Turmuhammet(トゥール ムハメット)のブログ -9ページ目

Turmuhammet(トゥール ムハメット)のブログ

東トルキスタンは、テュルク(突厥)系民族が居住する中央アジアの地域、すなわちテュルクの土地を意味するトルキスタンの東部地域を指す地域概念。現在では中華人民共和国に占領され“新疆ウイグル自治区”と呼ばれる。“ウイグル”とも呼ばれる。

于今日泰西通行诸学科中,为中国所固有者,惟史学。史学者,学问之最博大而最切要者也,国民之明镜也,爱国心之源泉也。今日欧洲民族主义所以发达,列国所以日进文明,史学之功居其半焉。然则,但患其国之无兹学耳,苟其有之,则国民安有不团结,群治安有不进化者。虽然,我国兹学之盛如彼,而其现象如此,则又何也?
    今请举中国史学之派别,表示之而略论之:
    都为十种、二十二类。
    试一翻四库之书,其汗牛充栋、浩如烟海者,非史学书居十六七乎!上自太史公、班孟坚,下至毕秋帆、赵瓯北,以史家名者不下数百,兹学之发达,二千年于兹矣。然而陈陈相因,一邱之貉,未闻有能为史界辟一新天地,而令兹学之功德普及于国民者,
何也?吾推其病源,有四端焉:
    一曰,知有朝廷而不知有国家。吾党常言。二十四史非史也,二十四姓之家谱而已。其言似稍过当,然按之作史者之精神,其实际固不诬也。吾国史家以为,天下者,君主一人之天下,故其为史也,不过叙某朝以何而得之,以何而治之,以何而失之而已,舍此则非所闻也。昔人谓《左传》为“相斫书”,岂惟《左传》,若二十四史,真可谓地球上空前绝后之一大相斫书也。虽以司马温公之贤,其作《通鉴》,亦不过以备君王之浏览。(其“论”语,无一非忠告群主者。)盖从来作史者,皆为朝廷上之君若臣而作,曾无有一书为国民而作者也。其大蔽在不知朝廷与国家之别,以为舍朝廷外无国家。于是乎有所谓正统、闰统之争论,有所谓鼎革前后之笔法。如欧阳之《新五代史》、朱子之《通鉴纲目》等,今日盗贼,明日圣神;甲也天命,乙也僭逆。正如群蛆啄矢至今不
能兴起者,数千年之史家,岂能辞其咎耶!
    二曰,知有个人而不知有群体。历史者,英雄之舞台也;
    舍英雄几无历史。虽泰西良史,亦岂能不置重于人物哉!虽然,善为史者,以人物为历史之材料,不闻以历史为人物之画像;以人物为时代之代表,不闻以时代为人物之附属。中国之史,则本纪、列传,一篇一篇,如海岸之石,乱堆错落。
    质而言之,则合无数之墓志铭而成者耳。夫所贵乎史者,贵其能叙一群人相交涉、相竞争、相团结之道,能述一群人所以休养生息、同体进化之状,使后之读者爱其群、善其群之心,油然生焉!今史家多于鲫鱼,而未闻有一人之眼光,能见及此者。此我国
民之群力、群智、群德所以永不发生,而群体终不成立也。
    三曰,知有陈迹而不知有今务。凡著书贵宗旨。作史者,将为若干之陈死人作纪念碑耶?为若干之过去事作歌舞剧耶?
    殆非也。将使今世之人,鉴之裁之,以为经世之用也。故泰西之史,愈近世则记载愈详。中国不然,非鼎革之后,则一朝之史不能出现。又不惟正史而已,邓各体莫不皆然。故温公《通鉴》,亦起战国而终五代。果如是也,使其朝自今以往,永不易姓,则史不其中绝乎?使如日本之数千年一系,岂不并史之为物而无之乎?太史公作《史记》,直至《今上本纪》,且其记述,不少隐讳焉,史家之天职然也。后世专制政体日以进步,民气学风日以腐败,其末流遂极于今日。推病根所从起,实由认历史为朝廷所专有物,
舍朝廷外无可记载故也。
    不然,则虽有忌讳于朝廷,而民间之事,其可纪者不亦多多乎,何并此而无也?今日我辈欲研究二百六十八年以来之事实,竞无一书可凭借,非官牍铺张循例之言,则口碑影响疑似之说耳。时或借外国人之著述,窥其片鳞残甲。然甲国人论乙国之事,例固百不得一,况吾国之向闭关不与人通者耶?
    于是乎吾辈乃穷。语曰:“知古而不知今,谓之陆沈。”夫陆沈我国民之罪,史家实尸之矣!
    四曰,知有事实而不知有理想。人身者,合四十余种原质而成者也,合眼、耳、鼻、舌、手足、脏腑、皮毛、、筋络、骨节、血轮、精管而成者也。然使采集四十余种原质,作为眼、耳、鼻、舌、手足、脏腑、皮毛、筋络、骨节、血轮、精管无一不备,若是者,可谓之人乎?必不可。何则?无其精神也。史之精神维何?曰理想是已。大群之中有小群,大时代之中有小时代,而群与群之相际,时代与时代之相续,其间有消息焉,有原理焉,作史者苟能勘破之,知其以若彼之因,故生若此之果,鉴既往之大例,示将来之风潮,然后其书乃有益于世界。今中国之史但呆然曰:某日有甲事,某日有乙事。至此事之何以生,其远因何在,近因何在,莫能言也。其事之影响于他事或他日者若何,当得善果,当得恶果,莫能言也。故汗牛充栋之史书,皆如蜡人院之偶像,毫无生气,读之徒费脑力。是中国之史,非益民智之具,而耗民智之具也。
