ハウス・ビッチーズ&バスターズの奮闘日記 -2ページ目

無限と超越の東方

ちょうど54年前の探険記を読了。54で丁度、というのは、別に数秘術的含意があるのではなく、著者の探険期間が、丁度今の季節と重なったから。探険記は、岩村忍『アフガニスタン紀行ーモゴール族の村を求めて』。著者の別著は、以前にも読んだことがあったが、これは初めて。

著者が探険に出たのは1954年の3月から7月の終りまで。ぼくが読み始めたのは、6月になってからで、たまに電車の中で読む程度だったが、面白かった。そして、著者の記述が7月1日、2日、3日と続くのと同時に、ぼくも偶然同じ日付の日に、電車の中で、読むことになった。ただし、54年の歳月を隔てて。

隔たりは、時空だけではなく、著者が過ごした中世的世界とボクが読む東京の地下鉄の中、という違いも象徴的だ。アフガニスタン戦争以前の彼の地を知る格好の資料だし、荒い画像の当時の写真に残るアフガニスタンの様々な民族の姿も印象的。

ぼくは思わず親友のアフガニスタン人にメールを書いた。なにしろ、彼女のお父さんが生まれたかどうかの時期の旅行記なのだ。


電車の中での読書は乱読。実は同時に『ロリータ』も新訳で再読。この本の中にも日付が出てくるが、なんと、こちらでも7月の前半の日付で、作品の中と現実世界が同期した。この本は、しかし、分け分かんない。新訳の底本とは違う版の原著と、省略なしの朗読CDも手許にある。もう一度挑戦しようかな。

もう一つ分け分かんない内容の本を読んだ。『無限と超越』。字面の意味は理解出来るが、「無限」や「超越」の理念は、やはり理解しがたい。といっても、こういった概念をめぐる思惟がボクの勉強の対象なんだけどね。

もう少し分かりやすかったのが、小川英雄『古代オリエントの宗教』。あっちこっちで集めた知識が、キレイに(年代的にも地域的にも)整理されるようで、その点では有難いコンパクトな本。でも、惜しむらくは、情報の出典なり参照なりの注記かな。ボクのような人類史上恐らく2番目にものぐさな人間でも、参考資料が注記されていれば、ちょっとは見てみようかなって思うのに。でも、断片的な知識が整理出来て有難い。じつは、幼少の頃、考古学をボクは志していて、何とはなしに、この小川氏に習いたいものだと思ったことがあった。

そして最後に『澄み透った闇』が残った。著者は十文字美信。そう、あの世界的に著名な写真家。でも、この本は、南中国から東南アジアの北部に住まったヤオ族の宗教に関する人類学的報告(と言っても良いよね)。や~、すごいね、これは。古代オリエントの諸宗教なんて、残ってるものも何だか都市化されちゃって、人間性の闇の部分を誤魔化しちゃってるけど、ここには精神の闇がアカラサマに野生のママ生きている。「無限」や「超越」の臨在に触れて、古代オリエントでもやはり、こんな精神世界が繰り広げられていたんだろうか。『闇の奥』を連想した。これを次に再読しようかな。

『現代遠野物語』

ジルかリコが、帰宅するのが、6人の中で一番早い。

今回は、あきらがリコの直後に帰宅した。

そして、ジル。


リコが家に帰ったとき、丁度、
クララが外出するところだった(また夜遊びかい?)。


しばらくして、リコがトイレに入り、

楽しそうな、しかし大きい声で、


きゃー


と、奇声を上げて、出て来た。


リコがトイレで目撃したものは、

巨大桃色海綿生物。

学名は、
オオスギテ•ナガレキレナカッタ•ツカワレタ•カミ

カワヤ目カワヤガミ科ツカイスギ属

に分類される新種の存在が、リコの発見で確認された。


状況判断からして、この新種はクララに由来する。

それは、大量にむしり取られたトイレットペーパーの

(今回は濃いめのピンクでした)

一抱えもあらんかという、

この世に未練を残し、

流れるに流れきれなかった、

悲しいトイレットペーパーの怨念の塊。


リコ曰く、

流そうとしたけど、

でか過ぎて、なっかなか動かなかったよ~。


春もまだ浅き頃より、

夜な夜な、

カラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラ、
カラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラ、
カラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラ。
カラカラカラカラカラカラカラカラカラ~~~! 

