It's a Beautiful World! -27ページ目

It's a Beautiful World!

夜が明けたら/CastingAroundドラムヒロヤユウコの日々のお話です

image

 

あけましておめでとうございます。

2017年になりました。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

今年のお正月はお正月らしいことは何もなしで過ごす予定でしたが、正月休みのひでぼーのおかげで思いの外余裕ができたので近所の神社に初詣に行ってきました。

 

ふるさとを思い出すようなちいさなのどかな春日神社。

混雑していなかったので赤ちゃん連れでも大丈夫でした。

 

image

 

image

 

穏やかな冬の陽射しがあたたかい日。

お参りして甘酒もらって、おみくじひいて絵馬まで書いてきました。

 

image

 

おみくじは半吉。

10年以上前に初めて浅草で半吉をひいたときにはびっくりしましたが、どこでも普通にあるものなんですね。

「時を待つがよい やがて晴れ間も見える」とのことです。

 

image

 

そして叩き初めもしました。

 

かなたもドラムデビュー。

 

image

 

少しだけでも触れることができるのはうれしいです。

しかしずいぶんへたくそになっています。

取り戻すのにはかなり時間が必要です。

空き時間に基礎練習しなければですね。

 

昨夜は福生の音楽仲間のかたがたが遊びにいらっしゃいました。

 

image

 

新年会ということで飲み会でした。

わたしとかなたはほんの短い時間しか参加できませんでしたが、ひさしぶりに人と会って話ができてよかったです。

それだけで心がほっこりします。

 

そんなささやかな2017年のお正月でしたが、ここにきて急に生活がほんの少しだけ楽になったように感じます。

まずかなたが夜寝る時間が長くなりました。

まとまって4時間は寝てくれるのでそれだけでかなり楽です。

もちろん泣きわめいて全然寝ない日もあるんですが、うまく眠れたときには長い時間眠れるようになったんです。

そして1日のリズムがだんだんと整ってきました。

少しずつなんで泣いているのかもわかるようになってきました。

痛くて痛くて仕方なかった授乳も痛みが和らいできました。

 

まだまだ苦しさも感じますが、最初の頃に比べると心の余裕ができてきたように感じます。

どうやってやっていけばいいんだろうと思っていたけれど、ひとつひとつ過ぎていくものですね。

これまでの人生でもそうだったように。

痛かったことも苦しかったことも、絶対いつかは終わるんだね。

 

ひとつ過ぎればまたひとつ、きっとまた新しい試練も訪れるでしょうが、今はまず最初の山を越えたことにほっとしています。

いつも穏やかな気持ちで、というのは神経質はわたしにはかなり難しいことですが、まずひとつ越えたことを自信にしてがんばりたいです。

image

 

どうしたって、なくならないもの。

 

実に5か月半ぶりにドラムを叩きました。

まだ体が完全には回復してないし、あまりにブランクが長くなりすぎたので叩けるか心配でしたが、思いの外体が動きました。

そしてひさしぶりにキャスアラの曲を叩きましたが、自分でもびっくりするくらいに楽しくて楽しくて、曲が心に染みすぎて涙がでました。

 

やっぱりいい曲すぎて大好きすぎてどうしようもない気持ちになります。

妊娠してドラムを叩けなくなって、最初は苦しかったけれど、だんだんこの生活が普通になってきて。

もうこのままなくなってもかまわなくなるのかな、なんてぼんやり思っていましたが、一瞬触れただけで何もかもよみがえってきました。

 

どうしたって、忘れることなんてできないよ。

 

24時間赤ちゃんと向き合う生活をしていると、バンド復帰なんて到底無理なんじゃないかという気持ちになってきます。

でも、やっぱりあきらめたくないです。

もう二度と飲みに行けなくてもいいし、街にお買い物に行けなくてもいいし、他のたくさんのものはあきらめてもいいけど、やっぱりどうしてもバンドだけはやりたいと思ってしまいます。

 

自分たちの作った曲にね、こうやって何度も何度も励まされるんです。

ずっと言ってきたけど、たぶんキャスアラの曲を世界で一番愛しているのはこのわたしなんです。

そのときそのときの想いがつまりすぎていて、もう遠い記憶の彼方の景色や感情だって、聞くたびに何度も何度も響いてくるんです。

いつだって心が震えるんです。

そんな曲を作れたことを今でも何より人生で一番の誇りに思います。

 