    以上四者,实数千年史家学识之程度也。缘此四蔽,复生二病。
    其一,能铺叙而不能别裁。英儒斯宾塞曰:“或有告者曰,邻家之猫,昨日产一子。以云事实,诚事实也;然谁不知为无用之事实乎。何也?以其与他事毫无关涉,于吾人生活上之行为,毫无影响也。然历史上之事迹,其类是者正多,能推此例以读书观万物,则思过半矣。”此斯氏教人以作史、读史之方也。秦西旧史家,固不免之,而中国殆更甚焉:某日日食也,某日地震也,某日册封皇子也,某日某大臣死也,某日有某诏书也。满纸填塞,皆此等“邻猫生子”之事实,往往有读尽一卷而无一语有入脑之价值者。就中如《通鉴》一书,属稿十九年,别择最称精善,然今日以读西史之眼读之,觉其有用者,亦不过十之二三耳。(《通鉴》载奏议最多,盖此书专为格君而作也,吾辈今日读之实嫌其冗。)其他更何论焉!至如《新五代史》之类,以别裁自命,实则将大事皆删云,而惟存“邻猫生子”等语,其可厌不更甚耶?故今日欲治中国史学,真有无从下手之慨。《二十四史》也,《九通》也,《通鉴》、《续通鉴》也,《大清会典》、《大清通礼》也,十朝实录、十朝圣训也,此等书皆万不可不读。不读其一,则挂漏正多,然尽此数书而读之,日读十卷,已非三四十年不为功矣!况仅读此数书,而决不能足用,势不可不于前所列十种二十二类者一一涉猎之。(杂史、传志、札记等所载,常有有用过于正史者何则?彼等常载民间风俗,不似正史专为帝王作家谱也。)人寿几何,何以堪此!故吾中国史学知识之不能普及,皆由无一善别裁之良史故也。
    其二,能因袭而不能创作。中国万事,皆取“述而不作”主义,而史学其一端也。细数二千年来史家,其稍有创作之才者,惟六人:一曰太史公,诚史界之造物主也。其书亦常有国民思想,如项羽而列诸本纪,孔子、陈涉而列诸世家,儒林、游侠、刺客、货殖而为之列传,皆有深意存焉。其为立传者,大率皆于时代极有关系之人也。而后世之效颦者,则胡为也!二曰杜君卿。《通典》之作,不纪事而纪制度。制度于国民全体之关系,有重于事焉者也。前此所无而杜创之,虽其完备不及《通考》,然创作之功,马何敢望杜耶!三曰郑渔仲。夹漈之史识,卓绝千古,而史才不足以称之。其《通志·二十略》,以论断为主,以记述为辅,实为中国史界放一光明也。惜其为太史公范围所困,以纪传十之七、八,填塞全书,支床叠屋,为大体玷。四曰司马温公。《通鉴》亦天地一大文也,其结构之宏伟,其取材之丰赡,使后世有欲著通史者,势不能不据为蓝本,而至今卒未有能逾之者焉。温公亦伟人哉!五曰袁枢。今日西史,大率皆纪事本末之体也,而此体在中国,实惟袁枢创之,其功在史界者亦不少。但其著《通鉴纪事本末》也,非有见于事与事之相联属,而欲求其原因结果也,不过为读《通鉴》之方便法门,著此以代抄录云尔。虽为创作,实则无意识之创作,故其书不过为《通鉴》之一附庸,不能使学者读之有特别之益也。六曰黄梨洲。黄梨洲著《明儒学案》,史家未曾有之盛业也。中国数千年惟有政治史,而其他一无所闻。梨洲乃创为学史之格,使后人能师其意,则中国文学史可作也,中国种族史可作也,中国财富史可作也,中国宗教史可作也。诸类此者,其数何限!梨洲既成《明儒学案》,复为《宋元学案》,未成而卒。使假以十年,或且有汉唐学案、周秦学案之宏著,未可料也。梨洲诚我国思想界之雄也!若夫此六君子以外(袁枢实不能在此列。)则皆所谓“公等碌碌,因人成事。”《史记》以
后,而二十一部皆刻画《史记》;《通典》以后,而八部皆摹仿《通典》;何其奴隶性至于此甚耶!若琴瑟之专壹,谁能听之?以故每一读辄惟恐卧,而思想所以不进也。
    合此六弊,其所贻读者之恶果,厥有三端:一曰难读。浩如烟海,穷年莫殚,前既言之矣。二曰难别择。即使有暇日,有耐性,遍读应读之书,而苟非有极敏之眼光、极高之学识,不能别择其某条有用、某条无用,徒枉费时日脑力。三曰无感触。虽尽读全史,而曾无有足以激厉其爱国之心,团结其合群之力,以应今日之时势而立于万国者。然则吾中国史学,外貌虽极发达,而不能如欧美各国民之实受其益也,职此之由。
    今日欲提倡民族主义,使我四万万同胞强立于此优胜劣败之世界乎?则本国史学一科,实为无老无幼、无男无女、无智无愚、无贤无不肖所皆当从事,视之如渴饮饥食,一刻不容缓者也。然遍览乙库中数十万卷之著录,其资格可以养吾所欲、给吾所求者,殆无一焉。呜呼,史界革命不起,则吾国遂不可救。悠悠万事,惟此为大!《新史学》之著,吾岂好异哉?吾不得已也。

