あけましておめでとうございますっ
1か月半ほどブログ・ネットから遠ざかっておりましたが、2016年また初めてみよっかな・・・と(^▽^;)
新年だし(^▽^;)
(ほんとは、お久しぶりーふとか、さらんと復活しよっかとも思ってましたが(^▽^;))
またお下劣ネタから哲学まで
(ほんとか)振り幅広く大ちゃんLOVEを梨汁のごとく放出したいと
思いますので、本年も宜しくお願い致します。
で、
11月12月、シーズン真っ盛りの中スケートは観ていました。
遠征はしませんがGPシリーズ、海外のナショナル等TVで見られるものはほぼ全て、
近郊では、全日本ノービスの大会も観に行きました。
1988年から始まったスケート好きは揺るがないみたいです。
それでも、大ちゃんのスケートがないとわざわざPCに向かって無いボキャブラリー捻り出して
活字にする意欲が沸かない・・・・。
私は、不思議なことに大ちゃんのいない競技会を楽しむことはふつーにできる。
でも大ちゃん自身の過去映像を追うのは切なくてですね。
今ここにいない。いつ帰ってくるか分からない。ほんとに戻る気があるのか分からない。
そんな状態で過去の映像を見る気にならなかったのです。
(だって切ないんだもん)
(この辺皆さんと感性が違うかもしれない)
時折見られるインスタは嬉しかったけど(ちが~~~うってずっと思ってて)
だから、クリスマスオンアイスまで、あまり滑ってる彼を見てません。
でも、クリスマスオンアイスであやつのスケート目の当たりにしましてね。
「ほんとは、東京住まいだし新横浜だけ観られればいいや。
でも、なみはやが客席埋まらない状態だったらどんだけ凹むことだろう」とか
「ニューヨーク留学中の高橋が凱旋公演!!(字面だけ見ると超かっこいい(笑))なんて花火上がっちゃって、高橋に恥かかせる訳にはいかん!」とか
「大阪初演で「おかえり~~~!!をおもっくそ叫ぶ」ミッション完遂せねば」とか
の心意気で、鼻息ぶーぶー言わせて言ってみたらね
それはそれは素晴らしかった・・・・
(あぁ、この人、新横浜の狭いリンクで滑る人じゃなかったんだ・・)
(天井までの余韻のある空間で
練られた演出と照明の中で
観客の悲鳴に似た歓声を十分に響かせることができる、こんな大きな会場の中で)
(全ての視線と感嘆を独り占めして滑るカリスマだった・・)
と、再確認できたのです。
正直、ここまでの作品を持ってくるとは思っていなかった。
シェイリーンの野望も見えましたねぇ。
これまで本人の演劇力もあってか、マンボ、(あっこちゃん)ウェストサイド、(羽生君)オペラ座等
人物像や具体像が見えるプロが得意かと思ってたけど
あれは、やっぱり競技用なんですね。
高橋ほどの素材を前に、競技では具現できない概念や抽象を
滑りで表したかったのか、と。
しかも、観る者に衝撃、と思わせるほどの感情の揺れや感情の硬直まで伴っていました。
私には混沌やもがき、目覚め、みたいなイメージが浮かんだけど
これはきっと答えを明かさないプロなんだろうと思う。
(あなたの感じたものが「それ」なんです、高橋らしいね)
ミヤケンのBorn on Christmas Dayも私は好きです。
ラクリモーサ(敢えてこの呼称でいく)観ちゃうと意見も様々みたいですね。
歌詞はとても宗教的なんだけど、メロディがラブバラードみたいだから
ラブソング仕上がりになっとりますが(;´▽`A``
でも曲のイメージには合ってたな。大ちゃんの温かい滑り。
愛とか感謝とかを感じられて
ラクリモーサで硬直状態にされてから、ほわっとじわっときちゃって
会場では全て号泣しましたよ。
((((こんなスケーターは他にはいないのよ))))
って
私の中にある答えは、常にこれなんだな。
こんなスケーターは他にはいない。
素晴らしいスケーターはたくさんいる。たくさんたくさんたくさんいる。
大ちゃんより上手いスケーターもたくさんいる。
でも、ここまで音楽に寄り添って作品の本質を極限まで氷の上に顕しながらスケートを滑る人を
「私は」かつて観たことがないです。
この人のスケートが好きです。
死ぬほど好きです。
だから、今年も頑張って応援しよ~~~っと。
やる気ぼちぼちでも職業スケーターでもかまへんかまへん。
滑ってくれてりゃそれでいい。
その先にまた黄金の道がずーっと繋がっていると
かた~く信じて止みません。
のだ!