米国の金融不安に対応するための法案が否決されたことで、株価が暴落しています。
恐慌か?との噂さえあります。
金融機関の倒産を避けるための税金投入と勘違いされがちな金融機関への資本注入。
過去にもこの印象による世論の反発を恐れて、資本注入のタイミングを誤り、傷口を広げる事につながった経験が人類にはあるのに、いまだにこの対策を迅速に採らない、もしくは取れない風潮があります。
日本のバブル崩壊の折も、この対策が遅れて、傷口が大きくなりました。
景気が後退局面に入ると、企業の業績に陰が差し、株価の下落が始まります。
この株価の下落によって、企業の資金繰りが悪化し、倒産の憂き目に逢う事業が出てくるのですが、
これは、資本主義の競争原理で見れば、ある意味必定で、産業構造の変化、市場の変化、競合他社との争いなど、それぞれ理由はあっても、人類資本の効率的な配分を促す意味では、裂けて通れないと私も考えます。
しかし、金融機関への資本注入については、分けて考えなければならないと考えるのが、私の考えです。
これは、なにも、金融機関だけを特別扱いしようというものではありません。
金融機関であっても、市場原理のもと、淘汰はあってしかるべきだと思います。
しかし、金融不安に直面するなかで、多くの企業、人民の持つ資産が、この金融不安によって大きな損失を被ることは、結局大きな混乱を社会全体に与え、市場の混乱が、国家全体の混乱に結びついてしまうからです。
古くから、「ヒト・モノ・カネ」が企業活動の管理上の大きな柱とされています。
ヒトが重体なら、本人の過ちがあるかどうかに関わらず治療を優先し、
モノがないなら、例えば不作が起これば、海外から輸入して充足を図ります。
しかし、こと、カネに関しては、状態が良い、悪いのコンセンサスが取りにくいことから、社会的な救済におけるルール作りが、非常に遅れています。
景気の後退局面が、政権の交代のタイミングになることほど最悪のことはないのもまた、過去の歴史を紐解くと分かります。
だれもが、選挙での人気が気になって、この資本注入がしにくくなり、タイミングを逃すのです。
米国の今回の法案の否決も、選挙が足枷になって、世論を押し切っての合意が出せなかったという形でしょう。
かつて、世界恐慌を引き起こしたNYドルの暴落ですが、本当の引き金は、それによっておきた、オーストリアにあった一つの銀行の破綻をふせぐ、資本注入ができなかったことにあると言う説が有力です。これが一気にドイツに広がり・・・世界にひろがってしまったと。
今回の米ドルの暴落も世界に影響をもたらすものになると思われますが、日本が本当の恐慌の引き金をひいてしまうことにならないよう、注意深く動向を注視する必要があります。
株価の暴落が問題ではなく
信用の収縮に問題がある
という言葉こそが、この問題を集約しているように思います。
そのときが来たら、何時やる、どのくらいやる、どのようにやる、という仕事は世界一の能力を持つ、官僚の仕事。でも「やる」と決断するのは日本でただ一人、今は麻生さんにしか出来ない仕事。