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【京都】新病院建設の真の⽬的は
後継者育成-⽊原俊壱・
京都⽊原病院理事⻑・院⻑に聞く
◆Vol.2 新病院はフルサイズの
⼿術室3室と4Kモニターを設置
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京都⽊原病院(京都市)は2024年3⽉15⽇、
前⾝の京都脊椎脊髄外科・眼科病院の⽼朽化に
伴い新病院へ新築移転した。同院の理事⻑・
院⻑⽊原俊壱⽒は、旧病院の開業当初から
新病院への構想を持ち、新たな⼿術室には、
その構想の⼀つである⽊原⽒の考えたアイデアや
思いが詰まっている。⽊原⽒に新病院の⼿術室の
特徴や今後の展望などについて聞いた。
(2024年4⽉15⽇インタビュー、計2回連載の2回⽬)
木原俊壱先生
――新病院の⼿術室の特徴は何ですか。
将来膝や股関節の⼈⼯関節⼿術や内視鏡⼿術、
ロボットによる脊椎脊髄⼿術もできるようにフルサイズの
⼿術室を3 室設置しました。⼿術治療項⽬を⾸、背中、
腰に加えて、患者からのニーズが多かった膝、股関節、
⾜⾸、肩、肘などにも対応する予定です。
現在は4Kモニターを⾒ながらの⼿術を始めています。
モニターを⾒ながらの⼿術の利点は⼿術の安全性と、
術者の疲労軽減ができることです。
また、モニター越しに⼿術を指導できるので、
若⼿医師の教育には最適です。さらにコメディカルの教育でも、
モニター越しに術者のペースを落とさないように
器械出しの⽅法を学べます。
⼿術室
――新病院を建設した真の⽬的は、
⽊原先⽣の後継者を育てることだそうですね。
私は、⾃分が開発したK-method(低侵襲頚椎椎⼸形成術)
による脊椎脊髄⼿術で多くの患者を救い、
メディアにも取り上げられました。
メディアでは、私以外にも「スーパードクター」とか
「神の⼿」などの呼び名で⼿術⾃慢の先⽣⽅が取り上げられ、
「その⼈にしかできない」というふうに
クローズアップされているように感じます。
医療とは、スーパードクターを輩出するものではなく、
⼀番⼤事なことは、1⼈でも多くの患者や家族に対して
どのようにして笑顔や喜び、幸せを届けるかということだ
と思います。
そのためには、後継者を育てることにより、
いつまでも安⼼して医療が受けられる体制を
整えることが⼤事だと思っています。
当院としては、私が⾏う脊椎脊髄⼿術の担い⼿を
育てることが急務です。
なぜなら、安全で正確な治療を求めて来院される患者
の数と⽐較して後継者の数が圧倒的に⾜りないからです。
脊椎脊髄⼿術の経験がなくても構いませんし、
診療科も問いません。
私は本当に患者のためになる外科医を育てたいと思っています。
脊椎脊髄疾患分野を極めたいという若い医師がいれば、
私は喜んで⼀から教える覚悟です。
――旧病院の環境では、後継者育成は難しかったのですか。
旧病院は脊椎脊髄⼿術の後継者を育成できるほど
⼿術スペースが広くなく、
1回の⼿術で多⼈数での育成ができませんでした。
また、育成プログラムの拡充や実務経験の提供において、
⼗分な環境を提供できていないことが明らかでした。
新病院ではフルサイズの⼿術室3室と4Kモニターを
設置できていることから、多⼈数での育成に充分な設備
と環境が整っていると思います。
また、シーメンスの最新式MRIおよびCTを完備し、
安全で⾝体の負担の少ない世界⽔準の検査も可能です。
医療技術も⽇に⽇に進歩を遂げているので、
より効果的に学び、成⻑することができる
育成プログラムを今後考えていく予定です。
――後継者育成と病院経営を両⽴することの
難しさはありますか。
脊椎脊髄⼿術は技術が必要なのにも関わらず
収益性が低いです。
⼿術中に使⽤する⼈⼯⾻は安価であり、
