昔話004
友人のK君が亡くなった。
早すぎるが、それはある意味で予定された死だった。
そして、戦士の魂が確実に戦いを終えた瞬間でもあった。
※
幼かった私は彼を「変態」だと思っていた。
友人ではあったが、紛れもない「変態」というものであると認識していた。なぜなら、それ以外に表現する言葉を知らなかったからだ。
彼はトランスジェンダーという存在である。
現在であれば言葉が浸透していることもあり、それが何を指すか理解できる人が増えているはずだ。大抵の人は、偏見は持っているが概念は知っているはずである。
私は低年齢であったこともあり、それを理解することが全くできなかった。そのようなものが存在することすら考えもしなかった。今思えば、男女の性を意識すらしていなかったのではないだろうか。
インターネットも携帯電話も存在しない時代の田舎である。レンタルビデオ屋も存在せず、情報といえばチャンネル数の少ないテレビに、北朝鮮の短波がダイレクトに入ってくるラジオ、偏向報道されている新聞、発売日から遅れて入荷する本くらいだった。
理解できる人間は、大人を含めても皆無だっただろう。時代と土壌は覆せない。それが現実である。
※
彼との接点は音楽であった。二人とも当時絶大な人気を誇っていたアメリカのロックバンド「Journey」が大好きだったからだ。ラジオで知った音楽に二人とも心を奪われていたのだ。
正直なところ、私も彼もお互いのことをそれほど「友達」であると思ってはいなかった。
ただ、周囲にアメリカのロックバンドを聞いている人間が皆無だった為に「他に話せる相手がいない」という理由で繋がっていただけだった。
さして「仲の良い友達」とも言えなかったが、二人で「Escape」をずっと聞いていた。特にA面の「Don't Stop Believin'」ばかり、針を戻す作業を交代でやりながら連続で聞いていたものだ。
不思議な感覚なのだが、少年だった私でもこの曲を聞いて、アメリカの広い荒野を車でひたすら走る光景を連想していたような気がする。歌詞も知らなければ、バンドの情報が無いにも関わらずである。
「Journey」は過酷なロードで地位を築いたバンドである。毎日ライブをしながら車で寝泊りし、広大なアメリカの大地を転戦していったのだ。
目にする光景は、ステージ上の照明と、車から眺める荒野のみ。それを何年も続けたのだ。心身を病んでいくのは当然だと思う。それでも、道の先に何かがあると信じて走っていたのだろう。それが音から滲み出しているのかもしれない。
その感想を持ったのは私だけではなかった。驚くことに、彼も同じような感想を抱いていたのだった。
しかし、奇妙な偶然に驚くだけで、そこから友情が深まるようなことはなかったと記憶している。
彼は特に歌詞が好きで「信じることをやめるな。自分の感覚を信じて。待ち続けるんだ」という部分を歌っていた。
卒業文集の寄せ書きにもその言葉を書いていたような気がする。
※
彼が周囲から「変態」だと思われていた理由は、とても簡単で「女性」のように振舞っていたからだ。
元々見た目も小柄で中性的ではあったが、言葉使いも女言葉をそのまま使用していたように思う。
当然のように、そんな彼を親も、教師も、同級生も、周囲の全てが彼を変わり者として見ていた。当然、私も含まれる。
本当に一人も味方はいなかった。町全体が彼を異端児として扱っていた。子供にとってみれば自分の住む町は「世界」の全てである。しかし、そんな中で彼はうつむくことなく、胸を張って生きていた。
偏見と差別のまかりとおる「世界」で、彼はたった一人で戦っていたのだ。
その後、高校進学と同時に私は地元を離れた。当然、彼との接点はなくなり会うこともなくなった。
そして月日が経ち思い出すこともなくなっていった・・・。
※
二十年近く経って彼から連絡がきた。彼は「彼女」になっていた。
月日が過ぎ去り、既に性同一性障害という言葉が当たり前になり、戸籍すら変更できる世の中ではあるが、トランスジェンダー等への偏見は深まっている。
なぜなら、メディアでニューハーフや同性愛が当たり前のように取り上げられてはいるが、それはあくまで商品化されたものだけだからだ。
身内や友人から出た時に対応できる人は悲しいくらいに少ない。
けれど、私はなんら驚きを感じなかった。彼ならば綺麗になっているだろうなと思ったくらいである。
再開は予想通りあっけなかった。それほどお互いを大切な友達と意識していたわけではないので、そんなものだろう。
彼女の美貌を褒め、お互いの近況を言い合ったくらいで、唯一の接点であった「Journey」の話しすらも出なかった。