 

 

多くのウイグル人が政治的なあるいは宗教的な理由で、チャイナ当局に逮捕され、投獄され、牢獄の中で強制労働を経験したことがあります。ここでは、ある元政治囚の筆者に語った実体験を報告します。

 

アブドラ・ミジティ氏は東トルキスタンカシュガル市出身のウイグル人で、今はトルコのイスタンブールで調理師として生計を立てています。

 

2001年5月5日、彼はチャイナのカシュガル市国家安全局により深夜に家から連行され、約1ヶ月半におよぶ取り調べを受けてから、秘密裁判を受け、ウルムチの第一監獄で5年間刑期を過ごし、2006年3月釈放され、2008年7月中央アジアを経由してトルコに亡命し、現在に至っています。

 

「私の家庭は代々宗教的な雰囲気の強いウイグル人家庭です。祖父がカシュガル市内のある大きいモスクのイマーム(イスラームで集団礼拝を指導する職)で、40年間務め、アラビア語、ペルシア語ができ、翻訳したイスラームに関する著書も数冊ありました。人民解放軍が1950年1月にカシュガルで影響力のある宗教指導者を逮捕した時に、祖父も捕られて、10年間カシュガルの監獄で過ごし、1960年の初め頃釈放され、その後はあの文化大革命時に、豚を飼育することを拒否したため、紅衛兵達に連れて行かれ、拷問等を受けて、心身ともにぼろぼろとなり、1969年81歳でなくなりました。父は、いつも私達に、祖父が当時の紅衛兵によって殺された、と言っていました。父は、1980年代、比較的な自由な社会情勢で、その宗教的な知識が認められ、町で再建されたモスクのイマームになり、10年間務めていました。その後は、体が弱くなり、退きました。私は、中学校卒業してから、家計を助ける為に、町で小さい商店を開き、商売を始めました。商品を買い取る為に、チャイナ本土の広州、上海などに行って、生地や衣料品を仕入れ、東トルキスタンの各地に卸売りをしていました。経済的にも潤い、余裕ができました。その様な状況で、カシュガル市内のいくつかのモスクに浄財を寄付し、ウイグル人の未成年の宗教教育を支援しました。私のこの活動に、カシュガル国家安全局が目をつけて、逮捕に踏み切った様です。実際に、私はチャイナの法律に反することは何もやっていませんでした。私が寄付を寄せたモスクは全部国が認定した宗教法人でした。皆さんから、寄付の領収書ももらっていました」。

