Turmuhammet(トゥール ムハメット)のブログ -24ページ目

Turmuhammet(トゥール ムハメット)のブログ

東トルキスタンは、テュルク(突厥)系民族が居住する中央アジアの地域、すなわちテュルクの土地を意味するトルキスタンの東部地域を指す地域概念。現在では中華人民共和国に占領され“新疆ウイグル自治区”と呼ばれる。“ウイグル”とも呼ばれる。

転載:

日本企業を狙う中国の産業スパイ活動はますます活発かつ巧妙になっている。
何度も機密情報が流出してきたにもかかわらず日本側の備えはまだまだ足りない。
ジャーナリスト 向坂公輔氏が中国による産業スパイ活動についてリポートする

日本を狙った中国の産業スパイ活動の一端を担わされているのが8万人以上いる
中国人留学生とされる。

中国の諜報活動研究を専門とする『月刊中国』主幹の鳴霞(メイカ)氏 が語る。

「多くの中国人留学生は真面目に勉強する志を持って日本に来ています。
しかし、特に国費留学生の場合はたとえ本人が望んでいなくても、いつの間にか
中国の情報工作に組み込まれてしまっているケースがあるのです」

中国の情報機関では、本国で訓練を受けたプロの工作員を「基本同志」と呼び、
諜報活動の中での協力者を「運用同志」と呼ぶ。
留学生は「運用同志」となることを求められる という。

「日本の主な大学では中国からの留学生や研究員が情報交換する集まりがあります。
それ自体は何の問題もないのですが、彼らは定期的に中国大使館に集められます。

国費留学生は政府から学費や生活費を出してもらっていますから、そこで研究分野などに
ついて報告する。その中で大使館側が、産学連携を進める研究室に所属する学生などに
『より詳しい内容を提出するように』と指示を出すケースがあります」

大学と企業が連携して進める最先端の研究内容は中国側が喉から手が出るほど
欲しい情報だ。「博士課程に在籍する留学生に、『所属する研究室の教授のパソコンから
論文原稿を持ち出すように』といった指示が出る。

留学生側はあくまで大使館への活動報告の範囲と考えているが、それが同じ分野を研究する
中国の大学や企業へ流れてしまう」(在中国ジャーナリスト)といった懸念を持つ専門家は多い。
 
昨年4月には防衛省情報本部の女性事務官が部外秘の資料を持ち出そうとしていたことが発覚し、
調査の結果中国人留学生と接触していたことが判明した。こうした例から類推できるように、
表向きは留学生の身分で情報のプロが入ってくるケースもある。
 
2007年にデンソーに勤める中国人エンジニアが13万件にも及ぶ機密設計情報を不正に
持ち出していた事件では、当該エンジニアは中国国営の軍事関連会社に勤務した後、
留学生として来日して大学を卒業し、デンソーに入社していた。

「2012年に工作機械大手のヤマザキマザックで中国人社員が工作機械用図面情報
約2万点を不正に持ち出した事件でも、
逮捕(不正競争防止法違反)された社員は日本の大学を卒業していた。
 
最初からスパイ目的で送り込まれている者もいるし、日本企業が中国人社員を幹部候補生と
して扱わず昇進が遅れたことなどに不満を募らせた結果、社の利益に背いて情報を持ち出そうと
考えるケースも少なくない。日本人の管理職が『彼は真面目だ』と判断しても、
それとは別次元の力を働かせる勢力がいるのです」(鳴霞氏)


