(その2)の続きです。
帰国後も勧誘される度にその宗教を学んで自分なりに分析してきました。
宗教として始まる前にイエス・キリストやブッダは実在し、人々に教えを与えていて、その偉業を伝授するために弟子たちが布教活動をしました。後日、宗教が政治として利用されて人々を支配するツールとなり得ることも知りました。
最終的に理解したことは、人間の心には「支え」が必要だということでした。当たり前と言えば当たり前のことなのですが、「支え」を他者に預けたり、失ったりすると人間は腑抜けになってしまいます。「支え」は自分の内側に必要なのです。その「支え」があれば、私たちは常に自由でもあります。
生まれた時から愛されて育ってきた人には確固たる「支え」があり、それが自己肯定感に繋がり、自分を信じ、他者を信じることができます。その「支え」に宗教が関連づいている時、人はその宗教の神を崇めるのです。神への感謝と共に。
それぞれの宗教にそれぞれの名前の神がいるけれど、自分の神のみが唯一絶対であるという思想から離れて、どの神も皆信仰する人にとっては唯一絶対なのだから、その事実を認めればいいのです。皆、それぞれがそれぞれの神を崇めていいのだから。
生まれた場所で肌の色が違うように、それぞれの宗教も生まれた場所に根付いているのです。
八百万の神を信じる日本に生まれたので、それを受け入れることは割と容易いことでした。
私の信仰は幼い頃から神社に参拝していたことが基盤となっているのでしょう。自然の中に見出す神々しい空気を神として崇めます。山の頂上にも、森の奥にも、その空気に触れる瞬間があって、そこに神を感じるのです。神を感じる時、体の奥から感謝の気持ちが溢れてきます。自分本位に生きている感覚から離れて、生かされていることに感謝する気持ちが生まれます。
樹木に神が宿ると信じるケルトにも興味を持ちました。ネイティブ・アメリカンの宗教観も大好きです。自然を尊び、自然と共鳴して生活が成り立つことは人間の本能だと思うからです。実際に自然を大事に守ることは自分の命を守ることに繋がります。
信仰は尊いもの、と思います。
宗教は自由でいい、と思います。
さて、今日のお客様は2回目のお客様で、今回はお母様とご一緒にいらっしゃいます。今年度、もう一つ小屋を作って本当に良かったと思います。
今日は台風の影響でずっと雨ですが、雨は浄化。台風の最中ではありますが、心は清々しい朝を迎えていただけることを願います。