一年以内の結婚を目指している方を応援している結婚相談所
Casa結婚塾のcasan(母さん)です。
結婚願望がない独身男性に、
結婚に前向きになれない理由を調査したところ、
最も多かったのは、
「結婚すると自由な時間が減るから」
という理由だったそうです。
何を大切に思うかの価値観は人それぞれですから、
大いに自由を満喫していただければと思う一方で、
現時点では「自由な時間」は重要かもしれませんが…
この先の人生においても「自由」の優先度は高いままでしょうか?
大切にしたいものは変化していくものです。
今の「自由」を手放したくないという気持ちがずっと続くとは限りません。
無力感、孤独感、不安感と言う「自由」の代償から逃げ出したくなる時が
来るかもしれないし、
、、、、来ないかもしれない。
エーリッヒ・フロムは、
自発的な活動によって、自分と世界を結びつけることができる人であれば、
自由の代償を避けられると、著書「自由からの逃走」で説いている。
「愛する」(対象は異性、一人とは限らない同性、複数のばあいもある)ことができる人は、
自由の代償に耐えられると。
※愛する対象は、自分以外で、自分の外の世界の全てに対する愛なので、
愛する=結婚と言うわけだはない
さて、
50年以上前でしょうか?
「我が良き友よ」
という、かまやつひろしのヒット曲
♪下駄をならしてやつが来る—♪♪
と、昭和の人なら口ずさんだことがあると思いますが、
♪女房子どもに手を焼きながらも生きている♪
この歌詞は、男の友情が描かれているよですが、
女房子どもに手を焼きながらも生きている
手を焼きながら
つまり、
自由ではないけれど、厄介事も受け入れながら、愛を与えている。
自由と比較にならないようなかけがえのない存在がいる。
それが、主人公の幸せなのです。
一カ月ほど前だったかな?
ある晴れた日曜日の夕暮れ。
西の空が夕やけに赤く染まってとってもきれいでした。
家の近くを歩いていた時、知らない親子でしたが、
幼い男の子を自転車の後ろに乗せたパパが、家路に向かって自転車をこいでいました。
虫かごやたも(竹の棒に網がついたもの)があったので、
男の子にせがまれたのか、パパが子供の喜ぶ顔が見たいからと連れ出したのか、
虫採りかザリガニ釣りの帰りだったようです。
その光景は夕焼け空とマッチしすぎて感動的でした。
何気ない日常の1コマなのに、これほど美しいものはないとさえ思った。
♪自転車に乗って奴が来る
前カゴに虫採りあみをぶら下げて
・・・・・
後ろにかわいい男の子のっけてやってくる
アー家で 良き妻よ
今頃晩飯の肉焼きながら待っている♪
そんな感じ
きっと、そうです
昭和よりももっと昔こと。
山上憶良が万葉集で
瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ
と、詠んでいました。
そして、
反歌では、
銀も金も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも
子どもと言う宝は「銀、金、玉」よりも優れている
父親は、いつも、子ども(家族)のことを想い心配しながら過ごし、
心の安息が得られないと感じることもあるが、
幼子は親を頼りにしている。
そんな子どもの存在は、父親にとっては、
これ以上の宝は他にないと思える。
親は、子どものためならどんな不自由も乗り越えられる。
それが「生きる力」となる。
自転車のパパは、独身時代に自由について考えたていたのでしょうか?
少なくとも、
今は、「自由」とは比較にならない、
自転車の後ろにいる男の子と
美味しい晩御飯を作って待っているママ
という、尊い存在に囲まれて幸せいっぱいの充実した日々を送っているのです。
・・・たぶん。
まったく、存じ上げない親子のある夕暮れのほのぼのとした情景。
最後までお読みいただきありがとうございました。