NEWポストセブン
http://m.news-postseven.com//archives/20140529_255500.html?PAGE=2
続き)
1997年2月2日、ベフティヤル・シェムシディン(Bahtiyar Shemshidin)は自分が名ばかりの警察官なのではないかと疑い始めていた。二年前、新疆西部の都市伊寧市(ウイグル語ではグルジャ市)の公安局はベフティヤルを麻薬取締部隊に迎え入れた。ベフティヤルはこの地位に非常に適した、大柄でハンサムな、そして権威あるウイグル人気質を表に出す人物だった。ベフティヤルは最終的にカナダに行ったが、彼の当初の理想に対する記憶は今もなお薄れていない。その頃ベフティヤルは決して自分を漢族の協力者とはみなしておらず、自分は一人の緊急救助隊員のようなものだと思っていた。
近年ヘロインは伊寧にはびこり、まるで中世の疫病のように若いウイグル人をノックアウトしていった。しかし麻薬取締部隊において、ベフティヤルはすぐに漢族のヘロイン密売者が当局の密かな保護を受けていることに気付いた。麻薬取締部隊に彼を迎え入れたのは、実は餌でおびき寄せることとすり替えの手段のためだったのだ。彼の漢族の上司は彼を薬物捜査には行かせず、逆にマシュラップの調査に行かせた。マシュラップとはウイグルの伝統的な集いで、身を清く保ち世俗に染まらないこと、運動やウイグル音楽やダンスを奨励している。しかしもしマシュラップがアヘン侵入の抵抗者における伝統中国医学のように盛んになったとしたら、中国共産党当局はそれを国家に対する偽装された攻撃と読み解くであろう。
1997年1月初めのラマダン明けの夜、すべての伊寧警察勢力に― そこにはすべてのウイグル族及び漢族の警察官も含まれていたが、突然銃を検査のために回収するよう命令が下された。そして約一ヶ月後に銃は戻された。しかしベフティヤルの銃は取り上げられたままだった。ベフティヤルが銃を管理する漢族の係官に尋ねると、「君の銃には問題がある」と告げられた。
「いつごろ修理が終わりますか?」
その係官は手元の名簿をチラッと見て肩をすくめ、それから顔を上げてベフティヤルを見すえて言った。「行っていいぞ。」その日の仕事が終わる前に、ベフティヤルはすべての漢族の警官は銃を手にしており、逆にすべてのウイグル族の警官の銃にはみな問題があるということ知った。
三日後、ベフティヤルはそれがどういう意味を持っていたのかを知ることになった。2月5日、約一千人のウイグル人が伊寧市の中心に集まった。この一日前に当局が6名の女性を逮捕した。すべてムスリムの教師で、みなマシュラップの関係者だった。聞くところによれば彼女たちはひどく痛めつけられたらしい。そこに集まってきた若い男たちは冬用の厚い衣類を着ないことで、自分たちがいかなる武器も携帯していないことを示していた。しかしその計画が果たして良いものだったかどうかは分からないが、漢族の警官はそんな抗議者たちに向けて銃の引金を引いた。
このグルジャ事件の死傷者数は未だに不明だ。ベフティヤルは警察内部ではおおよそ400人が命を落としたと見積もっていたのを覚えているが、実際には見ていない。すべてのウイグル族の警官はその事件前に当地の監獄へ「容疑者訊問」に行かされていて、さらにその事件が終わるまでそこに閉じ込められていたのだ。しかしベフティヤルは多くのウイグル人が監獄に入れられ、裸のまま雪の上に投げ捨てられ、ある者は血を流し、ある者は打撲を負ったのを見た。伊寧の主なウイグル族の診療所には診療停止の命令が下り、漢族の特殊警察が10名の医者を逮捕し、さらには診療所の救急車をも破壊した。
4月末には逮捕される人数の激増に伴って、人であふれた監獄は問題となり、毎日毎日ウイグル族の政治犯に対して判決が下された。4月24日ベフティヤルの同僚は8名の政治犯が殺されるのを目撃した。彼らを驚かせたのは、その時「臓器摘出特別医療車」と医者がその場にいたことだった。