 

アブドラさんは筆者にご自身の“政治犯”として逮捕された原因をこのように説明しました。確かに、彼のやっていた寄付は、チャイナの法律上は何も問題ないです。しかし、チャイナ共産党はウイグル人の中におけるイスラーム信仰には常に危機を感じ、目を光らせています。東トルキスタンにおける各地の国家安全局の重要な監視対象の一つには、アブドラさんの様な宗教団体に寄付するウイグル人の裕福層が入っています。

 

「私は逮捕され、実刑判決を受けてから、ウルムチの刑務所に連れて行かれました。私の体力は強いようでしたので、多くの拷問にも耐え、その挙句に、刑務所内の重労働に引っ張り出されました」。彼を思いため息をしながら、筆者に刑務所の中における重労働の実態について、話し出した。

 

 

「ウルムチ第一監獄は、“政治犯”がメインのところで、当時は二万人いると言われていました。我々は毎日、8次から労働に出て、仕事が終わるのは夜中の10時頃です。私は、出来上がったきたワイシャツにアイロンをかける仕事を半年間つづけ、その後は、梱包作業を半年間やっていました。毎日14時間働いていました。作業場は、冬は暖房が効かない、夏は冷房のない、過酷な状況でした。体力の弱い人は、1、2ヶ月で何らの病気にかかり、現場から消えたことがよくありました」

 

「場合によって、我々は工事現場に連れて行かれることもよくありました。殆どは、どこなのかも分からない山の中が多いです。道路の舗装作業、瓦礫の片付け、コンクリートの練り作業、何でも経験しました。一回、山の中で道路の舗装作業をやっている時に、隣の作業場に、突然山の上から大きな岩石が転がって落ちて来て、逃げるのに遅れていた二人のウイグル人“政治囚”を直撃し、下の川に落としました。あのときの悲惨な思いは今もはっきり覚えています」。

 

アブドラさんは大きなため息をしました。筆者は、いままでこの様な残酷な話はいくつも聞いて来ています。チャイナ共産党にとってウイグル人の“政治囚”は改造せねばならない相手ですので、その改造の手段は重労働を課すことで、彼らの命の安全はまったく考えていないです。

 

「私が監獄の工場でワイシャツを作っていた時でしたが、ある日突然我々は全員同じ色の制服、靴、帽子に着替えさせられました。警察は、外部の人が視察に来るので、誰も視察者に話しかけたり、勝手に質問を答えたりしてはならない、と命令しました。すると、その日5、6人のチャイナ人が作業場に入ってきた、我々の作業状況をみて、出て行きました。後から分かったのですが、それは台湾からの視察で、我々が作っているワイシャツは囚人の物かどうか、確認にきたそうです。監獄側は台湾の商人を騙す為に、我々の囚人服を別の作業服に変えて、作業場の入り口に「囚人の入室は厳禁」という看板を出して、その台湾商人を騙して、我々が作ったワイシャツを外国に輸出することが出来ました」。

 

なるほど、日本や台湾などの市場に出回るチャイナ生衣服はこの様な騙し方法で、輸出されたのでしょうか。我々一般消費者は全く何も知らない中で、チャイナでは過酷な状況下で、強制労働によって制作されている衣類を安く購入し、チャイナの刑務所の運営を助けているかも知れませんね!

