Turmuhammet(トゥール ムハメット)のブログ

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東トルキスタンは、テュルク(突厥)系民族が居住する中央アジアの地域、すなわちテュルクの土地を意味するトルキスタンの東部地域を指す地域概念。現在では中華人民共和国に占領され“新疆ウイグル自治区”と呼ばれる。“ウイグル”とも呼ばれる。

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台湾の国会で何が起きているのか――立法院の混乱が示す民主主義の試練




近年、台湾の国会にあたる**立法院**で、異例ともいえる混乱が相次いでいる。議場内での激しい言い争い、議案審議の強行、さらには身体的衝突まで報じられ、日本でも驚きをもって受け止められている。

台湾はアジア有数の民主主義国家として国際的に高い評価を受けてきた。その台湾の立法府で、なぜこのような事態が続いているのだろうか。



背景① 与野党の力関係の変化

混乱の最大の背景は、選挙結果によるねじれ構造にある。総統府を掌握する与党と、立法院で多数を握る野党勢力との間で、政治的正統性をめぐる緊張が高まっている。

特に与党である**民主進歩党と、野党の国民党、そして第三勢力の台湾民衆党**の三極構造は、合意形成を一層難しくしている。



背景② 権限拡大をめぐる対立

問題となっているのは、立法院が政府高官に対して強い調査権や制裁権を持つかどうかという制度設計だ。
野党側は「行政の監視強化」を掲げる一方、与党側は「立法府による権力の濫用」につながると警告する。

この対立は、単なる手続き論を超え、台湾の民主主義のあり方そのものを問う議論へと発展している。



背景③ 市民社会の反応

台湾社会の特徴は、市民が政治に対して非常に敏感である点だ。立法院の混乱を受けて、議事運営の透明性や民主的正当性を求める市民集会やデモも各地で行われている。

これは、民主主義が「弱っている」証拠というより、民主主義が生きているがゆえの摩擦とも言える。



総統府との緊張関係

現在の総統である**頼清徳**政権にとって、立法院との対立は避けて通れない課題だ。法案が滞れば、外交・安全保障・経済政策にも影響が及ぶ。

特に中国(北京)との関係が緊張する中、国内政治の不安定さは台湾の国際的立場にも直結する問題となっている。



混乱は「危機」か、それとも「過程」か

議場での衝突や混乱だけを見ると、台湾の政治が不安定化しているように映る。しかし別の見方をすれば、これは権力が一極に集中しない民主主義国家が必然的に経験する調整の痛みとも言える。

重要なのは、最終的にルールと対話によって合意形成が回復されるかどうかだ。台湾の民主主義は、今まさにその耐久力を試されている。



おわりに

台湾の立法院で起きている混乱は、決して台湾だけの問題ではない。民主主義国家すべてが直面する「分断」「制度設計」「権力監視」という普遍的課題を、私たちに突きつけている。

日本に暮らす私たちにとっても、台湾の現在は、民主主義の未来を考える上での重要な鏡となるだろう。

今日は衆議院議員会館の会議場で開催された天安門事件35周年記念集会に参加しました。

あの大虐殺から35年の歳月が過ぎています。中国は、世界からの何の制裁もなく、逆に欧米や日本からの資金、技術の支援で、経済的にも、軍事的にも、大きな発展を遂げ、今ではアメリカに次ぐ経済大国になっています。軍事的には、南シナ海において侵略的な野心を顕にしています。台湾に対しては、この間の新しい大統領の就任に対して、台湾を包囲する様な軍事演出を強行して、世界からの注目を受けました。

35年前に、一万人を超える若い大学生、市民が北京市内のいくつもも場所で中国人民解放軍の発砲を受け、殺害されました。彼らはただただ中国の民主化を求めて、天安門広場でデモ活動をしていたので、これを許さない中共指導部と鄧小平が命令を下し、歴史的な大虐殺を実行していました。

大学や市民の民主化運動はそのように残虐に弾圧されて、中国共産党の独裁支配は今も続いています。

私の祖国東トルキスタンにおいては、中国共産党や習近平は2014年からウイグル人に対してジェノサイドを実施し、300万を超える人々を強制収容所と同然のいわゆる「職業訓練センター」と呼ばれる施設に収容し、今までは100万人以上を殺害し、残りを奴隷の様に扱い、過酷な条件の下で、強制労働をさせています。

