元祖酵素風呂の元祖創設者は、京の酵素浴の栗林オーナーだった。  | ニューヨークと東京に暮らす変な経営者のひとりごと

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(旧タイトル、NYと六本木ヒルズに住む経営者のひとりごと) 
ニューヨークと東京で会社を経営してます。 NYがベースで、年間10回以上、NYー東京間を往復しています。 アメリカ生活が30年以上になるので、日本にいると沢山の驚きがあります。そんな驚きを綴っています。

こい茶屋、カフェデセールの

女将さんから聞くと、

元祖酵素風呂は、

少なくとも50年以上前から、

嵯峨野の山の中、

こい茶屋。 カフェ、デセールの場所から、

600メートル山頂に向かって登ったところに

あります。 

 





月曜と火曜日は休み。

 

鬱蒼とした山林の中にひっそりと

佇むプレハブの小屋。

 

誰が見ても、廃墟。

 

営業していなかったため、

誰もいませんでした。 

 

谷を隔てて、

その右手の奥には

無縁仏の地蔵が大量に放置されています。

中には、

地蔵の頭が全て破壊されてたエリアもありました。

 

デセールの女将さんに誘導尋問wをしました。

 

あの酵素風呂はよく行かれるんですか。

 

行ったことありますよ。昔からありますね。

私らここに移ってきた時が40数年前で

その時にはありましたから、50年以上前からですね。

最初やってはった方とは違う方がされます。

 

そうでしたか、今、行ってきたけど閉まってたので

いけませんでした。 

 

昔から芸能人の方がたくさん来られて、

うちにも寄ってもらってましたよ。 

 

栗林先生の話と同じです。 

 

デセールから、獣道が始まります。

600メートルは非常に危険な崖っぷちを

走ります。 

 

栗林先生に4月11日に酵素浴の後、

鴨しゃぶ、空に連れていってもらいました。

 







栗林先生、あの獣道は車が入れるようになっていますが

昔はそうではなかったですよね。 

 

あそこはな。よく崖崩れが起きてな。

起きたら、1週間は通れんかった。

わしが石を運んでな。直すんや。 

 

先生はどこにお住まいだったんですか。

あの辺りや。

 

そこまでしか教えてもらえません。笑

 

あそこはね。小川があって水が絶えないから

酵素によってええんや。 

 

あそこの地で酵素を見つけられたのですね。 

でもあの山の中でどうやって生活されてたのですか。

それはな。 なんもないで。 

 

最初は雨除けできるところがあってな。

そこで生活してた。 

 

 

布団の代わりに落ち葉です。

 

 

夏は虫がおるけど、冬は虫はおらんで。

 

 

あの時な、(公開出来ない内容なため Omit します)

プレハブを建てたんや。そこにな。

寝泊まりや。

 

電気ないですよね。 そやな。 

 

 

猿は食べられたんですか。 

 

うーん。 猿はね、食べたら祟りがあると言われたから、

食べんかったけど、ぶち殺してもなんも起きんかった。

猿とは食べ物の取り合いや。 

殺した猿のボスの頭を棒に刺しておいたら、

カラスが目から食いよった。 

 

 







鯉は大覚寺の池から取ってたんですよね。 

警備がしっかりとしてたのにどうやって

入るんですか。 

 

あそこは御所だよ。昔から警備は厳しかった。

警備は夕方までや。

入る隙間もあったんや。 

 

鯉はな。 (公開出来ない内容のため、omitします。)

 

音がせんようにな。引き寄せて、あげるんや。

バシャバシャとされんようにな。 

ある日、誰かが通報して、

大覚寺の門跡に鯉泥棒として捕まった。

 

そこからが、

京の酵素浴の転換期が始まります。

 

今から数十年前に、

栗林先生が発見し、培養し、

嵯峨野で生まれた酵素風呂は、

大宮ロケーションに移ります。

その後、現在の河原町通に移転しました。

 

 

 

詳しくは以前のブログをご覧ください。

https://ameblo.jp/cashflowmgmt/entry-12461613439.html

 

 

最初はな、自分で入るために作ってたんや。

 

商売としてやってなかった。 

 

人助けになるのならと始めた。 

 

治療効果のある酵素風呂の発案者。 

イノベーターである栗林先生のお言葉は

ストレートで面白い。 

 

ロバートキヨサキのような厳しい先生と、

一対一で数時間話すことができる人は

修行の達人である。 

 

 

厳しい会社経営者から、学ぼう。