と同時にずっと目を逸らしていた現実が重くのしかかってきます。

キャスアラは今もうここに、前と同じようにはないのです。

もう明日スタジオ行ける?なんて言ってスタジオに行くことはできないのです。

このまま永遠にできないなんてことはないかもしれないけれど、メンバーみんなで同じ景色を見て同じ気持ちを共有する日々を送ることはないのだと思うと今更ながらものすごい苦しさを感じます。

 

生きるために進むために、それは必要なことだったとわかっていてもね。

 

キャスアラはホントに自分の青春そのものだったし、それは変わることはないです。

いつまでも誰よりもこの曲たちを愛しているし、きっとずっといつまでも色褪せないものだと信じています。

でも、一息ついたらまた別のカタチの自分の音楽も探したいと思います。

過去の自分たちを越えれるような気がしなくても、もっとを目指していかなきゃいけない。

ずっとずっと思い出だけを奏でて生きていくわけにはいかないからね。

 

そこまでたどり着くにはまだまだ時間も必要だし、並々ならぬ努力も必要だと思いますが、今日ひさしぶりに楽器に触れたときの心が震えた感動を情熱に変えていければきっと頑張れるはずだと信じています。

 

自分でも予想もしていなかった大きな波に飲み込まれてここまできた2016年もあと数時間で終わりを迎えようとしています。

ホントに自分が想像していた以上のスピードで流されて正直心がついていけていないと思うこともたくさんです。

2017年ははやくこの新しい生活に心を追いつかせていきたいです。

 

そして有限の時間を無駄にせず過ごしたいです。

今こんな自由な時間のない生活だからこそ、一瞬一瞬がものすごく貴重に感じます。

赤ちゃんが寝ている1時間、この時間に何ができるのか。

光のスピードで進まなきゃ、どこにもたどり着けないよ。

 

今年が終わる前に、最後にあの音に触れることができてホントによかったです。

年越しそばもおせちも初詣もない年末年始ですが、心だけはちゃんと今年を見送り新しい年を迎えることができそうです。

 

2016年、ステキな思い出をたくさんありがとうございました。

2017年もどうぞよろしくお願いいたします。

image

 

どんな日も、どんなキミであっても。

 

かなたが生まれて1ヵ月が経ったので、昨日12月23日にお宮参りに行ってきました。

毎日どんどん大きくなってあっという間に変わっていく姿を見ると月日が経つのを早く感じますが、毎日毎日やすみなしに同じことが繰り返されていく日々を思うと、まだたった1ヵ月なのかとも感じます。

何はともあれ無事1ヵ月が過ぎたことにまずはほっとすべきですね。

 

かなたにとっては病院以外で初めての外出になりました。

まずはお宮参りの前にスタジオマリオに写真を撮りに行きました。

 

こういう子供写真館で写真を撮るのは初めてだったのですが、いろいろとすごかったです。

こんなに1日中寝てるか泣いてるかの子供の写真をどうやって撮影するのだろうと思っていましたが、そのプロ技にびっくりしました。

ありとあらゆる手段を使って赤ちゃんの気を引き、見事いい表情の写真を何枚も撮ってくれました。

 

そしてこの子供向けのビジネスのすごさにもやられました。

衣装を何枚着ても、写真を何枚撮っても、撮影料金は一定で写真を買った分だけ料金が発生する仕組みなので、気に入ったものを数枚買って記念にするつもりだったのですが、撮った写真を見るとあれも可愛いこれも可愛いで、結局かなりの高額になりました。

ずるいなぁと思いながらも、はねのけることなど不可能でした(笑)

お母さんがかなりお金を出してくれたので助かりました。

 

本人は何も覚えてはいられない今日の日だからね、いつか見てこんな日があったんだと思ってもらえたらうれしいです。

きっとそれはわたしにとっても同じようにいつか思い出すいい思い出になるでしょう。

 

写真は2週間程度かかるそうです。

届いたら見事なプロ技を披露したいと思います。

 

散々写真撮影で疲れたあとにメインイベントのお宮参りにあきる野の二宮神社に行きました。

 

