夢・目標・将来
自分はどう生きたいんだろうって。
何がしたいんだろうって。
夢を追いかけてる人を見るたびそう思う。
幼い頃の夢を追いかけた自分を思い出すたびそう思う。
羨ましくてしょうがない。
ひたすら夢を追いかけていたあのとき、
周りからそう言われてた。
いま、その気持ちがすごくわかる。
理由は何にせよ、不可能という他人の言葉を自分に押し付けて
夢を追いかけることをやめたことに変わりはない。
楽しく生きられればいいんじゃない?
それでもいい。
でもちょっと違う。
自分の理想の姿じゃない。
求めるものはエゴなのかも、自己満なのかもしれない。
けど、それでもいいんじゃない?
自分が本気で頑張れる、
誰が何と言おうと、挑み続けられる夢があれば。
将来それが失敗したら、
っていう考えを頭の片隅に持ってしまう自分がすごく嫌。
それじゃ、自分の思うかっこいい男になれやしない。
一度脱落したんだ。
何を学んだ?
いま何を思う?
もう二度と落ちやしない。
本当にやりたいことを、いつか必ず成し遂げるために、
いまを精一杯生きなきゃと思う。
リスクを考えても前には進めない。
自分に正直に生きなきゃ、楽しくない。
たとえそれが荒波になったとしても。
歩いてきた道を振り返ったときに
見惚れるような生き方をしよう。
いまこの瞬間から。
つれづれ
久しぶりの更新です。
台風が日本列島直撃になりそうですね。
各地の被害が最小限であることを祈るばかりです。
関東は明日でしょうか。
僕の住む千葉は、小雨こそ降れど、涼しく静かな夜です。
近所迷惑にならないように、小さな音でアコースティックギターを弾きながら、
ゆっくりと過ごす時間は、お気に入りの時間です。
原発の事故対応、注目度は低くなってきたものの、
毎日新聞に記事が載るように、日々その解決へ向けて努力してくださっているんだなぁ
と感じます。
責任を一手に背負う電力会社の、その先頭で働かれている方々の心労を思うと
脱帽です。
ふと思ったのですが、
原発事故の補償をするのは、本当に電力会社(と国)だけでいいのでしょうか。
確かに電力会社に大きな社会的責任は課せられるべきでしょう。
ただ…
原子力発電所・原子炉を設計製造したメーカーの責任は問われなくていいのでしょうか。
例えば、
航空会社が運航する飛行機が、定められている整備は確りと行っていたが
想定外の乱気流に巻き込まれ、翼が折れて墜落した
とすれば、もちろんエアラインが補償するのは当然ですが、
航空機を製造したメーカーにも責任があるのは明白ではないかと思うのです。
ちょっと主旨は違いますが、考え方としてはPL法みたいな感じで。
これに関して、何となくですが、国が産業を守ろうとしているのではないかと思います。
電力会社であれば、インフラということもあり、最悪のケースでも国有化も視野に入れて
最大限の支援を行うことができます。
一方で、これが電機・重工メーカー、競争が働く市場下の一企業であったとすれば、
これはなかなか政府が支援を行うことが難しくなります。
JALへの公的資金の投入で、その難しさは測れると思います。
パイの比較的少ない航空産業ですらそうだったのですから、
メーカーともなると至難の業となることは想像に難くないところです。
とはいえ日本を代表する大手メーカーが倒産してしまうと、
今の日本、経済にとってマイナスの要因となることは避けられない、失業者も出ます。
政府はこうした点を鑑み、倒産によるマイナスを打開するための底上げ・雇用への追加的対策をとるよりは、
そもそも潰させない対策を講じた方が効果が大きいと判断し、
敢えて矛先を電力会社、並びに政府にのみ矛先を向け、
設計・製造に関わったメーカー各社を守っているのではないか、と思うのです。
もちろん、全くの僕の想像に過ぎませんが。
と、こんなこともギターを弾きながら考えているのでした。
人生に必要なことはすべて満員電車の中で学んだ
以下、ある本の一節です。
人生に必要なことはすべて満員電車の中で学んだ
・人によりかからないこと
・足を踏ん張って一歩も譲らないのはハタ迷惑であること
・電車の揺れに合わせられるよう、体勢を整えておくこと
・どの手すりにつかまろうか、など、おおごとが起きた時の対処方法を考えておくこと
・普段は周りの人々と同じように揺られ、余計な摩擦を起こさず、でもあくまでも自分の足で立っていること
・行き先に着くことだけが大事なのではなく、車窓から風を感じ、季節と風景を楽しみ、
行き先に向かっているこの時間が、自分の全てであると知ること
生きてくうえでの教訓は、
どんなところからも学べるんだなと思ったのでした。
ぼけーっとしてるのはもったいないですね。
ぼけーっとしたくなりますが、ちょこっとがまんがまん。