ヨーロッパで私は伊寧事件後に、伊寧の大病院で働いていた看護師と話したことがある。彼女は彼女のいかなる個人情報も漏らさないことを強く要求した。彼女は私に言った。その当時病院ではウイグル族の抗議者に対する処置を禁じられていた。負傷者の腕に包帯を巻いてやった医師の一人は懲役15年の判決を受け、もう一人は20年の判決を受けた。病院のスタッフはこう言い渡されていた。「もし治療を行えば、同じ結末を迎えることになる。漢族とウイグル族の医療スタッフ間の溝がさらに深まる。」と
 漢族の医師は処方箋がそこに山積みになっても、ウイグル族の医療スタッフに薬局の鍵を渡さない方がましだと思い、だからウイグル族の病人は正常の薬の量の半分しか与えられなかった。
 グルジャ事件後ほどなく、一人の若いウイグル人抗議者の遺体が軍病院から家に帰された。彼の腹部の縫合は遺体の解剖検査によってできたものかもしれなかったが、これがまた別の騒動を引き起こすことになった。その後、すべての遺体は梱包されて、銃殺された後にその場で埋められ、漢族の兵士がその墓地をパトロールしていた。その墓地の一つは現在のウルムチ空港からさほど遠くない場所にある。
 6月になり、この看護師は一つの事例に遭遇する。一人の若いウイグル族抗議者が逮捕されて、ひどく殴られた。彼の家族は金を払って彼を請け出したが、彼の腎臓は深刻な損傷を受けていることがわかり、ウルムチの軍病院で受診するように言われた。そこで医師は彼らにこう言った。「腎臓一つには3万人民元(4700$相当)かかるが、移植する腎臓は健康なものだと保証する。なぜならドナーは21歳のウイグル族の青年で、あなたたちの子供と同じだから。」と。そしてその看護師は臓器の「ドナー」も実際は抗議者の一人なのだと知った。
 1997年の早秋、一人の若いウイグル人医師が新疆の農村における血液検査から戻ってきて、ウルムチの大病院でその医者としての生涯を始めようとしていた。私たちは彼を仮にムラット(Murat)と呼ぼう。二年後彼はヨーロッパへの逃亡計画を開始し、数年後私はヨーロッパで彼と出会った。
 ある日ムラットの指導教官がこっそりと彼に告げた。5人の漢族の共産党政府関係者、VIPが内臓に問題があって入院している。そしてムラットに任務を与えた。「ウルムチの監獄、刑事部門ではないぞ、政治犯部門に行って、血液検査をしてきなさい。血液サンプルを取りなさい。血液型が分かればそれでいい。」
「では組織適合検査は?」
「ムラット、今はそれは考えなくていい。後でまた話そう。まずは血液型の検査だ。」
 授権書を持ち、病院の助手を一人連れて、知識人の雰囲気を身にまとったムラットはそこで自分が向き合うのが、15名近い20歳から30歳くらいのウイグル族の硬骨漢たちであることを知った。最初の囚人が腰を下ろし、針を見て丁寧に言った。「あなたと私は同じウイグル人なのに、なぜ私を殺そうとするのですか?」
「私はあなたを殺したりしません。私は単に採血に来ただけです。」
「血」という言葉を聞いて、すべてが混乱に陥った。男たちは叫びだし、恐れてその場を離れようとした。警備員たちは大声をあげて彼らを列に引き戻した。先ほどの囚人は、自分は無実であると叫んでいた。警備員は彼の首を掴んで力を込めて締め付けた。
 ムラットは突然、連れてきた病院のスタッフが今まさに、彼の心に同情が浮かぶかどうかをじっと監視していることに気付いた。「あなたの健康のためだけですよ。」と彼は平静を装って言った。「ただの健康検査です。」採血する度にムラットは繰り返し言った。
 病院に戻ると彼は指導教官に尋ねた。「あの囚人たちは皆死刑の判決を受けているのですか?」
「そうだよ。ムラット、そうだ。もう聞かないでくれ。彼らは悪人だ。国家の敵だ。」
 しかしムラットはやはり問い続けた。時間が経つにつれ、彼にも徐々に全体像が分かってきた。一旦何名かの適合する血液型を探し出し、さらにもう一度組織適合検査行う。その後その政治犯は右胸に弾を浴びることになるのだろう。そしてその政府関係者たちは臓器を得て、ベッドから起き上がり、退院するのだ。
