
『Don't Be Cruel』Bobby Brown(MCA)1988
ホイットニーやマイケルの曲が売れた裏側で、R&Bの世界は非常に大きな音楽の新しい動きによる地殻変動に襲われました。
それは、マイケルの『Bad』にすでに非常に意識した痕跡が残っています。アルバムジャケットのタイトルロゴの”スプレーアート、"Bad"PVの”ブレイクダンス”、これらは”ヒップホップ”と呼ばれる、ニューヨークの下町で始まった、新しい文化として、全米の、そしてやがては世界中の若者に、決定的な影響を与えます。
ヒップホップの音楽文化への影響は”ラップ”と呼ばれる、話すように韻を踏みなふがら歌うスタイルの流行に大きな特徴として見られます。このR&Bの特集ではそのHIP HOPは対象外としています。ですから時系列ではとらえ辛いかもしれませんが、この当時、すでにRUN DMCらの活躍によってHIP HOPは全米に浸透しはじめていました。
これは急速に既成のR&Bを時代遅れなものとして陳腐化させてしまう破壊的な力を持っていました。
このような時代の転換期に登場したのがニュー・ジャック・スウィングと呼ばれる、強いシンコペーションを伴う強靭なビートが特徴のサウンド。
瞬く間にR&Bを時代遅れの烙印から救う福音として80年代末~90年代初頭に大流行しました。
"Don't Be Cruel"
当時新進プロデューサーの御三家のひとつとして君臨したLA & Babyface(あと二つはJam & Lewis、Teddy Riley)のプロダクション。ニュー・ジャック・スウィングを取り入れながらも、往年のR&Bの泣きのメロディをきちんと持ったサウンドが売り。断層が生じたR&Bの世界をつなぐ橋渡し的な存在。
"My Prerogative"
プロデューサーとしてのクレジットはGene Griffinにゆずっていますが、Teddy Rileyの手によるナンバーで、ブットいビートと突き刺すように響くシンセサウンドは間違いなく元祖ニュー・ジャック・スウィング。この曲は全米1位を記録します。
"Roni"
メロディが始まった瞬間からLA & Babyfaceのものとわかるバラード。
"Every Little Step"
サビにいくまでは、本家テディ・ライリーにも負けないハードなニュー・ジャック・サウンドを展開しながらも、サビはいつものBabyface節を織り交ぜるというハイブリッド型のサウンド。
このようにして、R&Bは瞬く間にゴージャスなサウンドからストリート・ミュージックに舵を切り始めます。