相変わらず
忙しい日々を送っている
みんな大好き『おつち』
ですけれども
(↑メンヘラ爆誕!)
こちらはアスファルトが
見えてきております
もう春の足音が
聴こえていると言っても
良いだろうと勝手に私は
太鼓判を押しています
(↑わりと◯語!)
落語から
車を運転中たまぁに
落語を聴いたり
してるんですけれどね
その中で
こんな話が出てくるんですが
あいつはさぁ
俺より頭がいいんですよ
(中略)
なのになんであんな
宗教にハマっちまうのか
どう考えたって
あの教祖とやらは
頭があいつより良くないよ
なんなのかねぇ
自分をまるごと理解して
くれるもんが無いと
あいつは持たない
っつーのかねえ
俺ですか?
俺はそんなの
ごめんですがねぇ
という話なんですよ
まるごと理解してくれるもの
この立川談志さんが
言ったまるごと
理解してくれるもの
この言葉が私は
引っかかるんです
これねぇ
大多数の人が
求めてるのと違いますかね
それがマンガなのか
異性なのか宗教なのかの
違いはあるんですが
何かを通して
自分を理解してくれるものを
探しているのが
人間なんでしょうか
自分はどうか
私はどうかというと
昔は有りました
それで段々とわかってきて
ああこれは外側には
何も無いなぁという
感覚が出てきました
今はどうか?
自分が何を通して
自分を理解されたいと
思っているのか
そんな事を
自問自答するクセが
出てきてですね
気が付くんですよ
今、こうだなとか
そうすると
そのままの自分がわかるので
自分で理解しちゃう
わざわざ自分を
人に理解してほしい
まして、何かにまるごと
理解されたい
という気持ちが
湧かないんですよね
さいごに
みんなが
自分と同じ訳では無いから
一般的とは言えないのは
わかりますが
私は残念ながら
そんな人間なんですよ
自分をまるごと認めるのは
人ではなく自分だと思っています
紆余曲折ありで...
(;´∀`)
ということで
また、お会いしましょう😉✋