ひとつふたつ懐かしい記憶を萩原健一さんの歌を聴きながら... | 時代の片隅で...

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70年代や80年代のレトロなものが好きです。
日々思うことを書いていきたいと思います。

みなさまごきげんよう

一つ前の記事で書いたんですが


雨の1日の今日
ショーケンこと萩原健一さんの
懐かしい歌を聴いていたら

もう少し歌を聴きたくなりまして...



古い話で恐縮  1975年 



古い話で恐縮だけど...


と、この歌を聴きました






誰に語るでもなく

こうして書いていますが


私の若いときというのは

恥ずかしい思い出や

意気がっていたり

生意気なもんでして


いつも劣等感の塊が

冷たく心の中に重たく沈んでいる

感覚がありました


劣等感が強いので

格好もつけていましたし

キザなことも随分

吐いたと思います


すすきのを夜になると
毎日のように
先輩と二人で飲みに行って
いや、連れていってもらってました

なんでかスカジャンにジーンズ
という格好が好きで
まるであの『傷だらけの天使』の
アキラ(水谷豊さん)みたいな
格好でしたね...


※画像はお借りしました

(水谷豊さんかっこいいですね!)



兄貴のブギ  1975年 


とはいっても

私は先輩に対してきちんと

敬意を払っていましたし


もう小上がり上がったら

靴を揃えて...


灰皿は3本吸殻溜まったら

交換したり...


なんかそれが礼儀だと

思っちゃってました



それから先輩からはよく人生を

教えてもらいました




『おつち』簡単には喧嘩したら

ダメだぞとか

言いながらも先輩の方が

喧嘩っぱやいじゃんと

思ってましたけど...


とにかく二人ですすきのに

繰り出していたものです


私は400円で一週間生活

するほど貧乏なこともあって

実はご飯を食べさせて

もらっていたという

所もあって...アハハアセアセ

感謝しかないです!



69で74  1975年 



親から逃げるようにして

初めてアパートに住んでいた

若いときを思い出すと

自分はなんでこんな風に

なったんだろうか?


とにかく『ろくでなし』だと

自分を蔑んでいました




でも、そんなことから

正面切ってぶつかれない若い

私はよく酒を飲んで酔っては

自分を誤魔化していました


やっぱり

おいそれと身の上話が

できるほどの人もいなかったし

ずっとこういう大事な

話を一人で抱えて

酒を飲んで憂さ晴らしを

していたんですよね


そのうち人と会うのが怖くなって

酒を飲まないと

いられなくなって

しまいました

ホントにみじめなモンです




※画像はお借りしました

(萩原健一さんワンカップ大関!)


ぐでんぐでん  1981年 


酔っ払いの一丁できあがりっ

と言う訳で私はよく

すすきのから狸小路を通って

地下鉄に乗るんです


ぐでんぐでんになって

真っ直ぐ歩けないで

ひとりヨタヨタしながら

心の中で泣きたい気持ちでも

どこか醒めて自分を

見ていた気がします





ああ、朝起きたら知らない

天井が見えて

こっそりと玄関を出ることも

ありましたね


外に出てhi-liteを咥えて

ゆっくり昨日の記憶を

思い出す頃には

地下鉄の駅から乗り換えで

札幌駅に着いたりして


朝の通勤ラッシュの波を

逆に歩く二日酔いの私は

地下鉄から吐き出された

スーツの波を掻き分けて

その地下鉄に乗って

アパートに戻るんです


恥ずかしいけれど

私はきっとこの波に乗るような

タイプじゃないなと

思ったもんです



さいごに 


ちょっと自分を振り返りながら

音楽を聴いてみました

あ、そうでした...


当時、どんな曲が世の中で

流行っているのか

全く分かりませんでした

もう浮世離れしていたんで...ハイ



ということで

お付き合い

ありがとうございました


また、お会いしましょう😉✋