21世紀という時代においては考えられないことです。

35年前に、天安門事件で大虐殺を起こした中国共産党当局は、今はウイグル人に対して民族のジェノサイドをしています。中国共産党の横暴を罰さない世界は、今のウイグル人に対するジェノサイドに対しても、厳しい対応はとっていないのです。大変残念なことです。







1927年10月11日,国际恐怖组织在南粤(Cantonia)成立海陆丰苏维埃政权。

“这个政权发动了真正的消灭地主的斗争。在那里,大约有三、四百个地主被砍了脑袋。(鼓掌。有人在座位上喊道:「少了,还要多一些。」)在这个有几百万居民的地区内,地主已经被从肉体上消灭了。最后,我们现在还看到整个广东,特别是在广州周围,已经形成非常紧张的局势。”( 布哈林:《国际形势和共产国际的任务 — — 在联(共)布第十五次代表大会上的报告》(1927年12月13日),引自中共中央党史研究室第一研究部编:《共产国际、联共(布)与中国革命文献资料选辑(1927–1931)》(上),中央文献出版社,2002,第25页)

“很清楚,在这个政府的统治下 — — 实际上是专政 — — 农民对共产主义事业的信仰的问题,已不再用同样的措词。即使我们考虑到有强迫的成分,考虑到有超过五万的居民从这两个县逃到香港、汕头和广州(并非全是有钱人,远非如此),也考虑到有许多农民确实主要出于狭隘的原因参加了叛乱,事实依然是,大量的农民支持这个取销了他们的债务,废除了他们的地租的政权(虽然支持的程度有所不同,从积极到被动的同路)。即使他们并非有意识地寻求革命,他们发现自己登上了革命之舟,并且与其说他们是集体化的支持者,还不如说他们是恢复旧秩序的支持者,但他们中的大多数人从这一变革中获益匪浅,而害怕地主阶级复辟。

还有更紧迫的理由害怕复辟:许多人可能已没有逃避报复的希望,因为他们曾卷入抢劫、放火和杀人,总之,他们实施了「红色恐怖」。苏维埃当局曾有计划地采取恐怖活动 — — 像往常一样,着眼于动员农民。农民既需要鼓励,从心理上摆脱屈从的枷锁(通过变得确信旧秩序已经被摧毁,决不可能恢复),也需要使之参加破坏和屠杀的行动,使他们不可能后退或开小差。总之,这个计划是从海陆丰消除一切中立和一切保留:「谁不和我们站在一起就是反对我们。」因此,在一大群被邀去喝彩和提出意见的人中,出现了公开的、甚至戏剧性的处决反革命的场面:「这些罪犯该不该杀?」甚至被邀积极参加屠杀。从而也有了组织「人头会」的习惯,它预示着(通常这是从相反的方向)诗人普雷韦尔所描绘的「人头宴」。但是在海丰没有宴会;只是把新近砍下的头穿在讲坛上方的一根绳上,为演说者激烈的言词提供一个恰如其分的布景。

不过,在海陆丰实际上也有宴会。有时(例如在捷胜)甚至出现拒绝吃受害者心肝的那些人被斥为「假兄弟」。但首创这种人肉宴的是农民自己,而不是苏维埃当局。彭湃故意制造的恐怖主义(不可能有怜悯和饶恕的问题,因为那意味着对革命者的冷漠和残忍)使人联想到圣茹斯特冷冰冰的推理,但这与农民恐怖主义的虐待狂式的欢庆、丰富和巧妙发挥无关。公开行刑吗?公开行刑比示众好;是许多农民参加,不应错过的节日,由于高喊「杀,杀,杀」而嗓音嘶哑。至于(更大量的)不公开示众的处决,到两星期过了以后,苏维埃政府也无需给行刑者以报酬:赤卫队员(大多是青年农民)非常乐于执行这种令人羡慕的光荣任务。对一个反革命来说,没有受拷问就被杀死是一种恩典。那些被砍下一肢,亲眼看到他人被煮熟吃掉,然后被杀死的人是幸运的。有些人被大卸八块,另一些人被关在一个板箱里,被慢条斯理地锯成一块块,而行刑者们还不时停下来喝茶休息,以延长其痛苦。”( 费正清、费维恺编:《剑桥中华民国史1912–1949》(下),中国社会科学出版社,北京,1993,第354–356页)

