おつちが解説 韓非子 その5 | 時代の片隅で...

時代の片隅で...

70年代や80年代のレトロなものが好きです。
日々思うことを書いていきたいと思います。

みなさんごきげんよう
『おつち』です。



韓非子シリーズも5回目になりました。
いつもご覧下さって、ありがとうございます。



『おつち』の個人的見解で
『韓非子』を解釈してしまう企画です。
違うなぁというところが
あるかもしれません。
そんときは、すみませんね😢





今日のことば


ニヤリ
 

足るを知る

之(これ)を足ると為(な)す。


満足することを知るということが、
真の満足である。


という意味です。

韓非子のいつもらしい
厳しさがあまりしない
言葉ですが...

老子も似た言葉を
言っていますね。
しかし老子は結構難しい
解釈のところがあります。

人間の欲というのは
満足する事を知らないと
どんどんエスカレートして
最後はコントロール不能になって
自滅してしまいます。


確かにそのとおりですが...


ここからは私の解釈。
(≖ᴗ≖ )

そもそも欲というのは飢えてはじめて
生まれるものですよね。
無いから欲しくなるんです。

もしも
実はお腹が減っているのに
全然違う飢えを満たそうとしていたら
いつまでたっても
満足する事はない。

これは今の社会において
ほとんどの人間が
そうなんじゃないか?
と、思うことがありましてね。


例えば

結婚したいから合コンしているんだけど
全然モテナイから困っている。
今度は医者が集まる合コン行こうと思うけど
いい相手が出てくるか
不安だ的なことを
ずっと繰り返しているうちに
40代になってきて、子供がほしいけど
相手がいない。

とか、ありそうなネタですがもやもや
そんな問題があったとします。

そもそもこの悩みの人は
結婚とは自分を満足させてくれる
相手がいて
それを求めようとしているところが
間違っていますが気がつかず
同じ失敗を繰り返して
いるんですが
その失敗から学んでいません。

人は自分を満足させてくれないんです。
だから満足の方法が間違っていれば
無理なんですよ。

人っていうのは人を通して
自分がする解釈に
納得する生き物ですから。

解釈を自分がしているのに
相手が満足させてくれるもの
という受容的な考え方では
いつまでたっても
満たされませんよね。



本当に飢えていることに
気がつくこと

それが満足することの答えだと思います。






韓非子いかがでしたか?

はい、今回はここまでと致します。
また、次回お会いしましょう。

寿司ありがとうございました寿司