幸せそうに見えたが、少し疲れたような表情に見えたのが印象に残っているくらいだ。
会ったのは、その再開を入れても数回しかない。この関係に友情を感じているわけではないので当然であろう。だから、久しぶりに聞いた知らせが彼女が亡くなったという訃報でも、特に何も感じなかった。
身体を変化させたことによる弊害や、メンテナンスの大変さは言葉では表現できない。メスを入れて終わりではないのだ。変化させ続ける為の薬の投与や、内臓器系への悪影響。それは甚大なものだ。
ただ、そんなことは彼女にとってみれば覚悟以前の問題だっただろう。
たった一人で世界と戦うことができた彼女にとってみれば、呼吸するくらいに簡単なことだっただろうから。
※
祭壇に掲げられた美しい遺影の下には「信じることをやめるな。自分の感覚を信じて」との言葉が書かれていた。
私は、その時になってようやく涙を流した。何の涙かはわからないけれど・・・。
彼女は戦士だった。
紛れもない戦士であり、その魂には一点の傷すらもないだろう。幾多の試練で研磨され、光を放つそれはどんな宝石よりも美しいに違いない。
真に美しい魂を持った女性だった。特に深い友情を築いた間柄ではないが、それだけは心の底から胸を張って言える。
早すぎるが、それはある意味で予定された死だった。
そして、戦士の魂が確実に戦いを終えた瞬間でもあった。
※
幼かった私は彼を「変態」だと思っていた。
友人ではあったが、紛れもない「変態」というものであると認識していた。なぜなら、それ以外に表現する言葉を知らなかったからだ。
彼はトランスジェンダーという存在である。
現在であれば言葉が浸透していることもあり、それが何を指すか理解できる人が増えているはずだ。大抵の人は、偏見は持っているが概念は知っているはずである。
私は低年齢であったこともあり、それを理解することが全くできなかった。そのようなものが存在することすら考えもしなかった。今思えば、男女の性を意識すらしていなかったのではないだろうか。
インターネットも携帯電話も存在しない時代の田舎である。レンタルビデオ屋も存在せず、情報といえばチャンネル数の少ないテレビに、北朝鮮の短波がダイレクトに入ってくるラジオ、偏向報道されている新聞、発売日から遅れて入荷する本くらいだった。
理解できる人間は、大人を含めても皆無だっただろう。時代と土壌は覆せない。それが現実である。
※
彼との接点は音楽であった。二人とも当時絶大な人気を誇っていたアメリカのロックバンド「Journey」が大好きだったからだ。ラジオで知った音楽に二人とも心を奪われていたのだ。
正直なところ、私も彼もお互いのことをそれほど「友達」であると思ってはいなかった。
ただ、周囲にアメリカのロックバンドを聞いている人間が皆無だった為に「他に話せる相手がいない」という理由で繋がっていただけだった。
さして「仲の良い友達」とも言えなかったが、二人で「Escape」をずっと聞いていた。特にA面の「Don't Stop Believin'」ばかり、針を戻す作業を交代でやりながら連続で聞いていたものだ。
不思議な感覚なのだが、少年だった私でもこの曲を聞いて、アメリカの広い荒野を車でひたすら走る光景を連想していたような気がする。歌詞も知らなければ、バンドの情報が無いにも関わらずである。
「Journey」は過酷なロードで地位を築いたバンドである。毎日ライブをしながら車で寝泊りし、広大なアメリカの大地を転戦していったのだ。
目にする光景は、ステージ上の照明と、車から眺める荒野のみ。それを何年も続けたのだ。心身を病んでいくのは当然だと思う。それでも、道の先に何かがあると信じて走っていたのだろう。それが音から滲み出しているのかもしれない。
その感想を持ったのは私だけではなかった。驚くことに、彼も同じような感想を抱いていたのだった。
しかし、奇妙な偶然に驚くだけで、そこから友情が深まるようなことはなかったと記憶している。
彼は特に歌詞が好きで「信じることをやめるな。自分の感覚を信じて。待ち続けるんだ」という部分を歌っていた。
卒業文集の寄せ書きにもその言葉を書いていたような気がする。
※
彼が周囲から「変態」だと思われていた理由は、とても簡単で「女性」のように振舞っていたからだ。
元々見た目も小柄で中性的ではあったが、言葉使いも女言葉をそのまま使用していたように思う。
当然のように、そんな彼を親も、教師も、同級生も、周囲の全てが彼を変わり者として見ていた。当然、私も含まれる。
本当に一人も味方はいなかった。町全体が彼を異端児として扱っていた。子供にとってみれば自分の住む町は「世界」の全てである。しかし、そんな中で彼はうつむくことなく、胸を張って生きていた。
