7月だというのに、夏をいまいち感じられない。
梅雨が明けるのは中旬も過ぎた頃だそう。




明らかに私だけ異様な量の仕事を抱えていて
遊ぶ時間をなくしてなけなしの睡眠時間を削って
今にも発狂してやろうかという状況だというのに
「あいつまた機嫌わるいで」
「まぁ放っといても大丈夫でしょ」
という声が聞こえてきそうな周りの空気を
私が読み取っていないはずはなかろう。


まったく、やってられない!と思ったときに、
図ったように助太刀会の同志たちから電話がきて、
この人たちがいるからまだ頑張ろう、と
気合いを入れ直す日々の繰り返しである。



第一便は、スリーKの長男カシワギで、
「前田さん、花火しよう!」という魔法の一言で
一発で元気にさせる。
夜明けの花火をしてからちょうど5年。
あれが私たちの友情のはじまりだった。


直後、次男こと元祖ソウルメイトからの電話では、
「僕、前田さんのいいところ言ってあげるよ」って
言ってくれたはいいけど10秒経っても出てこず、
適当に「館内放送がじょうず」とだけ言って
やはりあとは自分のことばかりしゃべっていた。


助太刀会、遠隔地代表のよっぴーは夜の11時、
コンビニで買ったざるそばをさぁ食べようとした時。
改装の相談にのってほしいから図面送りますと言って
ケータイに送ってきた改装図面を撮った写真が
見事に反射して光っていた。笑わせてくれるヤツだ。
結局1時間以上、食べれないそばを前にして
あーでもないこーでもないと二人の頭の中で棚を作り
それはそれで楽しかったのである。



持つべきものは、やはり同級生の同僚だ。
私にはもったいないくらい、個性的にいい奴ら。




と書いてきたけど、仕事だって嫌なわけではない。
店舗の、私のジャンルのスタッフさんの数が
4分の1になったのでそうせざるを得ないのだけど、
新刊を出し、売れたものの補充をし、フェアを出す。
久しぶりに1日中、棚につきっきりで本を触るのは
やっぱり楽しかったのだから。


天職だなんて大それたことは到底いえないけど、
この店のこの棚と顔を付き合わせて丸5年。
6年目は、だからこそできることをやろう。





久々に薬を飲まずに過ごせた今日の終わりは、
こんなことを思いながらビールを飲んでみる。

私はこの働きかたを選んでいる。
いろんなことがうまく噛み合わなくて仕事がいま
ものすごく大変になっている。


3週間一日も欠かさず店に行った結果がこれだ。
久しぶりの休みは、寝たきり起き上がれなかった。

いつか突然ドッと疲れが体にくるときがあるよと、
久々に話した人から言われた矢先だった。


なに食わぬ顔でたまった仕事をしていたけど、
残業は、いつもの半分くらいしたところで
もうどうにもフラフラして頭が働かなくなったので
急務だけ済ませてさっさと帰った。


途中、たまらなくなって元祖ソウルメイトに電話。
話を聞いてほしくて電話してるのに、いつも奴は
自分の話したいがままに延々と喋り続けて
自分の用事を見つけるとさっさと切ってしまう。
私も聞き終わるとなぜかそれで満足してしまっていて
いつのまにか、いつもいつのまにかそうなのだ。


まぁ、この会社の同い年では一番付き合いが長く、
苦楽をともにした同志のようなもんである。
こいつのいない書店員人生は考えられない…
といったら大げさかな。




とにかく、最近はカープの試合もリアルタイムでは
ケータイをつつくくらいしかできないし、まぁ、
見るほどの試合でないことが多いのだけれど、
今年はまだ2回しか球場に行っていない。


えーと、結局何を書こうとしたんだっけ。
とりあえず、今日は本も読めないし、
まだ胃がムカムカするということだっけ?



「前田は血を吐いてもしごとしてるって、僕、
いろんな人に言おうっと」
って子分…元祖ソウルメイトが言っていたのを
止めないと。今の仕事やりたいからね。
荷が重いなんて思われたら大変だ。
今の実家が建てられたのは6年生にあがる前の春。

小学校最後の1年と中学3年間をその町で過ごしたら、
高校は市街地まで出ていたし、大学はこの広島へ、
カープを求めてさっさと出てきてしまったので、
その土地には愛着もなければ幼なじみもいない。


弟は私より4つ年下だけあって、やはりそこが
ふるさとなのだろう。休みの度に帰省している。
かといって誰と会うでも出かけるでもないようだけど。
この間なんて、両親が広島に遊びにきたときに
珍しく誘いに乗り、就職先の名古屋から出てきて
一泊したあと、広島からなら新幹線1本で帰れるのに
両親と一緒にいったん愛媛に帰り、そのまた次の日
乗り継ぎの多い道のりを1日かけて名古屋まで
のそのそと帰ったというのだから。

あるいはそれは、今まで邪険にしてきた母と
少しでも長く一緒に過ごしてあげようという
親孝行だったのかもしれない。
言うまでもなく、母は見るからに嬉しそうだった。





気づけば母が結婚した年に私もなっている。

帰ってきたら?とことあるごとに言うくせに、
たまに、ごくたまに、年に一度あるかないかだけど
仕事で行き詰まったり嫌なことがあり、
帰りたい、と泣きそうになりながら弱音をはくと、
「あんたいつも強気なのにどうしたの」と笑って
突き放す。

そんな次の日は意外にケロッとしているもんで、
またいつものように「帰ってくれば?」と「嫌だ」の
会話になるから茶番である。





広島で私がよく一人で飲みにいく店が2つあり、
来たら連れていってあげるねとは言っていたけど、
母の荷物は着替え類はそこそこに、一番大きな紙袋が
その店の人たちへのお土産だったところが、
田舎の人だなぁと思わせる。苦笑いもんである。

そして残りは球場での野球観戦用の食べ物たち。
保冷バッグからポッキーやらじゃがりこやらを
自慢気に出してくる姿は遠足にきた子どものよう。
だけど、朝にせっせと握ってきたというおにぎりには
その懐かしい味に涙もんである。
それで船に乗り遅れそうになったという話には
あきれて笑ってしまったのだけど。


帰りは、港まで見送りに行ったつもりが、
1対3の別れがあまりにも寂しくなって、
船を待っている間に私が先に帰ってしまった。


そして、あれから1週間以上は経っているのに、
私はまだホームシックの真っ只中にあり、
どうにか連休をと目論んではみるものの、
結局次の帰省は祖父の米寿のお祝いがあるお盆まで
お預けになりそうだ。




ほんとうに、あの土地には愛着がないのだ。
6歳まで住んでいたのもここ広島であるし、通算16年、
いちばん長く居座っている大好きな広島からも
やっぱり愛媛を想う。

ふるさとってそういうことなんだろう。