怒江のコーヒー園 | handa pandaの珈琲探訪

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日本人が作ったブラジル珈琲カルモシモサカを輸入、上海初の店頭焙煎珈琲店、珈露夢を立ち上げ、上海繁田珈琲焙煎倶楽部をつくり
さらに日本独自の文化ネルドリップ珈琲普及のために社団法人日本ネルドリップ珈琲普及協会を2016年8月に設立しました

4f86d99c.JPG前回目にとまった珈琲の農場はミャンマー国境ちかくにあります。ヌージャンパーという珈琲産地の中心に宿をとり朝9時に出発。怒江という名のとおり怒ったような濁流、乾季といいながらも豊富な水量、このような大きな川で速さと水量がある川はいままで見たことがない、まるでよくアドベンチャーものでよくある大きめのボートに数人でライフジャケットを着て川くだりをするような、切り立った渓谷がずっと続く怒江。怒江を左に見てひたすら南へ下る。途中から路は舗装がなくなり、石を敷き詰めた路になる。日本のスバルのような軽ワゴン車は60キロぐらいでひた走る。たまに腰にがんという振動やあたまを天井にぶつけそうになる。この路は第二次世界大戦中、南から進軍してくる日本軍を迎え撃つためアメリカが費用をだして作ったもので当時多くの中国人が亡くなったという話を2度聞いた。中国で初めて戦争の話が話題になりました。(あまり日本人にはいい印象をもっていないのかもしれないとちょっと感じた)途中の村で昼食をしてさらに車は南へ、コーヒーの木はほとんどない昼食をしてから20分走ったところではじめてコーヒーの木を目にした。大きな規模で植えてから5年以内という感じのコーヒー園、雨量が少ないためかあまり元気がない。ここからは道の近くにほとんど住んでいる人がいないとのこと。「この対岸はもうミャンマーですよ。あと15キロぐらいです。」運転手がいう、時刻は1時30分、前の車がきゅうに止まり、道路は工事中、工事終了(午後6時)まで通行止め。「えっここまで来ておしまい、引き返すの?」と思いきや電話連絡で反対側まで迎えにきてもらうことになり、軽ワゴンは工事現場において置き、とぼとぼ歩いて反対側へ、待つこと20分2トントラックで農場長が迎えに来てくれました。今まで近くにあった怒江はだんだん離れてというか小さくなっていき、うなりを上げてトラックは最後の登りを終え、午後3時30分無事ヤークエの農場に到着、農場は雨不足のせいか花は咲いているのですが葉すくない。養豚をしているので糞を肥料につかっているいるということで、消毒はほとんどしていない様子。標高1300メートルに流れるさわやかな風、農場からは眼下に小さくみえる怒江がみえます。対岸ミャンマーと中国のあいだに長く続く怒江渓谷の雄大さにはすばらしいものを感じます。ここからは怒江の激しい流れはわかりません。ゆっくり流れているようにみえます。ちなみに怒江はわずか数キロで終わり、国境を越えるとメコン川になります。