 6ヶ月後、間もなくグルジャ事件から1年を迎える頃、5名の新たな政府関係者が入院してきた。指導教官はムラットにまた監獄の政治犯部門へ行って、血液サンプルを取ってくるように言った。今回彼はムラットに摘出する政治犯の臓器は正常なものであると言った。輸出取引はますます増えている。数も大きい。軍隊の病院が先頭になっているのだと。
 1999年の初めになって、ムラットはもう二度と政治犯からの臓器摘出の件を聞くことはなくなった。こんなことはもう終わったのだろうと彼は思った。
 しかし新疆の摘出プログラムは広がり始める。1999年の年末、中国共産党公安は毛沢東以降最大規模の鎮圧活動を行った。― 法輪功の撲滅である。それはウイグル族への鎮圧をも超えた。私の計算では300万人に達する法輪功修行者が労働改造所に送られた。2008年のオリンピックの前までに、約6万5千人から心臓がまだ動いている間に臓器が摘出された。また家庭教会のキリスト教徒たちやチベット人も同様の運命に遭遇している。具体的な数字ははっきりしないが、これよりはかなり少ないであろう。
 ある人たちは中国の医療システムが最近この明らかな事実― 中国の医療環境が決して完全に道徳的ではないということを認めたと指摘している。これは問題が好転していく気配を見せたことを物語っている。外国人投資家も中国は最終的にはいずれ、或いはすでに、臓器摘出を撤廃し、より利益を得られる薬品や臨床試験業へ向かうのではないかと予測している。こうした話にはホッとさせられるが、この問題はまだ数多く報告されており、ひどいものでは一年前の報告もある。つまり中国が決して新疆プログラムを撤廃したわけではないことを示しているわけだ。
 2009年7月、ウルムチではウイグル族と漢族の間に血なまぐさい衝突が起こった。当局は大量の軍隊をウルムチに出動させ、西側の記者を追い払い、インターネットを遮断し、更にその後6ヶ月の間、多くは夜間に数千名のウイグル族の男性を捕えた。捕らえられたウイグル族から明らかになった情報に基づけば、一部の容疑者はただ臓器が健康なものであるかを評価することだけが目的の検査に連れて行かれたそうだ。一連のシグナルは不明瞭かもしれないが、それらは間違いなく一致している。結論は一つしかない。つまり中国という超大国に向かって猛スピードでまい進するこの国は、人権を踏みにじるだけではなく― これはもう目新しいニュースではないわけだが、十数年にわたって人々が最も信頼を寄せる医療という分野の知識を乱用し、人権法律の専門用語で言うところの「照準を合わせた」大量虐殺を行ったということだ。
 ニジェットがスイスのヌーシャテルの難民所で、どこかの国が彼に難民の身分を与えてくれるのを待っているとき、彼は私に、また他の人にも真実を告白した。しかし焦って中国の機嫌を損ねたくないこの地球上には、彼の陳述に耳を傾けたいという国はどこにもなかった。エニウェルは英国下院で目立たない中国人権検討会に参加した。国会議員が聴衆に意見を求めた時、エニウェルは立ち上がって発言した。彼は初めて自分は人を殺したと語った。私はメモを取ったが、英国議員と彼らのスタッフは誰一人エニウェルの電話番号をメモしなかった。
 この一連の出来事は非常にはっきりと暗示している。それはつまりウイグル族は自分の決断を頼みにする以外には、問題解決ができないということだ。1300万人のウイグル族、人数は多くない。しかしその絶望は非常に深い。彼らは武力闘争をするかもしれない。戦争が起こるかもしれない。そこに至って世界の外交官が北京に対話を呼びかけるときは、それぞれの国が物事の起源と良心を見ることを望みたい。私について言えば、もし私のこのユダヤ姓が私に何かを伝えているのだとすれば、それは死者のための完全な復讐はできないかもしれない。しかし延々と続く命に関わる弾圧を受け止め続けられる人々はいないということに他ならない。
「新疆プログラム、北京・中国共産党の政治犯臓器摘出の出発点」

