こんにちわ。
「墓の魚」の作曲家です。

本日、新しいを書きました。

というわけで、本日は私の詩(歌詞)を二作品、紹介しようと思います。


 

ラテン楽団「墓の魚」難解と言われる理由の一つに、

作家である私が、ポルトガル文学
大きな影響を受けてしまっている・・という点があるのだと思います。

昔、日本人のファド歌手の方が、
[ポルトガルの詩は難しくて、実はファドの詩も、

どういう意味なのかわからないで歌っている作品も沢山ある(笑)]

と言っておりました。

 

確かに難しいです。

でも慣れかもしれません。

沢山、触れる事。

またキリスト教の知識があると

楽しめる作品はかなり多いと思います。

(南欧の詩は、大部分が信仰に関与した詩だったりするので)

 

現在、日本では、オペラ歌手の方や、クラシックの方ですら、

その歌詞詩人について、

ほとんど詳しくは知らない方が非常に多い現状です。

は日本ではあまり重要視されてないのです。

 

それでも文学的な詩の面白さというのは、

音楽には絶対に不可欠だと私は思います。

さて、私の詩の一つ目ですが、
大昔、アルゼンチンには「ナイフの決闘」というものがありまして
(恐らくイタリアなどにも似た様な文化はあったと思う)。
いわゆる、ナイフを使って決着を着ける二人の決闘なわけですが、
当然、一方は死ぬ事になるわけです。



今回の詩は、そういったコンパドリート(ろくでなし)が決闘で死んだ後、
そのは何を語るのか?

という事を考えていたら、出てきた作品です。

作品のタイトルはスペインウナムーノの詩の一文より拝借。

作中の地獄の描写は、

イタリアダンテ神曲からの影響が大きいかもしれません。

 

↓↓

 

魂の闇夜 Noche oscura del alma

黒実音子

 

おお、見よ、地獄の罪人共を!!

崇拝と、無知の罪で泥に顔をうずめ、

自らの外套の紐をきつく縛り、

息も出来ず、もはや何も見てはいない

 

おお、見よ、俺の罪が

俺の腸から這い出たカニが

盲人の血の決闘の結末だけを

捕食者の眼で讃えている

 

俺は名誉(オノーレ)に縋りつき、

魂の闇夜に酔い、

救いに唾を吐く、

稚拙な死んだ魚さ

 

■■■

ああ、それでも許されたくて光を!!

求めて、天を仰ぎ、苦痛にのた打ち回れ!!

泥も、汚濁もついたこの歪な肉体に、

結局は、いつか来る救いを求めるのだろう

■■■

 

おお、見よ、地獄の死者を!!

汚水の雨に打たれ、ただ這い回る男共を!!

鋭い目だけ見える女の亡者が、

雨や、霊や、過去の全てを笑っている

 

おお、見よ、俺の罪が!!

淀んだ泡となりホテイアオイを育てる

巨大になり過ぎたその草は、

醜悪に過食の王として聳え立つ

 

後悔は蛆となり、

俺の心臓を喰らい、

蠅となって飛び立ち、

子供の様に泣く

 

■■■

ああ、それでも許されたくて光を!!

求めて、天を仰ぎ、苦痛にのた打ち回れ!!

泥も、汚濁も、ついたこの歪な肉体を、

結局は、いつか主よ、許してくれるか?

■■■

■■■

誰しもが救われたくて神を!!

求め、歪んだ道を光探して

血にまみれ、盲となった鴉に、

いつか、ただ光だけが注ぐだろう

■■■

■■■

おお罪よ、人よ、神よ!!

才に溢れた他者よ、辛辣な師よ

この目に写る他人の全てが、

自分の魂の写し絵なのだろう

■■■

■■■

ああ、それでも許されたくて光を!!

求めて、天を仰ぎ、苦痛にのた打ち回り

泥も、汚濁も、ついたこの歪な肉体で、

結局は、永久に神を願うだろう

■■■

 

なら結局は、俺はこの世界を愛すのだろう・・・

 

↓↓↓

二作品目はこちらです

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