小さいながらも古い歴史があって静かで厳かな雰囲気の本堂でお祈りをしてもらいましたが、かなたはずっと泣き続けていました。

神主さんは赤ちゃんは泣くのが仕事だから大丈夫ですよと言ってくださいましたが、こちらはなんとか泣き止まないかなと気が気じゃなかったです。

結局最後まで泣き続けていましたが、これからすくすく成長しますようにと無事お参りはできたのでよかったとします。

 

image

image

 

二宮神社からのステキないただきものたちです。

 

image

 

でんでん太鼓が入っていました。

かなたの人生初のマイ太鼓です。

これからたくさんの太鼓を手にしていくと思いますが、これが最初の太鼓です。

ここからいい音をたくさん奏でていけますように。

 

 

お宮参りも無事終了し、クリスマスイヴの今日で手伝いにきてくれていたお母さんが地元に帰ることになりました。

この1ヵ月何から何まで手伝ってもらって過ごしていたので、正直これからひとりで大丈夫なのか不安で仕方ありません。

物理的なことはもちろんですが、精神面でものすごい支えになりました。

お母さんがいなかったらわたしはきっと心が折れてつぶれてしまっていたと思います。

わたしがお母さんという存在になっても、自分は永遠にお母さんの子供であることを改めて感じました。

そして生まれたばかりの赤ちゃんを一緒に面倒みながら、自分もこうやって誰かの愛情を受け続けてここまで生きてきたということを痛感しました。

もう子供じゃないんだからそこまで世話を焼かなくても大丈夫だよと思うことも多いですが、世界中でここまで自分をおもってくれるひとは他にいないです。

 

自分は実家から遠く離れた場所にきてしまったので、こんなにも長い時間親と過ごすことができるのはこれで最後の機会かもしれません。

そう思うともう巻き戻せない時間に激しい後悔のような、絶望感のような苦しさを感じます。

今頃になってふるさとを離れるという意味を知るのかもしれないね。

若くて希望に溢れて、夢しかなくて実家を離れた18歳の頃には何一つわからなかったよ。

 

今更、そして月並みですが、できる限り長生きしてもらいたいなんて思いました。

つまんないと思っていた田舎、振り返りもせずにきた地元だけれどね。

わたしを作ったあの街が、あの家が、いま無性に懐かしく恋しく感じます。

 

 

明日からの日々はホントに不安ですが、お母さんがいろいろ整えてくれたのでめいっぱいその恩恵に預かりつつ頑張っていきたいです。

 

image

 

自分がこの世界に訪れてから、長い長い時間が過ぎました。

 

昨日12月15日はわたしの誕生日でした。

 

午前0時を過ぎたら次々に入ってくるメール。

友達からのサプライズ、盛大なお祝い、たくさんのプレゼント。

特別な場所にでかけたり、おいしいものを食べたり。

そんな風に1年に1回大いにお祝いしてもらっていた誕生日も、長く生きてくると段々といつもと変わらない日のように過ぎていくようになるものですね。

今年の日付変更線は疲れ果てて眠っているうちにいつの間にか越えてしまっていました。

 

静かにむかえる誕生日。

1年前の12月の日記を読んでいると遊びにいったりのみにいったり、ライブしたりクリスマスしたり、ものすごく楽しそうで1年でずいぶん変わってしまったなぁと実感します。

2年前はどうだった、3年前は、なんて楽しかった思い出はどこまもはっきりと思い出すことができ、寂しさを感じるのも事実です。

それでも変わらずにささやかなおめでとうの言葉をくれるひとが今もいてくれることはとても幸せなことだね。

 

昨夜はお母さんがかなたをみていてくれるというので、夜ごはんだけ食べに行ってきました。

 

青梅のちいさなフランス料理店に行ってきました。

普段なかなか行かないような、ちょっと高級はフランス料理のコースのお店です。

 

image

 

image

 

すごくかわいくてちいさくて静かでステキなお店でした。

緑に囲まれてあたたかな一軒家は別世界でした。

 

image

 

有機野菜のコースで、どれも驚くほど野菜がおいしくて素晴らしかったです。

ひさしぶりに穏やかでゆっくりした時間を過ごせました。

 

image

 

image

 

image

 

もう大人だからね、がつがつ山盛り食べるだけじゃないのよ!