抗⽣物質の使⽤もほとんどありません。
⼿術翌⽇には歩⾏可能で、経営的には有利とは
⾔いがたいでしょう。
しかし、社会的には、低侵襲で医療費のかからない
⼿術がますます必要とされており、
何よりも患者の利益になる⼿術です。
後継者が技術を習得して巣⽴った時には、
各都市の病院で脊髄脊椎の⼿術や治療を
⾏える病院を開設してほしいと考えています。
この思いと技術をこの新病院で後継者たちに
伝えていくことが私の使命だと感じています。
そして病院経営については、
脊椎脊髄の⼿術件数も増やしていくとともに、
今後開設予定の整形外科専⾨外来部⾨とリハビリ部⾨を
充実させ、総合的に利益を上げていく予定です。
――働き⽅改⾰が進む中での若⼿医師の教育について、
どのようにお考えですか。
現在の働き⽅改⾰で医師がちゃんと育つのかというと、
どうなのかなとも思います。
医療の臨床現場では、定時で終わることもあれば、
緊急対応が必要で定時を過ぎてもやらざるを
得ないこともあります。必要以上に現場に拘束される
環境は改善しなくてはなりませんが、
定時で終わる働き⽅改⾰が医療の現場にそぐわない⾯が
あることも事実です。
私が研修医の頃は診療以外でも、
カンファレンスでの症例検討会に備えるための
資料作成や、⼿術計画の⾒直し、シミュレーションなど
睡眠時間を削ってまでしなければなりませんでした。
また、学会発表や英語の論⽂執筆も
⽇常的に⾏っていました。
しかし、現在の働き⽅改⾰では、
時間外労働の短縮が問われています。
時間外労働だけでなく、労働時間外とみなされてしまう
⾃⼰研鑽に費やす時間も含め、
多くの負担が医師にかかっています。
医師は、⾃分の時間や⼈⽣を費やして
経験することで得られるものもあると思います。
たとえ医科⼤学での勉強や、本を読んで知識を得たりしても、
それを実際の現場で活かすには、やはり臨床経験や本⼈の⼯夫、
臨機応変さ、決断⼒などのさまざまな要素が必要だと感じます。
働きやすい環境とは何か、⼀⽅的な改⾰ではなく、
医師とともに本当の意味での働き⽅改⾰を
実現していくことが⼤事だと思います。
われわれの時代が理想的だったとは⾔いません。
体調を崩すことや精神的なダメージがあった医師などに
対しては指導員がいつでも
相談できる体制が必要かと思います。
――最後に京都府の医師にメッセージをお願いします。
当院は常に混み合っており、
⼿術待ちの患者が多いという印象があるようで、
京都府からの紹介が少ないように感じます。
しかし現在副院⻑や医師が増員され、毎⽇⼿術を⾏っており、
いつでも受け⼊れ可能です。
⼊院患者には無料で提供できる個室をできる
かぎり⽤意しています。
⼿術の必要性については当院で判断し、
不要な場合は患者に説明します。
⾸や腰の痛みやしびれが気になる患者は、
ぜひ当院での相談をお勧めください。
◆⽊原 俊壱(きはら・しゅんいち)⽒ 1988年佐賀医科⼤学(現︓佐賀⼤学医学部)卒業後、 佐賀医科⼤学脳神経外科研修医⼊局。 その後、佐賀県⽴病院好⽣館脳神経外科研修医⼊局。
1989年同⼤学研修医(脳神経外科、消化器外科、 ⿇酔科、胸部⼼臓外科)。1990年有⽥共⽴病院脳神経外科⼊職、 1991年聖マリア病院脳神経外科⼊職。
1992年佐賀医科⼤学(現︓佐賀⼤学医学部)医員⼊局後、 同⼤学⽂部教官助⼿。 1994年⽶国カリフォルニア州ロマリンダ⼤学留学。 1999年⼤津市⺠病院脳神経外科医⻑⼊職。
2005 年同病院診療局⼿術部診療部⻑(兼脳神経外科医⻑)就任。
2013年医療法⼈社団親和会京都脊椎脊髄外科・眼科病院 (現︓京都⽊原病院)理事⻑・院⻑就任。 【取材・⽂=⽥中 嘉尚(写真は病院提供)】
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