 

「刑務所が運営している工場の労働環境が悪いだけではなく、そこでの待遇はまるで地獄です。1日14、15時間働いていて、場合によっては夜通し残業し、翌日は休むことができなかったため、眠くなってしまうこともしばしばあります。ミシン作業をしている囚人の中では、作業中にミシンの針が手の指に刺さってしまう事故もよくありました。その様な時に、監督のチャイナ人警察はその囚人をすぐ介護するのではなく、襟から引っ張って地面に倒して、持っている電気警棒で殴ることでした。我々は、この様な悲惨を目の当りにして、ただただ涙を流すしかなかったのです」。

 

「それだけではないです。何ヶ月もこの様な環境で重労働に従事すると、体力の弱い囚人は現場で倒れたり、または熟練していないために生産が遅れることもあります。その様な方々は、しばしば刑務所の警察に殴打されます。私と同じ囚人室でクチャ出身のレヒムという60代の方がいました。ある日アイロンをかけながら倒れ、アイロンが大きな音をして地面に落ちました。すると、すぐさま3人の警察官が彼を取り囲み、電気警棒で彼の顔、腕、手、体を殴り続きました。彼の体に電流を流すたびに、レヒムは大きな叫びを声を上げました。この出来ことの後、レヒムさんは二度と作業場に姿を現さなかったのです。殺されたと思います」。

 

筆者には、あまりにも悲惨すぎて、絶句しました。外国に輸出されるチャイナ製のワイシャツに実に無実な多くの“政治囚”の血と汗と涙が滲んでいるように思います。体が震えます!

 

   

6月10日の報道によれば、インドとチャイナの高級将校間で国境地帯で行われていた会談が、何の成果もなく、破裂しています。

 

五月から、ラダク周辺の国境地帯で、インドとチャイナの間で小規模な近接戦闘が起き、印中関係が緊張をましています。これにより、ニューデリーと北京の両方が実際の支配線を超えたとして互いを非難しています。 1962年の両国間の血なまぐさい戦争以来、いままで多くの小さな軍事対立と外交紛争が両国間で勃発してきました。最近では、インド東部のシッキムで小規模な紛争が発生し、さらにヒマラヤ西部のガルワン地域でも、チャイナとインドが数週間軍事的対立を続けています。

 

 

インド外務省が数日前に声明を出し、両国の軍事指導者たちは先週土曜日(6日)に国境で会議を開き、「国境地域の状況を平和的に解決する」と述べていました。今日(10日)の時点で、その会談は何の成果も無しに破裂した、と海外メディアが伝えています。

 

6日の会議を前に、チャイナ共産党プロパガンダ機関中央テレビはチャイナとインドの国境地帯で大勢の兵士を運送している飛行機と軍事物質を運んでいるトラックの長列や、チャイナ人民解放軍の軍事演習映像を放送していました。中央テレビによれば、これらのことは「必要に応じて中国(CCP)が急速に悪化する国防の強化を目的に、国境防衛能力を示すこと」と明言。

 

 

これと同時に、チャイナとインドのSNSで未確認のVTRが流され、両方の軍事能力や兵士間の乱闘などが相次いで発信されていました。

 

「インドタイムズ」紙で公表されたインドの戦略分析アナリストShishir Gupta氏は、チャイナの軍事演習報道はインドの決意に挑戦することが目的だとし、「偽情報キャンペーン」の一部であると一蹴しています。氏によれば、チャイナ側のこの様なメディア宣伝作戦は、インド側に対し軍事能力の強さをアピールし、インド側にショックを与え、6日からの会談における自らの交渉力を高め、インド側を追い詰めることだ、と語っています。

 

 

中国共産党のプロパガンダ機関「人民日報」傘下の「環球日報」は火曜日(9日)チャイナの軍事アナリストの分析を発表し、チャイナとインドとの間では「解決すべき特定の問題があるため、進行中の今回の衝突はただちに終わらせることはできない」と指摘し、今回の両国間の国境紛争は当面の間は継続する、と予測しています。

 

「環球日報」の報道によれば、5月上旬以降、インド軍が“違法”な防衛施設の設立を試み、これに対抗する為に、チャイナがガルワンバレーにおけるインド側の挑発的行動に対応し、国境管理を強化したという。

 