【アポロニュース2014-05-24】
Ethan Gutmann

その当時病院ではウイグル族の抗議者に対する処置を禁じられていた。負傷者の腕に包帯を巻いてやった医師の一人は懲役15年の判決を受け、もう一人は20年の判決を受けた。病院のスタッフはこう言い渡されていた。「もし治療を行えば、同じ結末を迎えることになる。漢族とウイグル族の医療スタッフ間の溝がさらに深まる。」と。


今、閉ざされている中国西北部で何が行われているかを明らかにするためには、ときに10年前にさかのぼらなくてはならないし、さらに古い時代にさかのぼらなくてはならない場合もある。
1991年秋の曇りがちな日が続く南方都市の広州付近のある山の上に、一つの手がかりがあるかもしれない。ある小型医療チームと一人の若い医師が臨時手術車に改造された一台の小型バスに乗って、中山大学を出発した。車がブルドーザーでならされた平らな場所に止まると、彼らはそこに小隊のように並ぶ白い小型バスを見た。窓ガラスは茶色で、ボディには目を引く赤十字のマークがある。警察は医療チームに安全上の理由から車の中で待機するよう命じた。車の窓から見ると、ズラッと一列に並んだ穴が見える。あるものはすでに埋められ、あるものは新しく掘られたものだった。それは確かにこの山が長年にわたり処刑場として使われてきたことを物語っていた。
この日の執行は36名。72個の腎臓と角膜を当地の各病院へ配給する計画だった。それぞれの小型バスには15分から30分以内に摘出できる医師が乗っている。そして病院に戻ってから、6時間以内に移植手術が行われる。特別な或いは実験的な要素は何一つない。受刑者の心臓は刑の執行によって「止められる」ということだ。
過去10年の中国医学の急速な発展に伴って、かつて廃棄物とみなされていた臓器ももはや「無駄に」捨てられることはない。これは決して周知の事実というわけではないが、中国の医学校で指導する学生は「多くの凶悪犯罪者は自ら進んで臓器を提供し最後の償いとする」と言う。
一回目の銃声が鳴り終ると、小型バスの扉がすばやく開けられ、2名の警官の制服に白衣を羽織った男たちが、死体を一つ運び込む。頭と足はまだ細かくけいれんしている。この若い医師は、死体が胸の右側を打たれており、それはまさに事前に予測していた通りだということに気付いた。三番目の死体が置かれた後、彼は仕事にとりかかった。
これは40歳前後の漢族の男性だ。小型バスの中で、そのほかのばら売りする臓器は予約され、条件の良い国際市場に売られていく。その医師はこの腎臓がすでに組織的にマッチングされ、50歳の中国男性に移植されることを示した書類を事前に見ていた。もし移植しなければ、その男性は死亡するだろう。しかしこの腎臓があれば、その人はまるで奇跡のようにベッドから起き上がり、あと25年ほどは正常な生活を続けることが可能になるのだ。
三番目の死体にはこれと言った特徴はなかったが、首の周りに紫色の締め付けられた傷があった。警察は時によって針金状のもので容疑者の喉元を締め付けることで、裁判所で容疑者が話すのを防ぐ。その医師はあれこれと思いを巡らせた。もしかすると警察はこの囚人に話をさせたくなかったのかもしれない。なぜなら彼は狂気の殺人犯、暴徒、或いは精神異常者だから。どちらにしても中国の刑罰制度はまさに一台の挽肉器のようなものだ。大量に頑迷な犯罪者を処刑していく。そう、その若い医師はこのように臓器を摘出するのは間違いであることを知っている。たとえどんな罪を犯したのだとしても、その囚人の遺体には永遠の休息を与えてやるのが一番良いはずだ。けれども彼のこの手術という任務が、産科の医師のそれとどこが違うと言うのだろう。これもまた人に新たな命を与えている。もしかしたら警察官たちはこの男に話をさせたくなかったのだろう。なぜならこの男は政治犯だから。と彼はまた思いを巡らせた。
19年後、ヨーロッパの安全な場所でこの医師は彼の疑惑を語った。彼は私に彼の身分を秘密にすることを求めた。中国の医療当局は移植臓器の多くが処刑された犯罪者のものであることを認めている。しかしたとえ亡命中であっても中国大陸出身の医師が、自らがこのような手術を行ったということを普通は口にしない。なぜなら一旦提起してしまえば、国際医療機関の人々がむしろ避けて通りたいと願っている一つの問題に目を向けさせることになるからだ。この問題は中国の急激な死刑執行率の上昇或いは刑事事件犯の臓器摘出という部分にあるわけではなく、むしろ中国のシステマチックな宗教犯と政治犯の抹殺という点にある。しかし、この医師はこの件で家族や彼の事業がこうむるかもしれない悪い影響について心配はするが、これによって中国の立場が危うくなるという点については、何ら恐れていない。なぜなら彼は少数民族であるウイグル族の家庭に生まれたからだ。
