『落下の解剖学』 | ポップ・ミュージックのトリコ

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流行音楽を聴きながら、人生を音楽で豊かにしたいと願う、私的でミーハーなブログです。

 

監督 ジュスティーヌ・トリエ

 

ジャンル ドラマ クライムスリラー

 

出演 ザンドラ・ヒュラースワン・アルローミロ・マシャド・グラネールアントワーヌ・レナルツサミュエル・セイスサーディア・ベンタイブ

 

鑑賞方法 鑑賞方法 映画館(近所行きつけ)

 

さてこの映画の話を進める前にまずはこれを証拠物件として提出します。

 

P.I.M.P.”Bacao Rhythm & Steel Band

 

大爆音でこの曲を爆音で聴きながらこの記事を読んでいただいて・・・って全然文章が頭に入ってこないとしたらまあ、そりゃそういう事になるでしょうね。

 

多くの人はこの映画を殺人罪を有罪と無罪どちらで結ぶのかという法廷劇とみるでしょうけど、これはギャガさんが頭を使ったのでしょう。

まるで『ファーゴ』そっくりのジャケット。

裁判長! 彼らGAGAの広報部はあえて雪の中に死体のある有名な作品を模倣して、あたかも本作が殺人のなぞ解きを主題とする作品であるとの認識に故意に誘導しようとしています!

 

加えて本来フランスで上映されたときのポスターを証拠物件として提出します!

はい、劇中何度も登場する写真ですね。

ある最高に上り詰めた二人の愛が、どのように下り落ちてしまうのかを描く物語。

”あの素晴らしい愛をもう一度”という名曲が日本にもありますよね。愛は知らず内に愛そのものの内側から当人も気付かぬうちにゆっくりと蝕まれはじめ、やがて表に出てきたときにはもう取り返しがきかないことになってどうにもならないことになっていく。そしてその結果起こる非寛容や不誠実の理由は当人同士のお互いの選び取った都合のいい解釈でおこなわれて加害者意識が無いという恐ろしさ。

 

 

この映画、原題名は英語で『Anatomy of a Fall』。

これは私も大好きな巨匠オットー・プレミンガーの『Anatony of a Murder(或る殺人)』から取られた題名。

 

 

有名な法廷劇ですが、それだけではない登場人物の隠された人間関係を芝居の合間に見せて、裁判の行方と同じくらい強烈に、被告人が今も変わらず恋人と愛し合ってるのかわからなくなる描写にプレミンガーの凄みが伝わってくる映画。

この映画では裁判に勝って無罪になるも弁護人が報酬を受け取ろうと後日家に向かったらトンズラされていた、というオチ。

この映画はさらに劇中でまだ当時のポリコレ的には不適切とされた、”レイプ””スペルマ”そして”パンティー”という言葉が繰り返されます。今でいう"Fuck"とかが当てはまるのでしょうけども(日本の動画とかなら”殺す”とかも【殺害予告】と解釈できるらしく動画がバンされるとか)、そうした言葉をメチャクチャ使っているということでも有名な映画。

 

さてこの『落下の解剖学』映画はこの"Anatomy of a Murder"をバラバラに切り刻んでミキサーにかけて、それに加えてある二人の愛し合う夫婦が冷めて落ちてゆく様を解剖して見せるのが大きな裏のテーマ。

 

冒頭の”P.I.M.P.”は私としてはメチャクチャアガる選曲。

印象的な(この映画を観た人は特に!)スチールパンのイントロで始まってド頭からサビの

"I Don't Know What You Heard About Me,"(俺のことについて何を聞いたのかわからないが、)と切り出して、誰かからの話の印象で真実じゃないかもしれないことをふきこまれたかもしらないけどおれは〇〇なんだ!と嘘かホントかわからないけど間違いなく彼はそれが自分であるということを虚勢を張って並べ立てる曲ですね。

 

まあ、弁護人によれば劇中の曲はインストなので歌詞の意味なんか関係ないらしいですけど。

 

登場人物名はザンドラとマニュエルはそのまま使っているのですが、恐らく脚本をアテ書きで書いたからでしょう。

脚本を練る中でインスパイアを得るために想像を働かせたはずで、

妻 ザンドラ(語源はアレクサンダー大王)(役者名そのまま)

夫 サミュエル(語源は天使、神の使い)(役者名そのまま)

子供 ダニエル(審判をつかさどる神)

弁護士 ヴァンサン(ワインの血=神の血=神は自分の身を挺して我々を救った)

犬 スヌープ ”P.I.M.P”のリミックスにも参加するラッパー”スヌープ・ドギー・ドッグ”から取った?

となると、ダニエルの伝説は”王にやがてペルシャは没落してギリシャ世界に支配されると予言した”というものがあるので、物語の骨格はこういう風にできあがっていったのでしょうね。

 

ピンプとは「ポン引き」の意味で女の子に稼がせるために町でキャッチする”呼び込みする人”のことです。

いわゆる「ヒモ」みたいなものですうよね。働かないで「女性」に食わしてもらうわけですから。

私のブログのハンドルネームはピンピン。

これははじめて告白しますが〟PIMPIN'"から付けました。ここのブログはポップカルチャーに乗っかってそれを産み出すわけでもなくただ楽しむだけで文化的搾取をしているから「ポン引き」。

実社会においても自分がクリエイトしたのではないものを商品にして売り、そこから上前を撥ねて利益を得て生活しているという意味では、他人のふんどしで相撲を取っているわけで、ほかのどんな仕事と比べても威張れたもんじゃないという戒めとしてつけた名前です。

ところが本場米国での70年代の「ポン引き」は歓楽街では一流の風俗嬢を一杯囲って貢がせてド派手なファッションをして注目を集め羨望される現代日本で言えば悪徳ホストみたいなカリスマ的存在だったらしく、ヒップホップでも”ピンプ”といえばやり手なリッチマン、ピンピンといえば”うまく商売をする=うまく世渡りする”ような意味に変わって引き継がれました。でも「ヒモ」は「ヒモ」・・・でも「ヒモ」って女性が男性より稼ぐことを受け入れて食べさせてもらう生活に甘んじることを揶揄する蔑称ですよね。

さすがに“PIMPIN’”ではまずいのでカタカナにしてピンピン。

被告人はカタカナ表記なので英語での意味とは無関係です、という弁護人の声が聞こえますw

 

劇中では裁判でさえこの曲は爆音で流れます。”ポン引き”を劇中で何度も爆音でかけるという場違いで滑稽な感じは、『或る殺人』のパンティー連呼にも通じる”ポリティカル・コレクトネス”に翻弄されて表現の幅が狭くなっている映画界に一石を投じているな、とも思います。

 

生きていればお金のこと、教育のこと、家事分担ではケンカします。

でもデカい音量で音楽は聴かないよ!

そして私が死んでも家族は「クロ」ではありません。We Don't Know What You Heard About Us!

 

ちなみに私はこの映画の事件の真相は”クロ”だと思います。それは元ネタである『『或る殺人』へのオマージュとして扱うならそこを改変するのは勿体ないしメリットも感じません。

まあ、そんなことはこの映画ではもはやどうでもいいことだけど、その解釈で観るほうがずいぶん味わいが深くなってくるからです。