⽊原俊壱・京都⽊原病院理事⻑・院⻑に聞く◆Vol.1 医療従事者向け総合医療情報サイトより | ニューヨークと東京に暮らす変な経営者のひとりごと

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京都】3⽉に新築移転、今後は整形外科専⾨病院に

⽣まれ変わる-⽊原俊壱・京都⽊原病院理事

⻑・院⻑に聞く◆Vol.1

 

 

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映画監督になりたくて芸⼤受験⼀筋も、

受かったのは佐賀医⼤だった m3.com地域版

 

 古刹「東寺」のすぐ近くに位置する京都⽊原病院(京都市)は、

脊椎脊髄疾患の治療をメインで⾏っている医療機関である。

同院は、建造物の⽼朽化に伴う修繕箇所の増加や耐震改修の

必要性などがあり、2024年3⽉15⽇に新築移転した。

同院の理事⻑・院⻑⽊原俊壱⽒は、脳神経外科医でありながら

脊椎脊髄⼿術を専⾨に⾏っている。⽊原⽒に脳外科専⾨医を

⽬指した経緯や脊椎脊髄⼿術に携わるようになった経緯、

新病院の概要や新たな取り組みについて聞いた。

(2024年4⽉15⽇インタビュー、計2回連載の1回⽬)

 

第2回はこちら(近⽇公開)

――⽊原先⽣が医師を⽬指した経緯をお聞かせください。

 ⾼校時代は映画監督に憧れており、⼤学受験は芸⼤⼀筋でした。

しかし、1982年に3度⽬の正直で合格したのは、映画監督科ではなく

佐賀医科⼤学医学部でした。私は特に医師になりたいという思いもなく、

ただ友達に誘われたことがきっかけで医学部に⼊学しました。

 

――医学部に⼊学後は、映画監督になる夢を

すっかり忘れることができたのですか。

 

 ⼊学してからも、映画監督になりたい夢は

頭の隅っこに残っていました。

しかしそれ以上に救急蘇⽣や命を救うことに魅⼒を感じ、

漠然と脳神経外科医や⼼臓外科医なればよいと考えていました。

 

――⼤学卒業後からの経歴や仕事内容について教えてください。

 

 1988年に佐賀医科⼤学医学部を卒業し、

同⼤学の研修医として⼊局しました。研修医の頃は、

⼟⽇深夜関係なく24 時間365⽇ポケットベルが鳴ると

すぐに⼤学病院に⾏く⽣活でした。給料が少ないため、

週末には別の病院で救急当直を⾏うこともありました。

 

 1991年からの1年間は聖マリア脳神経外科センターの

救命救急の現場で働きました。救命救急の現場では、

患者の命を救うために全⼒を尽くしました。

 

しかし、多くの場合、患者が重症の状態になると、

植物状態になる可能性が⾼く、それが家族や私にとって

苦悩の種になりました。

 

そして悲しい最期を迎える患者の姿を数多く⽬にし、

無⼒さと⾟さを感じるばかりでした。

 

 1994年に⽶国カリフォルニア州ロマリンダ⼤学へ

留学しました。⽶国では、脳神経外科⼿術の7割以上が

脊椎脊髄⼿術であることに私⾃⾝が共鳴し、

脊椎脊髄⼿術に携わるようになりました。

 

その後脊椎脊髄⼿術の症例数を重ねていく中で、

⼿術時間が約5時間と⻑く、さらに術後の副作⽤が

多いことに気づきました。そのことがきっかけで私は、

従来の脊椎脊髄⼿術より副作⽤が少なく、

⼿術時間も約2時間短縮可能なK-method

(低侵襲頚椎椎⼸形成術)を開発しました。

 

 1996年に佐賀医科⼤学病院へ戻りましたが、

国内には脊椎脊髄⼿術が⾏える脳神経外科施設が

ほとんどありませんでした。

 

1999年に私は思い切って医局を⾶び出して

⼤津市⺠病院へ⼊職し、そこでK-methodによる

脊椎脊髄⼿術の実践をさせてもらいました。

 

⼿術件数が1000件超えた頃には、この⼿術への

信頼度が⾼まり、その後も全国から患者がこの⼿術を

求め来院され、1万例を達成できました。

 

 2013年4⽉には、医療法⼈新和会吉川眼科病院と

経営統合し、京都脊椎脊髄外科・眼科病院として

名称変更し理事⻑・院⻑に就任しました。

 

その後病院名を京都⽊原病院へ変更。

2024年3⽉には新築移転しました。

 

――京都⽊原病院の歴史と概要について教えてください。

 当院は、2013年に京都脊椎脊髄外科・眼科病院へ

名称変更してから、2018年に眼科医の吉川太⼑夫⽒が

眼科クリニック開設により独⽴され、

京都脊椎脊髄外科・眼科病院は京都⽊原病院へと名称を変更しました。

 

そして、2024年3⽉15⽇に、旧病院から新病院へ新築移転しました。

 

 現在の京都⽊原病院の病床数は47床、

診療科は脊椎脊髄外科を主に展開しています。

 

今後は、脊椎のみならず膝・股関節などの

⼈⼯関節を中⼼とした整形外科の専⾨病院に

⽣まれ変わる予定です。

 

職員数は新病院への移転に伴い増員中で、

現在は約50⼈です。

 

医師は常勤5⼈(脳神経外科医4⼈、⿇酔科医1⼈)、

⾮常勤は夜間当直のアルバイトのみです。

 

 京都⽊原病院(旧病院)の脊椎脊髄疾患の⼿術実績は、

2022年度が611件、2023年度が623件です。

 

