Stay hungry, Stay foolish!! -18ページ目

伝えることの大切さ

「このくらい分かってもらえるだろう、分かってくれているだろう。」


という考えは甘い、言葉にしなければ伝わらない、ということを近頃痛感します。

ある人との距離感がつかめてくると、何となくその人と話さなくても伝わっているような気がしてしまうんですね。


「そろそろ自分のこと、理解してくれているだろうから、言葉にする必要はないかな」


なんて思ってしまったりして。

でもそれは大きな勘違いではないかと思います。



それから、言葉にするにしても、絶対に直接会って話した方がいい。

non-verbal communicationが果たす役割というのは非常に多いとよく聞きます。


たとえば電話だと目からの判断材料がゼロになります。

そうすると確かに、電話で話すのと、直接 face to faceで話すのとでは、大きな違いがあると感じます。

表情が見えるのと見えないのとでは大きく異なることは実感するところです。


声が低い人は、機嫌が悪く感じられてしまったり、会って話しているときは何の抵抗もない沈黙が非常に重い雰囲気を醸し出してしまったり…

冗談が冗談に受け取ってもらえない場合もあります。



プラスアルファで、伝え続けることの大切さも一緒に考えておきたいと思います。


感謝、愛情、喜びなどは、伝え続けた方がいいと思うのです。


たくさんの本にも書かれていることですが、そうした思いを伝えられる期間は永遠ではありません。

失くしてからでは遅い、というのは事実だと思います。


また、伝えつづけることは、人間関係も豊かにするんじゃないかと思うんです。

感謝を素直に伝えられる人って、僕は素敵だと思います。


感謝されて、嬉しいと言ってもらって、こっ恥ずかしくはなっても嫌な思いはしないものです。



「伝える」というのは、ときに一歩踏み出さないとできないものであるとは思います。

しかし照れやプライドを抱いていてもはじまらない、それでも伝えることが大事なのではないでしょうか。



言葉で表現してもらえない、というのは思いのほか不安を掻き立てます。

「伝え(られ)ない」ということは意図せず相手を傷つけていることすらあるのだろうと思います。



伝える大切さ、これから確りと胸に刻んでいきたいと思います。

量の重要性

僕もそうなんですが、何かを行うときに量より質を求めて長い間腕組みをしてしまう人がいます。


クオリティが高くなくては意味がない。


それが彼らのアウトプットに賭ける思いです。


しかし、ときに量は質をも凌駕します。



100%のものを出そうと期限ギリギリまで努力する、これが普通でしょう。

しかし、実際に100%はどれだけ頑張ってもなかなか出せない。


では、100%でなく50%のアウトプットとして、その10倍の速さで一度出してみるとどうか。


おそらく、提出回数を増やせる分、より必要なもの、100%に期限までには近付けるはずです。


そして、アウトプットが早い人としての認識をしていただけることが多いような気がします。



また、量は質を測る目を養います。


今本を読んでいて思うのは、大学時代にそこそこの本を読んできたからこそ、その本の良し悪しや自分にとって面白いかどうかが分かる、ということです。


高校までほとんど本を読まなかった僕にとって、大学に入ってはじめのうちに読んだ本は


「何か面白いし、こんなもんか」


という感覚でしか読めていなかったように思います。

それが面白いのか、自分に役に立つものなのか、あるいは駄作なのか。


価値基準が何もないのでさっぱりわかりませんでした。


しかし、ある程度の量をこなすと自分のものさしができるので、今思えば、少しずつその良しあしが分かるようになってきたような気がします。



先日書いた記事では、トップとボトムを経験すれば、その範疇を超えたものに反応できるようになるという気付きを述べました。


今日はさらに、チャンスを掴むための気付きとして、もう一つ付け加えようと思います。


「数をこなせばいつもと違うものに敏感になれる」


はずです。



The most important thing is...

生きる上で大事にすべきだと思うこと、


それは


好奇心を持ち挑戦する姿勢でいること。


日々同じ日常からは新しい発見や成長はなかなか見つけられない。

もちろん継続性の大切さは身にしみるほど感じるし、僕にそれが不足していることも自覚している。


でも、それははじめに来るべきものじゃない。

何かがあってこそ、突き進むべきものを見いだせてこそ、継続の力が光る。



人が、少なくとも僕が成長するとき、あるいは充実するとき、必ずそこには挑戦と気付きがある。


逆に日々のルーティンから抜け出せなくなると、どんどんと自分が埋もれていくような感覚がある。

チャレンジを求めてくすぶっているのは分かっている。



にもかかわらず、そのアクションを起こさずに受動的になっている自分にやきもきする。

社会人になれば変わる、とどこかで言い訳をしている節がある。

アツくなれるものがない、今は充電する時期だと。


いつから充電しているんだ?


与えられなければ、そういう環境を用意されなければ自分の力が発揮できないような甘ちゃんなのか。

アツくなるものは与えられるものではなく、見つけ出すものじゃないのか。

人を惹きつける人は、環境を自分に与える力をもつ。


必要なもの、それが挑戦しつづけることだろう?



今の自分の環境は幸せだと思う。

けれど、環境に甘えることと環境を活かすことは違う。


人生において精神的な現状維持は成長限界を意味するのだから。



自分を誇れるか。

第三者的にみたときに、自分は今の自分を尊敬できるだろうか。

魅力的だろうか。


その答えが、挑戦へと向かう自分の原動力となるはずだ。