あれからずっと考えていました。
逃げている。
わたしは逃げている。
ロックをしているわたしは逃げている。
思えばかつてまさにそんなことを考えたことがありました。
何百キロもひとりで自転車で走りながら、何時間もひとりで森の中を歩きながら思ったのでした。
いまここでは「CastingAroundのヒロヤユウコ」であることをはじめ「○○のヒロヤユウコ」であることは愚か、ヒロヤユウコであることさえもなにも意味を持たないのだと。
すべてを取っ払っても自分はまっすぐに立てるの?
まっすぐに空を見上げることができるの?
そうならなきゃいけない。そうなりたい、と。
でもまたいつものこの世界に戻ってくれば、わたしには生きていくプライドが、生きていくアイデンティティが必要でまたロックという武器にしがみついてそんなことを思いもしなくなっていました。
これでいいんだ、わたしにはロックがあるから。
わたしからロックを取ってしまえばわたしには何も残らないでしょう。
わたしが働くことも、友達と笑いあうことも、自転車で走ることも、食べることも笑うことも泣くことも恋愛することもロックがあってこそです。
極端のようですが、実際そうだとよくわかります。
もしかしたらホントはわかっていたのかもしれないのです。
そして目をそらしてきたのです。
だってそれはあまりにもはかない砂の城のようで、ひとたび崩れだすとあっという間に音もなく消え去り、それを失うということはわたしのすべてを拒絶することにほかならないからです。
だから認めるわけにはいかないのです。
それが逃げだというのなら、わたしには逃げる正当な理由があると信じていたのかもしれません。
そして自分の弱さを否定し続けてきたのかもしれません。
いま、わたしの小さな小さな世界は均衡を失っていくようでわたしはとても怖いのです。
いっそ壊してしまったらいいのでしょうか。
それでもどこかでそれに反発する自分がいます。
ロックがなくても生きていけるようになんてなりたくない。
ロックという表現するというアイデンティティを失うなら、死あるのみだと。
あぁ。
答えなんて昨日の今日に見つかるものではないのかもしれません。