ここ数年、私が接触したウイグル族の証言者たち― 二つの大陸に散らばった警察官、医師そして保安要員たち、彼らは普通、言葉を濁しながら通訳を通じて私にこうした断片的な情報を教えてくれる。彼らはそれが自分の事業、家庭に危害を及ぼすことを知っているし、それだけではなく時には彼らの命を脅かすことにもなることを知っている。そして彼らのこの証言は、大きな利益を生み出す生体臓器移植医療のニーズが拡大してきた過程を明るみにするだけではなく、より広範な残虐行為の大元を暴き出すことにもなった。
新疆は長きにわたり、党によって非合法な実験室として使われてきた。たとえば1960年代中期のロプノールの核実験(これは新疆ウイグル自治区の省都ウルムチのがん発症率を著しく高めた)。近年ではタリム砂漠に建設された恐らく世界最大の労働改造所。ここにはおよそ5万人のウイグル人と頑迷な犯罪者、そして法輪功の修行者が収容されていると推定されている。政治犯の臓器摘出について語り始めるとき、新疆はまさにその起点となる場所だ。
1989年20歳になったばかりのニジェット・アブドライム(Nijat Abdureyimu)は新疆警察学校を卒業し、特殊警察部隊としてのウルムチ公安局のある部隊に配属された。そこは専門的に「社会安全保障」に従事する部隊で、その本質は党に対する脅威を抑え込むことにある。ニジェットはその部隊に配属された初めてのウイグル人の一人であった。彼の任務はウイグル人に対する取り調べにおいて、とりわけ大きな事件において良い警察官であることであった。私が初めてニジェットに会った時、彼はローマ郊外の人で溢れかえった難民キャンプにいて、ひどく痩せて落ち込んでおり、そして警戒心が強かった。
ニジェットは私にこう説明した。彼は彼の中国人の同僚たちが常に彼の行動を監視していることをはっきりと認識していた。しかしニジェットはつとめて彼らを喜ばせる人間像を演じ続けた。つまり「素朴な笑顔を浮かべる良い奴」という人間像だ。1994年まで彼は政府のいくつもの秘密基地とも言うべき場所へ送り込まれた。留置場、取調室そして処刑場。この過程で彼は自らの目で残虐きわまる拷問、処刑を目撃した。ひどい時にはそれには強姦までもが含まれていた。職業的本能から出た好奇心で、彼は処刑場から戻ってきて苦しげに頭を振っている中国人の同僚に尋ねた。その同僚は「今回のは通常通りの手順だ。ああいった使い道のない死体は溝にけりこみ、使い道のある死体は臓器摘出のバスに運び込む。でもその後俺は車の中から一人の男の悲鳴のようなものを聞いてしまったんだ。」と言った。
「そいつは生きていたんですか?」とニジェットは自分が尋ねたことを覚えていた。
「どんな悲鳴ですか?」
「まるで地獄から聞こえたようだったよ。」
ニジェットはちょっと肩をすくめた。この部署で彼が見てきたでひどい行為は実際どこにでもあることなのだ。
 数か月後、三人の死刑囚が刑務所から処刑場に移されることになった。それ以前にニジェットはその中の一人のまだとても若い青年と仲良くなっていた。ニジェットが傍へ近寄ると、その若者は目を大きく見開いてニジェットに尋ねた。「あなたたちはなぜ僕に注射を打ってくれたんですか?」ニジェットは彼に注射したことはなく、それは医務主任がしたことだった。しかしその医務主任と司法の役人たちも彼らが言葉を交わすのを見ていたので、ニジェットは口から出まかせを言った。「そうしておけば、お前が弾に当たった時にそんなに痛みを感じなくて済むんだよ。」
 その若者はほんの少しだけ微笑んだ。ニジェットは、自分は一生この表情を忘れられないだろうと強く感じた。
 刑の執行が終わった後、ニジェットはその医務主任に尋ねた。
「あなたはなぜ彼に注射を打ったんですか?」
「ニジェット、もし他の部署に異動できるのなら、すぐにここを離れなさい。」
「それはどういう意味ですか?先生、彼に打ったのはいったいどんな薬なんですか?」
「ニジェット、君は信仰を持っているか?」
「ええ。あなたは?」
「ニジェット、あれは一種の抗凝固剤だ。恐らく私たちは皆、地獄に落ちるだろうね。」