偏見と差別のまかりとおる「世界」で、彼はたった一人で戦っていたのだ。
その後、高校進学と同時に私は地元を離れた。当然、彼との接点はなくなり会うこともなくなった。
そして月日が経ち思い出すこともなくなっていった・・・。
※
二十年近く経って彼から連絡がきた。彼は「彼女」になっていた。
月日が過ぎ去り、既に性同一性障害という言葉が当たり前になり、戸籍すら変更できる世の中ではあるが、トランスジェンダー等への偏見は深まっている。
なぜなら、メディアでニューハーフや同性愛が当たり前のように取り上げられてはいるが、それはあくまで商品化されたものだけだからだ。
身内や友人から出た時に対応できる人は悲しいくらいに少ない。
けれど、私はなんら驚きを感じなかった。彼ならば綺麗になっているだろうなと思ったくらいである。
再開は予想通りあっけなかった。それほどお互いを大切な友達と意識していたわけではないので、そんなものだろう。
彼女の美貌を褒め、お互いの近況を言い合ったくらいで、唯一の接点であった「Journey」の話しすらも出なかった。
幸せそうに見えたが、少し疲れたような表情に見えたのが印象に残っているくらいだ。
会ったのは、その再開を入れても数回しかない。この関係に友情を感じているわけではないので当然であろう。だから、久しぶりに聞いた知らせが彼女が亡くなったという訃報でも、特に何も感じなかった。
身体を変化させたことによる弊害や、メンテナンスの大変さは言葉では表現できない。メスを入れて終わりではないのだ。変化させ続ける為の薬の投与や、内臓器系への悪影響。それは甚大なものだ。
ただ、そんなことは彼女にとってみれば覚悟以前の問題だっただろう。
たった一人で世界と戦うことができた彼女にとってみれば、呼吸するくらいに簡単なことだっただろうから。
※
祭壇に掲げられた美しい遺影の下には「信じることをやめるな。自分の感覚を信じて」との言葉が書かれていた。
私は、その時になってようやく涙を流した。何の涙かはわからないけれど・・・。
彼女は戦士だった。
紛れもない戦士であり、その魂には一点の傷すらもないだろう。幾多の試練で研磨され、光を放つそれはどんな宝石よりも美しいに違いない。
真に美しい魂を持った女性だった。特に深い友情を築いた間柄ではないが、それだけは心の底から胸を張って言える。
ライブだった
昨日はねー。20時くらいに行けばいいって話でとりあえず17時くらいから一人で練習したのだ。
そっからK2へGOしたのでふ。到着したらスタッフのタイチマンがいたので二人で飲みに。。
どうやったらお客さん増えんのかなーとか話したような話してないような。
そうこうしてたらVoヨウスケさん到着。ウーロンハイをいきなりダブルで。
ライブを冷静にやるかぶち切れてやるかどっが良いの?みたいな論議を2秒くらいしたような。
んで3杯くらい飲んだら良い時間だったので、K2へ。
でもまだ飲むよね。
結構酔っぱらって、最後はアンセムじゃなくてモラトリアムやりたいって言ったらタクチュンに速攻却下されてオレすねたよ。。だから「よろSYU→」とか流行らせない。。笑
んでそんままの勢いでステージへGO。
後は見たまんまね。次回のライブもよろSYU→。
やっぱダメだな。
そっからK2へGOしたのでふ。到着したらスタッフのタイチマンがいたので二人で飲みに。。
どうやったらお客さん増えんのかなーとか話したような話してないような。
そうこうしてたらVoヨウスケさん到着。ウーロンハイをいきなりダブルで。
ライブを冷静にやるかぶち切れてやるかどっが良いの?みたいな論議を2秒くらいしたような。
んで3杯くらい飲んだら良い時間だったので、K2へ。
でもまだ飲むよね。
結構酔っぱらって、最後はアンセムじゃなくてモラトリアムやりたいって言ったらタクチュンに速攻却下されてオレすねたよ。。だから「よろSYU→」とか流行らせない。。笑
んでそんままの勢いでステージへGO。
後は見たまんまね。次回のライブもよろSYU→。
やっぱダメだな。
ライブ終わりました。
渋谷RUIDO K2でライブでした。
遅い時間だったけど来てくれた人ありがと!
たまたま見てくれた人も残ってくれてありがと。
次は4/29(木・祝)に渋谷乙でPOP☆UNITEDのイベントです。
よろSYU→☆
っていうのをドラムのSYU→に流行らせようと思います。
遅い時間だったけど来てくれた人ありがと!
たまたま見てくれた人も残ってくれてありがと。
次は4/29(木・祝)に渋谷乙でPOP☆UNITEDのイベントです。
よろSYU→☆
っていうのをドラムのSYU→に流行らせようと思います。