ニューヨークで、道路を走っていて毎日見かける光景がある。 追い越し車線を制限速度もしくは制限速度以下で走る車がいる。 ア
メリカの場合、2車線であれば、左側が追い越し車線になるのであるが、NY州の場合、Passing Lane と書いてない。CT
州に行けば書いてある所が多い。
右側の車線を通っている車とほぼ同じ速度で走って、わざとか無意識かはわからないが、後続車を前方に行かせないという車両をよく見かける。 わざ
と妨害して、追い越させない場合は、何らかの意味があるので理解は出来るが、無意識のまま、追い越し車線を走っている車両のドライバーは、飛行機内で他人
の事を考えないで、シェードを開け続けるタイプだろう。
僕の経験上、追い越し車線をゆっくりと走る車両は、車の値段で、3万ドル以下、(300万円以下)が多い。高級ブランドでも、古くなった車であ
る。ドライバーを見ても、なるほどなあと思える。 生き馬の目を抜くビジネス界で生きている人物には見えない。What you look like
is what you get. である。 どうみても、Loser
というラベルを額に貼付けて生活しているような人物である。 メルセデスベンツのAMG
、ポルシェ、アウディに乗ってるドライバーは概して、運転がうまく、性格も荒く、行動力がある。 スバルのアウトバックに乗る人とは明らかに異なる。 ど
のような車に乗るかはその人物の性格を表している。
そして運転方法も如実にそのドライバーの生活を表している。 渋滞でも車線を変えずに、いつまでたっても同じ車線を走り続ける、融通が利かないマジメ君や、空いてる所があれば、適度な感覚を保ちながら、移動をする臨機応変君。 無謀な運転を続ける危険君等。色んなドライバーがいる。 そして、乗っている車と運転の仕方によって、どんな仕事をしているかがある程度判断がつく。 いかに目が見えないドライバーが多いかがわかる。
一度折れたセンサーを直すのは大変である。 折れたのであれば、直す事も可能だが、回路が麻痺してしまったセンサーは、もっと修理が大変である。
アメリカにいる時に、電車に乗らないのであるが、日本にいる時に、電車に乗って気づくことがある。マナーのセンサーが壊れた人達の多さに驚く。満
員電車ならともかく、空いている車両内で、若者だけに限らず、オッさんも含め、老人や妊婦、幼児を連れた親が車両に入ってきても、席を譲らないで、無視を
する。寝た振りをする人が多い。僕は、それらの人物がいたら、気づけば、必ず席を譲ることにしている。 シルバーシートと呼ばれている優先座席に堂々と座
りこんだままの若者も沢山いる。オヤジも。お姉ちゃんも。座るのはいいが、席を必要としてる乗客が来ても譲らないのは、壊れたセンサーもあるが、センサー
の誤作動、減感、麻痺(Malfunction/ Desensitization /paralyze)であろう。
一事が万事。
壊れたセンサーは、その人の人生を全て支配する。 センサーが壊れていると他人を怒らせることも多い。飛行機内で、シェードを閉めない人は、数十人の人物
が怒りの波動をその人に向けるだろう。ただ、本人に向かって行って、シェードを閉めろという人物は少ない。 怒りの波動を、その人の魂は受けている。 イ
ライ
ラ波動が発生する。そして、その人はイライラして、他人のイライラを巻き込んで、頼んだ物がすぐに来なかったり、足りなかったりする。 レストラン
に入っても、自分だけ、水を忘れられたりするのである。 そして、イライラして、ウエイターを叱りつける。ますます、イライラモードが高まり、家族に八つ
当たりする。仕事に行っても、部下に対して、しかめっ面で接するから、部下も反撃にでる。配慮にかけるから、誰も相手にしてくれない。孤独になる。 寝れ
ない。寝不足と栄養のバランスの悪さ、ストレスから病気になり、どうして、世の中うまくいかないのかを、分からないまま死んで行く。 道路を車で走って
も、
追い越し車線をゆっくり走るから、後ろからパッシングをされ、ホーンを鳴らされる。次から次へと、目の前に、割り込みをされる。 でも、壊れたセンサーだ
から、なぜ、そうされるのかが分からない。わかっていても改善しようとしない。いつも危険な状態に自分を置いているのである。
壊れたセンサーを直すには、他人の気持ちを理解することができるかどうか。三つ子の魂、百までという。 そう簡単に変わる訳がないのだろう。 そういう人物に会った時どうするか。
無視をする。そして、避けることができるなら避ける。 のがベストかも知れない。
人と接してて、イライラしない方法は、
1、人を変えようとしてはいけない。 変わる訳がない。 自分を変えることも難しいのに、他人を変えようとするのは、小我である。
2、人に期待しないこと。 期待すると裏切られる。 イライラを産む。 全てを受け入れることである