こんにちは♪
「墓の魚」の作曲家です♪
私は作曲家ですが、オリジナル曲を作っていながら、
たまにコピー曲がやりたくなります。
(マタイ受難曲とか♪)
それは、自分の曲には無いものを
他人の曲が持っているからでしょうね。
もちろん、自分の曲には自分の色があるのだけど、
だからこそ、自分の曲に無いものを
他人の曲が持っていたりするのです
まぁ、こればかりは仕方がありませんね。
人は他人の持っているものを
欲しがるようにできているのですから。
さて、
そんな事を考えていると、
私はある人物を思い出すのです。
チャップリンを超える
売れっ子喜劇役者でありながら、
チャップリンの世界観に、
自分の持っていないものを見つけ、
どうしてもそれを欲しようとした為に
自分を見失い、没落していった
道化師ハリー・ラングドン。

そう。彼。
そもそも、バスター・キートンも、
ハロルド・ロイドも、
チャーリー・チャップリンも、
ハリー・ラングドンも、
同じ喜劇役者でも、道化の性質はみんな違いました。
だからこそ、彼等は
物真似じゃなくて、
四大喜劇役者と呼ばれていたのです。
だけど、チャップリンの作品は、
あの時代にしては、
特殊性が目立つ作品の作り方をしていたのですね。
動いている機関車の上を走ったり、
ビルからぶら下がったりして、
体を張った笑いをとるキートンや、ハロルドと違って、
チャップリンは喜劇に、
悲しみと、哲学を混ぜたからです。
なるほど、そういった物は確かに
新しいし、現代的。
賛美されやすいです。
でも、だからと言って、
その他の古典的な笑いが、
チャップリンの作品に比べて劣るとか
そういうものではないと思うのです。
ただ、多くの人に
賛美されやすいというだけの事。
そして芸術とは
「賛美の数」が全てではないのです。
だって、チャップリンだって、
無声映画の時代の終わりと共に、
最後には忘れ去られてしまうのですから。
だけれど、天才は時として、
そういったものに振り回される。

ハリー・ラングドンは、
チャップリンに憧れるあまり、
チャップリンを意識するあまり、
古典的な喜劇である自分の良さを見失い、
チャップリンの真似をして、
結果、みるみる人気が下がり、
舞台から消えていきます。
賛美の数や、売れ行きは、
資本主義の世の中な以上、
確かに避けて通れない道なのだけど、
そもそも芸術とは、
そういった時代の風潮のようなものの為に
作られるようではおしまいなのです。
だから、他者に憧れる時は、
ほどほどにした方がいいよ。
憧れの中に、ちょっぴり生意気な反抗心を
持っている位が芸術家には丁度いいと思う。
それでも、人は惑わされる。
他人の光に、蛾のように吸い寄せられてしまう。
見失ってしまう。
自分もまた光っているのにね。
人生とは、ただひたすら
自分の光の輝きを見つけ出し、
追求していく事に価値がある。
マスコミや、評論家は、
さも、特別な人にだけ、特別な光があるように言うけれど、
それは罪な間違いですね。
誰もが喜劇役者なのです。
人生という舞台の。
ならば精進しましょう。
自分だけの滑稽な道化のステップを。
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