一方で、インド当局者は、5月にチャイナ共産軍が“違法”に建造物を建て、インド軍の国境警備隊を妨害したと述べ、インド軍はチャイナとインドによって確立されていた実際の国境線のインド側に留まっている、と説明しています。

 

インドの主な新聞紙である「ヒンドゥスタンタイムズ」はその記事で、「国境地帯の現状を回復させるのには、チャイナの部隊は数週間築いてきた施設から後退し、本来の国境線を回復させること要求します。もし完全な後退がなされなければ、インドには満足出来る他の選択肢が残されていない。現実的な対話と外交手段に加えて、北京は軍に対し強力な政治指導を行う必要がある」と、チャイナに対して注文をつけています。

 

記事では引続き、「そうでなければ、インドは長期的な対立に備え、チャイナが後退することを確実にするための戦略を採用しなければならない」と強調しています。

 

インドとチャイナは、この様に全く相手に譲歩しようとせず、互いをメディアを通して非難し合っています。この問題の裏には、習近平とチャイナ共産党内の他の派閥との権力闘争の意図も隠されているのではないか、と推測されます。一方で、今の政権を維持し続けたいムディ首相の思惑も無いとも言えない。今言えるのは、先に挑発を仕掛けたのはチャイナの人民解放軍で、インド側はこの挑発に慌てて応じたということです。習近平のいまの状況を考えると、すぐには後退出来たい事情があると思います。毛沢東の最もまともな後継者に自任する習近平は、1962年の毛沢東のやり方を真似て、インドに対し限定された国境戦を仕掛けるかどうか、予断はできないが、インド側のしっかりとした防御が必要なのは当然でしょう。

 

先週、インドとオーストラリアは二国間軍事協定に署名しました。これは、両国間の「防衛関係を深めるための最初のステップ」であるとされています。インドはまた、毎年のマラバル海軍演習などを含む米国との防衛協力を強化しており、これには日本も参加しています。外交的には、1962年と同様に、チャイナは孤立しています。この様な孤立は習近平をもっと苛立てるのか、それとも落ちつかせるか、まだ分からない。

 

これまでのところ、両国間の対立のパフォーマンスは両国の“メディア戦”に限定されています。しかし、先週の土曜日の軍事会議の後でも、双方の間の緊張が続いており、中印国境問題がすぐに消える可能性は非常に薄いです。

 

在美中国百萬富翁郭文貴等一些人與2020年6月4日宣布,說他们创建了一个所谓的“新中国聯邦國“的流亡政府。在他們宣讀的“政府宣言”中并未提及被殖民的东突厥斯坦問題,但似乎在互聯網发布的地图中卻显示东突厥斯坦仍在其”控制“范围之内。

 日本维吾尔联盟堅決抗议所谓的“新中国联邦國”继续將东突厥斯坦作為它的主權領土,繼續對我國进行殖民控制。所以,我們強烈要求”新中國聯邦國政府“從其地圖中刪除东突厥斯坦的領土!

 东突厥斯坦公民不参加任何中国党派或团体宣称的任何形式的所謂“中国聯邦”。 我们坚决反对并拒絕这种尝试。

 日本维吾尔联盟一直支持中國人民的自由民主运动。 我們認為中国人民也有权力从人类的自由和民主的共同价值观中受益,恢復他們應有的基本人權。

 作为东突厥斯坦主體民族的维吾尔人,自100多年以來,一直在自由民主思想的前提下,追求东突厥斯坦的徹底獨立,並為此進行了可歌可泣的鬥爭,無數仁人志士為此崇高目標獻出了寶貴生命!

眾所周知,東突厥斯坦是被中国共产党单方面占领並控制的殖民地。中共為了永遠佔有這個富饒的大地,現正在慘絕人寰地對主體民族維吾爾人實行種族屠殺!海內外有良心的中國人也對中共的滔天罪惡義憤填膺!

我們維吾爾人作為被殖民,被屠殺的民族,有絕對的权力恢复祖國的独立自主,成为由独立国家所組成的国际社会的一個成员。 我们同時要求中国人民尊重我们的這個根本权利!

 我們自豪的向世界宣告,东突厥斯坦人民将竭尽全力恢复东突厥斯坦的独立,並為此不懈地奮鬥!

 日本维吾尔聯盟
 2020年6月5日