また2023年度の1⽇平均における患者数は外来が38⼈、

⼊院は35⼈です。

 

このうち京都府以外の患者割合は73%です。

 

――新病院の構想は、前⾝の京都脊椎脊髄外科・

眼科病院を開業された2013年当初から持っていたそうですね。

 

 私⾃⾝、開業前は⼤津市⺠病院の⼿術部診療部⻑として

勤務しており、病院経営は未知の分野でした。

 

開業と同時に理事⻑・院⻑に就任した当初病院経営は

⼿探りの状態でしたが、10年ぐらい経験を積めば多くの

ノウハウを得られるだろうと考え、

そのタイミングで新たな病院を建てることを決めていました。

 

――新病院の特徴について教えてください。

  新病院は、地上6階建てで、延べ床⾯積は

約5058平⽅メートルと広⼤な敷地を有しています。

JR京都駅から徒歩8分です。

 

 

 

 

 

 また、院内の設計は、これまでの私の経験から

得た知識を反映しています。

その1つが、計47床の完全個室にこだわり、

その過半数を無料個室にしています。

 

 以前の病院では⼤部屋がありましたが、

室内の温度調節やいびきなどの⾳によって、

患者同⼠の関係性に問題が⽣じることがありました。

 

そのため、新病院では患者のプライバシーと快適さを重視し、

完全個室を採⽤しました。

 

個室にすることで、患者同⼠のコミュニケーションを

妨げる要因を排除し、環境の質を向上させることができると考えました。

 

 

病室

――広⼤なリハビリ施設も完備されたそうですね。

今後どのような計画があるのでしょうか。

 

 屋内では、30メートルダッシュができるスペースも確保し、

プロスポーツ選⼿やオリンピック選⼿のリハビリに

対応できるようにしています。

 

 リハビリスタッフには、メジャーリーガー・

前⽥健太投⼿が⾏っているストレッチ「マエケン体操」を

考案した荒⽊和樹⽒を招き、現在多彩なリハビリプログラムを考案中です。

 

また、スポーツ栄養の指導ができる栄養⼠を積極的に採⽤しています。

 

 

リハビリ室

――医師の採⽤については、ご苦労などありますか。

 現在在籍中の常勤医師4⼈の採⽤については、

副院⻑の⻄岡和哉⽒と⾚塚啓⼀⽒は、

⼤津市⺠病院勤務時代共に働いていた同志で、

快く当院で働くことを了承してくれました。

 

また岩下英紀⽒は、私と同じ佐賀医科⼤学医学部出⾝で、

脊椎専⾨医を⽬指しており、同⼤学病院の医局を

わざわざ⾶び出すまでして私の病院に来てくれました。

 

このように、ご縁に恵まれ新病院をスタートすることが

できましたが、同じような志を持つ医師に1⼈でも多く

この事業に参画していただきたいと考えお待ちしています。

 

 また、今後整形外科専⾨病院として⽣まれ変わる予定ですので、

整形外科専⾨医を現在募集しているところです。

 

⼀般的には整形外科専⾨医の採⽤は難しいとされていますので、

以前のように知り合いや、

出⾝⼤学の友⼈もたどっていくつもりです。

 

――整形外科専⾨病院へ⽣まれ変わるという

決断をされた背景にはどのようなことがありますか。

 

 当院のような脊椎・脊髄専⾨病院で多くの患者を

診察していると、膝や股関節の悪い患者が多くいます。

 

そのような患者から、脊椎・脊髄を良くしてもらったので

この病院で膝や股関節の痛みを治してもらえないかと頼まれます。

 

そういった背景から脊椎・脊髄専⾨病院に加え、膝や股関節などの

四肢運動器の治療を⾏えば、同じような症状で悩まれている

多くの患者の⼿助けができると考えました。

 

 

――現在、課題と感じていることはありますか。

 当院は、京都府内の患者割合が27%(2023年度)と少ないです。

 

そこで、脊椎脊髄疾患の早期発⾒、予防を⽬的とした、

年1回の脊椎ドックを推奨しています。

 

2023年度の脊椎ドックの受診者は315⼈で、

京都府外の⽅が多かったです。

 

今後は、「100まで歩こう」をスローガンに

京都府内を含めた受診者が、脊椎脊髄の症状がない時から

脊椎ドックを受けてもらえるように啓発していきたいと思います。

 

◆⽊原 俊壱(きはら・しゅんいち)⽒

1988年佐賀医科⼤学(現︓佐賀⼤学医学部)卒業後、

佐賀医科⼤学脳神経外科研修医⼊局。

その後、佐賀県⽴病院好⽣館脳神経外科研修医⼊局。

 

1989年同⼤学研修医(脳神経外科、消化器外科、

⿇酔科、胸部⼼臓外科)。1990年有⽥共⽴病院脳神経外科⼊職、

1991年聖マリア病院脳神経外科⼊職。

 

1992年佐賀医科⼤学(現︓佐賀⼤学医学部)医員⼊局後、

同⼤学⽂部教官助⼿。

1994年⽶国カリフォルニア州ロマリンダ⼤学留学。

1999年⼤津市⺠病院脳神経外科医⻑⼊職。

 

2005 年同病院診療局⼿術部診療部⻑(兼脳神経外科医⻑)就任。

 

2013年医療法⼈社団親和会京都脊椎脊髄外科・眼科病院

(現︓京都⽊原病院)理事⻑・院⻑就任。

【取材・⽂=⽥中 嘉尚(写真は病院提供)】

 

 

 

 

小生は医療関係者、医療従事者ではありません。 

 

京都木原病院の院長とは親しいため、

告知のお手伝いをしているだけです。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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