 私はロンドンの非公式なウイグル人ネットワークを通じて、初めてエニウェル・トフティ(Enver Tohti)に会った。彼は優しい顔立ちで、小さな声で話し、その声は少しかすれていた。私は確かに第一印象では、彼は公共住宅に住む一人の亡命者に過ぎないと感じた。しかしエニウェルには秘密があったのだ。
 彼の物語の始まりは1995年6月の最初の火曜日で、当時彼はウルムチのある病院の一般外科の医師だった。エニウェルは直接の上司である主任外科医との、いつもとは違う一つの会話を思い出した。
「エニウェル、私たちはエキサイティングなことをしに行くよ。君は野外で手術をしたことがあるかい?」
「いいえ。私は何をすれば良いのですか?」
「移動医療チームを準備してくれ。救急車が要る。全員明日朝9時に門の前に集合だ。」
 水曜日の朝、快晴で空には雲一つなかった。エニウェルは二人の助手と一人の麻酔医を伴って救急車に乗り、主任の車の後について、ウルムチから西に向かって車を走らせた。救急車の車内はまるでピクニックでも行くような雰囲気に満ち溢れていた。彼らが、車が西山警戒区に入ったと意識するまでは、だ。そこはもっぱら反体制政治犯を処刑する場所だった。
 ある急な山の中腹の未舗装の道路で、主任は車を止めて降りてきて、エニウェルのところへ来て言った。「君は銃声を聞いたら、すぐに車であの山の方へ行け。」
「我々に、なぜここに来たのか教えていただけませんか?」
「エニウェル、もし君が知りたくないなら聞かないことだ。」
「私は知りたいです。」
「いや。君は知りたくないはずだ。」
 主任はきつい目で彼を見て、すぐに身をひるがえして車に戻って行った。エニウェルにはその山の方で警戒態勢を敷いている様子の武装警察がいるのが見えた。周囲には何人かの民間人も取り巻いている。エニウェルは冗談半分に仲間に言った。あれはもしかしたら弾代と遺体の引き取り代を払うのを待っている家族かもしれない。仲間たちは更にとりとめのないジョークで答え、その緊張感を打ち払おうとした。そうするうちに彼らはおそらく一斉射撃であろう銃声を聞き、車を処刑場まで走らせた。
 エニウェルは主任の車にぴったりとついて走ったが、道の状態に気を取られて、周囲の状況はよく見ていなかった。彼が覚えているのは、10か或いは20の死体が山のふもとに横たわっていたことだけだ。武装警察は救急車を見ると、手を振って彼らにこちらに来るように呼んだ。
 「これだ。これですよ。」
一人の海軍の青い制服を着た30歳ぐらいの男が血だまりの中にうつ伏しているのだけが見えた。すべての囚人は頭を刈られていたが、この男だけは長い髪のままだった。
「こいつです。我々はこいつを切らなきゃならない。」
「なぜ我々が切らなくてはならないんです?」
エニウェルはその男の頸動脈に触れながら抗議した。
「急げ。こいつはもう死んでいる。」
エニウェルは身を固くして、その言葉の誤りを正した。
「死んでいない。彼はまだ死んでいない。」
「早くやれ!肝臓と二つの腎臓を摘出しろ!今すぐだ!さあ!早くやれ!」
 主任の命令に従い、皆は死体を救急車に運び込んだ。エニウェルは自分が麻痺してきていることを感じていた。ただ衣服を切り開き、ただ四肢を台に固定し、ただ腹腔を開いた。彼は通常の手順通りに行うように努めた― 消毒し、できる限り露出を減らし、切開する。エニウェルは戸惑いながら主任をチラッと見た。「麻酔はいらない。」主任は言った。「生命維持は不要だ。」
麻酔医はただ手を腰に当ててそこに突っ立っていた。まるで無知な農民のようだとエニウェルは心の中で思った。エニウェルは彼に向かって激しく怒鳴った。「君は何もできないのか?」
「いったい何をすればいいんだい、エニウェル?」彼はすでに感覚をなくしていた。もしナイフで切り付けても、彼は反応しなかっただろう。
しかし台の上の彼には反応があった。エニウェルのメスが切り開いていったとき、その男の胸部はけいれん性の収縮をしはじめ、それからまた広がった。この時エニウェルは少し狂ったようになり、振り返って主任に聞いた。「どのくらいまで切ればいいんですか?」
「できる限り広く深くだ。我々には時間がない。」
エニウェルはきびきびと動き、クリップも使わず、右手で切り、左手で筋肉と軟組織をかき分けながら、腎臓と肝臓だけを確保し、切り分けて洗浄する頃になってやっと動作を緩めた。たとえ縫合するときでさえもエニウェルは、この人はまだ生きていると感じていたのだが。彼は内部の縫合を行わなかった。すでに何の必要もなくなっていた。ただ死体を、一見したところ「様になって」いるようにするだけだった。「私は人殺しだ」エニウェルは心の中で苦しみ叫んだ。彼はもうその顔を見る勇気もなかった。まるで殺人犯がもう一度被害者の顔を見ることを望まないのと同じように。
医療チームは黙々とウルムチに引き返した。
木曜日、主任外科医がエニウェルを訪ねてきて聞いた。「だから、昨日、何か起きたかい?昨日のことはすべて普通だ。そうだろう?」
エニウェルは答えた。「そうです。」彼は何年もかけてやっと生体から取り出した臓器は新しい患者の身体における拒絶反応が低くなること、そして胸を打ったその弾が最初のその苦しみ以外にも、なにかしらの麻酔作用を引き起こしていたのかもしれないということを知った。エニウェルは彼のできることをした。彼はその囚人の家族のために遺体をしっかりと縫合し、そして15年後にその水曜日に起こった出来事を公表したのだから。