1ヵ月ぶりの外食、またしばらくできないと思うとこれまでになく外食が貴重で楽しく感じます。

 

予定より遅くなってしまったので帰るとかなたがわんわん泣いていたので申し訳なかったです。

ごめんね、でも元気になる時間をもらえたので、これからまたいっぱい一緒いてがんばるからね。

ありがとう、待っていてくれて。

 

そうして今までにない誕生日が過ぎていきました。

 

 

かけがえのないものと引き換えに自由と自分自身というものを失ってしまったように感じる今という日々。

 

これまで歩いてきた長い道を振り返ってみるんだ。

何もかも失ったと絶望した日々だって、今思えば人生のひとつの季節だったね。

夢と希望にあふれ、無敵だと感じていたあの頃だって、やがて過ぎ行くものだったね。

 

そう思えば、いま感じている息苦しさももどかしさも、そして同時に感じるあたたかも幸せもいつかは過ぎ行き、カタチを変えていくものなんだと突き付けられるのです。

 

あの頃は目の前の景色が永遠に続くと思っていたんだ。

それが若さというものだろう。

そして今そうではないと知ってしまったわたしは大人になってしまったのだろう。

 

だからこそ、何があってもいつかは越えていけると信じることができるのだろうけど。

だからこそ、はかない日々をせつないと感じるようにもなったのだけれど。

 

それでもこれからもこの人生が続いていくならば、目の前の景色を精一杯愛していけるように生きていたいと思うのです。

 

淀んだ空でも、透き通った空でも。

いつかは変わっていくと知っているからこそ。

 

これからの1年も泣いて笑って、忘れられない日々にしたいです。

image

 

窓の外の冷たさを、キミはまだ知らない。

 

かなたが生まれてから20日が経ちました。

退院してからの日々はホントにあっという間でもうそんなに経ったのかと驚くばかりです。

こんな風にも日々は過ぎていくだなんて。

 

新しい毎日はただただかなたのお世話をして過ごしています。

昼も夜も3時間おきに授乳するのは眠いし痛いし大変だし、時に泣きわめいて何時間も抱っこしているのもきついですが、かなたのお世話以外は全部お母さんがやってくれているのでかなり楽をしていると思います。

お母さんの作ってくれる料理は毎日とてもヘルシーで栄養バランスがよくてかなり体がすっきりしています。

洗濯や沐浴の手伝いや、掃除や買い物も全部やってもらってホントにありがたいです。

お母さんがいなかったらたぶんいっぱいいっぱいで爆発していたと思います。

お母さんが帰ってしまったあとが怖いですね。

 

今日は退院してから初めてかなたを置いてでかけました。

お母さんにお世話をお願いして保育園の申し込みに役所に行ってきたのです。

 

ひさしぶりの外の世界。

自由に歩ける、冬空のした。

ひさしぶりすぎてコンビニですらうれしくて仕方なかったです。

 

冬の穏やかな陽射しのしたでものすごい解放感を感じました。

と同時に、同じくらいの罪悪感を感じました。

 

解放感を感じるだなんて、かなたがいなくて解放されたと思うだなんて。

かなたはわたしがいないと生きていくこともできないのに、いまわたしはほっとしているだなんて。

 

そんな気持ちになった自分が最低で涙があふれました。

かなたに申し訳なくて、かわいそうで、何てことを思ってしまっているのだろうと。

あぁ、こんな感情、初めてだよ。

 

ちいさな命に対する責任の重さ。

それに押しつぶされそうになりながら思うのです。

それは自分だけがこの命を守ることができるということなんだろう。

 

いつ死んでもどうなってもかまわないからと、自分の思う道を思うままに生きていた。

これからはそんな風には生きられないということを重苦しく思うことも、相反して誇らしく思うことも、自然な感情なのかもしれないけれど。

 

急いで用事を済ませて帰ってくると、こちらの心配をよそにかなたはすやすや眠っていました。

 

生まれてまだ20日。

この世界の辛さもよろこびもキミはまだ知らない。

こんなに長く生き延びてきたはずのわたしだって、いまだすべてを知ることはできないくらい、広くて果てしない世界だよ。

 

image

 

image