長く同じジャンルを担当していると、
年に数回しか広島に来ない出版社の営業さんとも
親しくなるものである。

私の何代も前の担当者の頃から広島を回っているのは
もう唯一となっていたその人が、ついに広島担当を
外れるというので挨拶をした。私は5年の付き合い。

目立ちもしなければ、ありふれていそうな1冊の本を
その人とともにコツコツと売ってきた累計を見ると、
他の店とは桁が2つも違っていて、
この本は一生置いておきますという言葉を餞にして
最後の商談を終えた。ちょっとしたドラマである。





当たり前のように桜が散って緑がしげっていて。
それに気づいたのは今朝の早朝出勤の時のこと。


そう、早朝からひそひそと資料を見直していたのだ。

今回は結構準備したし、完璧にできる予定だった。
ストーリーの組み立てもそれなりに説得力があって
万全な態勢でのぞんだ会議の発表は――。


40もの店舗の店長を前にして高々と唱うように、
毎月、私を含め4人のバイヤーが指示を出す。

言ってみればおっちゃんばかりが並ぶ会議室で
小娘的な私は最初こそガチガチになっていたが、
5回目ともなれば肝もすわってくるもので、
今日だって質問も出ないくらい言いくるめてやると
意気込んだ矢先である。


兄やんがこちら側に座るようになったのは先月からで
2度目にしてあの熱弁を振るわれたら、誰だって
圧倒されてしまうはずである。

あわやスタンディングオベーションでも起きようかと
いう勢いだった。実際には起きなかったけど。


大業をなし終えたごとく汗だくの兄やんの隣で
私はすっかり自分の発表のことなんて飛んでしまって
雪崩のような発表に呆れ笑われる始末であった。



元祖ソウルメイトは夜に電話をかけてきた時にも
まだ興奮している様子だった。
「すごかったね!あのあとだったから前田さん
あんなダメになっちゃったんでしょ」と
またケラケラ笑ってひとしきり称賛の意を述べた。

本人に言ってあげなよと言うも、恥ずかしいらしい。
乙女な草食系男子なんだから。




私は、来月こそとリベンジを誓ってみたものの、
こんな時間に帰る私よりもはるか4時間くらい長く
残ってせかせかと仕事をしている兄やんには
とうてい敵わないのも、当たり前なのかもしれない。


それでも今日はいい夢が見られそうなのである。
急激に温かくなり、店内を走り回ると汗ばむほどだ。

それをいいことに、久々の休日、山口県は由宇にて
太陽の下、カープの2軍戦を観戦したら
見事に日焼けを先取りすることとなった。

平日の昼間に、しかもあの辺鄙な山奥の球場だから、
観客は私たちくらいだろうとイメージしていたけど、
着いてびっくり、300人はゆうに超えていただろう。
カープの人気か、メジャー帰りの井川目当てか、
若い人の姿も目立っていた。


3桁の数字が並ぶ背中をずらっと眺めていたら、

1軍にいるということ、たとえ代打でも代走でも
スタジアムで電光掲示板に表示されるということが
どんなにすごいことかと思えた。

普段はいっちょまえに野次を飛ばしたりするくせに。
プロとは厳しい世界なのだ。


舞台は違えど、第一線で仕事をさせてもらっている、
くじけてる場合ではないな、まだ頑張れるよと、
私もお尻をたたかれたような気持ちになった。




「お前はいつも一人で何とかしようとするんじゃ、
もっと人に頼れーや」

と、昔だれかに言われたことがあるのを思い出した。

思い出したもなにも、いまだに私の最大の課題であり
どう打破するかが今後のバイヤー人生を占う“鍵”に
なるんじゃないかと思う。


環境が新しくなったときに、変に殻に閉じこもる
というやっかいな癖みたいなものがあったりもする。

でも今日、「生まれ変わったみたいに違うね」と
言われそうなイメージができてしまったので、
来週の会議で勝負してみようと思う。

兄やんがヒントをくれたから。





侍マンがついにFacebookをはじめてしまった。

侍マンが、侍マンが、とおもしろおかしく書いてるの
怒るかなぁ。

迷惑メールがきりなく来るようになり、たまらなくて
アドレスを変えた。

本当に10分の間にもすごい件数だったものだから
一刻を争って思いつきで作ったアドレスだけど、
助太刀会の名前を入れられてよかったなぁと思う。




助太刀会の命名者は今、メンバーの中でひとり
遠隔地の店舗にいる。


常に連絡を取り合っているので気づかなかったけど、
よっぴーが九州に行ってしまって15ヶ月経っていた。


あの時の悲しみといったら壮絶なもんで、
最後の日を泣かずに過ごせたと思ったら次の日は
休みだっただけに、1日泣いて過ごしたという、
それも、しくしくという程度ではなく、
息がとまりそうなくらいの号泣である。

兄やんが東京に行くときはそうでもなかったけど、
元祖ソウルメイトのときはやっぱり大泣きだった。
同級生って偉大だなぁ。




よっぴーは、双子ちゃんのパパで、腰が低くて、
サラリーマン気質で真面目。
不満も弱音も吐くけどいつも笑っている。
そして、どんな相手でも敬語をつかう、いつまでも。

兄やんが一番手放したくなかった弟子かもしれない。



店は、そりゃあひどいもんだったけど、
私が命をかけて統括している教育書フェアだけは
あまり文句のつけるところがないくらいに
やってくれていたので、涙もんだ。

その他のところは、私も知恵と力を振り絞って
何とか協力していこうと身の引き締まるおもい。




「マンハッタンを買って帰るの!」というと
「自分、払います」と言って聞かなかった。

このマンハッタン、もったいなくて食べられない。
かもしれない…。
それより、私のこの熱い想いでチョコの部分が
溶けてしまいそうである。


再会したときは特に久しぶりという感覚もなく、
昨日までも一緒に働いていたように接していたけど、
「じゃ、お疲れ様です」って言って帰る距離が、
県を二つもまたぐものだと気づいた帰り道は
やっぱりちょっと寂しくなった。


でもそこにちょうどよく侍マンからの電話が鳴り、
マンハッタンを買い占めたよと報告をしたら、
「えっあれそんな美味しいもんじゃないけど?」と
サラリと言われて笑ってしまったところである。

侍マンも、そういえば元祖ソウルメイトも、
九州の出身だ。カシワギは東京、私はえひめ。
ちなみに兄やんも愛媛。

広島人が一人もいない巡り合わせも何だか面白い。


明後日は、侍マンのいる店に行かないといけないし、
辛いときに差しのべてくれる誰かの手のように、
そういうときにそこにいる理由があるということは
本当にありがたいことだと思う。


それに、帰る前に寄り道した博多駅の本屋さん、
ハイソでハイセンスで楽しい本屋だった。
こりゃ、人手が足りないなんて言ってる場合じゃない、
帰って兄やんと語り合わなければと、そこの棚を
一生懸命脳に焼きつけたんだから。

やるべきこと、やれることはまだまだあるぞ。