 ニジェットについて言えば、1996年になってやっとこれがどういうことだったのかをはっきりと理解した。
 当時おそらくは真夜中、監獄はとっくに消灯となっており、ニジェットと医務主任は刑務所の当直室にいた。二人の会話が少し途切れた後、医務主任はなにか奇妙な声でニジェットにあそこに幽霊が出ると感じないかと尋ねた。
「夜になるとちょっと変だと感じます。」とニジェットは答えた。「君はなぜそう思う?」
「だってここではたくさんの人が殺されていますから。あの人たちはみんな冤罪ですし。」
ニジェットはついに理解したのだ。あの抗凝固剤。毎回処刑場から戻ってくると部隊に対して開かれる高額な慰労会。監獄では私服警官たちが犯罪者たちに臓器提供意思表示にサインするように説いて回る。今、医務主任はすべて認めた。あの書類は本物だ。ただ彼らはあの囚人たちが解剖されるときに実際にはまだ生きているということをまでは考えていないのだと。
「ニジェット、私たちは本当に地獄へ落ちるだろうね。」
ニジェットはうなづいて、ビール瓶の栓を開けた。その顔に笑みはなかった。
ZAKZAK 2014.05.23

中国・新疆ウイグル自治区ウルムチ市内で22日発生し、31人が死亡、94人が負傷した爆発事件で、人民日報系『環球時報』(電子版)は23日、容疑者5人が死亡したと報じた。また、同自治区アルトゥシ市でも同日未明、大きな爆発音がしたという。ウルムチの事件では犯行に使われた車に、ウイグル独立派組織が使うものと似た旗が掲げられていたとの目撃情報もある。習近平国家主席が主導してきた少数民族政策が完全に破綻した。

香港の人権団体『中国人権民主化運動ニュースセンター』は23日、アルトゥシ市で同日午前1時ごろ、大きな爆発音がして、多数の装甲車が出動したと伝えた。

ウイグルで続発する爆破事件。中国共産党治安部門の責任者である孟建柱政法委員会書記は22日夜、「新疆で頻発しているテロ活動を断固として押さえ込む。反テロの人民戦争を戦わなければならない」と、全国の治安当局者が出席したテレビ会議でげきを飛ばした。

だが、今回の事件は、習氏の威信を大きく傷付けるものとなりそうだ。

ウルムチ市内では4月下旬、習氏が同自治区を初めて視察した直後に、ウルムチ駅前で3人死亡、約80人が負傷する爆発事件が起きた。このとき、習氏は「テロリストを徹底的に叩け」と指示し、容疑者の妻や弟など家族がみな拘束された。

ところが、わずか3週間後、同じウルムチで、さらに規模の大きい爆弾テロ事件が発生した。習氏が進める「強圧的」な手段が暴力を防げないことが証明された。

ウイグル独立の動きは1949年に、人民解放軍がイスラムの国だった東トルキスタンを侵攻し、55年に「新疆ウイグル自治区」を成立させ、民族浄化といえる「同化政策」を取り出してから続いている。だが、習政権発足までは頻繁に事件は起きなかった。

背景について、習政権による少数民族政策などが事件を誘発した可能性が大きいとみられる。

習政権による取り締まり強化で、漢族と良好な関係を保ってきた中央民族大学の学者、イリハム・トフティ氏ら穏健派のウイグル族までが数多く拘束された。パイプ役がいなくなり、ウイグル族の間で不信感と不満が高まったという。

北京の人権活動家は「トフティ氏までが逮捕され(習政権は)ほぼウイグル族全員を敵に回した形だ。ウイグル族の間で絶望感が広がったことが一連の事件につながったのでは」と分析する。

中国事情に精通する元公安調査庁調査第2部長の菅沼光弘氏も「習政権の強圧路線は失敗した。『ウイグル独立』という次元から『イスラムと中国共産党の戦い』になりつつある。6月4日には天安門事件から25周年を迎える。これらが連動すれば習政権だけでなく、中国共産党を大きく揺さぶる」と語っている。

http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20140523/frn1405231518008-n1.htm

【漢人,請別拿大清國說今天的新疆問題!】

-----多民族集結的大清國當年就是漢獨恐怖暴力份子頭目孫中山及其追隨者靠境外勢力,日本黑社會組織資助和用炸彈和恐怖襲擊政府官員,給砸毀滅亡的,今天的維吾爾人錯在哪裡??漢人之所以把美籍人孫中山稱為國父是因為他用暴力恐怖手段推翻了大清。大清國的滅亡證明多民族團結合作的中國根本行不通,是註定要滅亡滴。現在的漢人正在對維吾爾族人進行一場全面資源掠奪,文化種族滅絕的戰爭;漢人把維吾爾人都當成了恐怖份子,而真正的恐怖份子則把每個漢人當成了恐怖襲擊目標。漢人政權的民族政策正在把溫和,中立的維吾爾人推向暴力,極端組織那一邊。


每次恐怖襲擊后習近平的重要批示如果不能變成深刻反思,那麼,更多的恐怖事件還會頻頻發生,倒楣的只是漢人普通老百姓。你們漢人把美籍孫中山稱為國父,那麼維吾爾人,西藏人,蒙古人,滿洲人也應該有這樣的國父的!民族之間的合作和團結說白了就是一個認同的問題。看看今天漢人的德行,讓其他民族怎麼認同你們?難道認同你們的道德淪喪 說謊成性 社會腐敗 文化腐爛就是民族和諧團結嗎?認同你們的腐敗醬缸文化滅絕他們本民族的語言和文化就是雙贏??用武力鎮壓可以贏得一時的穩定,但是永遠贏不來尊嚴和尊敬。

所謂的民族團結背後就是赤裸裸的資源掠奪和文化種族滅絕。

--摘自博迅網