1582)に本能寺の変が勃発し信長が討たれた際に首謀者の信澄は光秀の娘婿であったこともあり、織田信孝や丹羽長秀によって討たれてしまいました。元和5年(1619)に元和の一国一城令により破壊されますが、三の丸のみ陣屋として存続しました。・JR近江高島駅近くにある解説板・三の丸跡の石碑近くにある分部神社の横にある三の丸跡の石碑。この道から天守台跡のある本丸へ行きます。・本丸天守台石垣①・本丸天守台石垣②・大溝城跡の石碑・大溝城とお初の解説板天正14年(1586)に京極高次が大溝城に入城します。京極高次の正室は淀殿の妹である初です。・大溝城本丸跡の解説板・天守台の階段苔のついた石垣って良いですよね。織豊期の野面積みで大きな石が積まれています。・本丸天守台跡・大溝陣屋の総門また、歩いて行ける距離に大溝藩時代の陣屋の惣門が現存しています。大溝城は小ぶりな天守台が残るのみですが、大きな石がごろごろ使われており非常に見ごたえがありました。