共青团员陈绍民回忆,他“回县述职第二天晚上,在卧室内和同学谈论此次夺取政权的经过,正谈得入神的时候,忽传来一阵嚎啕痛哭的声音,原来大队长(吴振民)在审问梅陇的恶霸地主,用大木棍打他。还清晰地听到吴大队长这样地骂了一句:「好痛吗?」他对地主阶级的仇恨就是如此。第二天晚上,我们的同学郑俊民等三人奉命押解受审的几个地主到火车头枪决。一个很肥胖的地主吓得走不动了,给拉着走去。一会儿几个同学完成任务回来了,大伙正想宽衣上床,忽然,我看郑俊民同志的背上带有一块白肥肉,我心里怀疑,半夜三更,这小块肥肉是从那里来的?就问他说:「你的背上那块小肥肉是怎么来的?」他却一本正经地说:「我们要食其肉,寝其皮,今晚带回这一小块,让你们尝一尝用农民的血汗养的那些地主老爷肥腻腻的白肉是怎么样的味道。」这句话,逗引了卧室里的同学哄堂大笑。” (陈绍民:《大革命时期的海丰农民自卫军》,引自中国人民政治协商会议广东省委员会文史资料研究委员会编:《广东文史资料》第三十辑,广东人民出版社,1981,第76页)

出处:馬克思(列寧)主義的早期中國(張獻忠)化1927年10月11日,国际恐怖组织在南粤(Cantonia)成立海陆丰苏维埃政权。リンクliuzhongjing.medium.com




絶望の海で迷子にならないことが大事です。希望を持って楽観的に過ごすことが重要。私たちの闘いは、1日、1週間、1か月、または1年ではなく、生涯にわたっています。相手はチャイナ共産党。だから、騒ぎ、トラブルは付き物です。そう言うのと遭遇する時は恐れないことです!













皆様、


いつも大変お世話になっております。


皆様御周知の様に、この度の「日本でもウイグル人権法を」という趣旨の署名活動が、衆参両院合わせて11万筆に達して、それを衆参両院に正式に提出してから二週間後、一部の人達から発起人の今橋留美看護師、国会提出の為にお手伝いしていた私に対しSNSやネットメディアによる攻撃と誹謗中傷がおきました。


ウイグル民族がチャイナからのジェノサイドを受け、私を含む殆どの海外在住のウイグル人は、すでに失った親族の為に泣き、未だに連絡の取れない御親族の安否を心配し、寝食不安の毎日を過ごしています。その様な中で、本来は我々ウイグル人をサポートして、応援する趣旨の下でできたウイグル支援地方議員連盟は、現状私個人に対して否定的な意見を発信し続けています。しかし、彼らが主張していることの数々は、事実を誤認して解釈しているもの、また、事実無根であることも含まれています。


現在、このウイグル問題は以前より遥かに日本人の多くの方に知れ渡りつつあり、私たちは数多くの日本の支援者の方々とともに、ウイグル人の人々の救済と、日本の防衛のため

力強い一歩を踏み出し始めています。


そのような現状の中で、今回ウイグル支援地方議員連盟がこのような動きを図り、私個人を批判し、そこへ関わるウイグル人や日本人を混乱、分裂させて、これで1番ほくそ笑むのは、中国共産党以外の何者でもありません。


本来わたしたちは、同じ志を共有する同志であるはずだという認識を致しております。


チャイナとの闘いは今後も非常に困難が続きます。ですが、私自身の愛する祖国、愛する人々を救い出したいというこの信念は、例えどんなことが起ころうとも、これからも、断じて曲がることはありません。


今回の騒動により、私の活動には

一定のマイナス的影響が出ると思います。


しかし、私は自分自身の天命を見失うことなく今後も今の自分が出来る、最大限のことを支援者のみなさまへの感謝を忘れず、天にも己自身の心にも、誠実にこの活動を続けてまいります。


私の活動はこれからも変わることなく、愛、誠実さ、感謝を忘れずに継続してまいります。


皆様方の御理解、御応援を心よりお願い致します。


今日も皆様にとって良い成果のある1日となりますことをお祈り致します。


東トルキスタンと、日本の皆様の未来が幸福に満ちたこととなりますように、心を込めて。


トゥール ムハメット 


令和三年六月十一日