ブチっ☆


と、奇怪な音が便所から聞こえるという

りょうの訴えが繰り返された。


時空の狭間から、ふらりと
あらわれて、糸巻きに、けつまずいて
帰っていく亡霊が、
我らのシェアハウスにも現れたのか。


しかし、今回の発見と報告は、

我々の推測を裏付ける結果となった。


なにしろ、春以来、

トイレットペーパーが、2、3日に一本なくなっていたのだ。

そして、床には、

何ものかが、

無惨にもカミサマをバラバラにした痕跡が。


なんて、罰当りなんでしょう。

桑原桑原

コンサート

Yくんの応募が当選して、新木場での

WOWWOWの公開録画に、行ってきました。


楽しかったです。


お誘い有難う。


放映は、7月7日のほか、8月にも4回もあるとか。


コンサートの最後に、出演者全員のサインが書かれたTシャツが、

抽選で3人にあたることになりました。


なんと、3人目は、ボクでした。


Yくんに、お礼に進呈しました。

なにしろ、Yくんお気に入りのバンドのサインも入ってますしね。

そう、そのバンドが目当てでしたしね。

スクール•フード•パニッシュメント。

「東のエデン」のバンドです。


にしても、みんな歌うまかったし、

ひとりキューバの町火消しの囃子にあわせて踊り狂う女人が、

すぐれてときめきたまひて、モノスゴシ、でした。

シャジャラとるモチモチ

今日、研究室で美味しいラーメンを夢想していると、

コシのある麺を小気味良く断ち切る前歯のごとく、

叱責がくだされました。


餃子ばっかり食ってないで少しくらい勉強しろ、

と、上州イルファーン研究会のボスに、お叱りを受けたのでした。


美味しいラーメンの名は、

「もちもちの木」shajarat al-mochimochi。

天上界の窮極の美味と存在界の持続性を、

「もちもち」という新概念で粘り強く結びつけた、

インスタント麺業界の新機軸です。


海の幸山の幸が至極の調和を現実態へともたらし、

実在界の真相をズズズーという妙なる音曲と天上の調べとともに

開示する至福の三昧の境地が、現世に確立されます。


あ、そうそう、勉強。

えー。

今日は、ブーニーに関する研究論文をコピーしました。

研究史上は、おそらく最初期に属するものばかりです。

ドイツ語の論文が多いです。

フランス語の研究も幾つかあります(あとで入手します)。

ブーニーの著作も収集中。

かれは、西暦13世紀に、
文字神秘主義(もしくは象徴主義)と
数の神秘主義(数秘術)
を体系化しました。

魔方陣とも深くかかわり、面白そう。


じつはこれ、いま集中的にやらねばならない研究には

直接関係はないのですが、大きく、文化史的にみて、

これからの中心的なテーマにとって重要になりそう。


ラーメン以上に夢想状態ですが、この分野を切り口に、

精神史を描いたら面白いと思うんですが…



「もちもちの木」すなわち「神秘の世界への鍵」は、

叱責とともに手渡され、帰宅後、夜食として味得されました。

ごちそうさま。


それから、ボスは、今日、マックでごちそうしてくれました。

今日コピーした論文の要旨を、後日、まとめてお礼に変えさせて下さい。

そのあとは、ジュムフールの研究を読みあげます。

スペイン神秘主義

今日、以前からお誘い頂いていた十字架のヨハネの講読会に、
やっと参加できました。


ず~と昔に

『カルメル山登攀』と『霊の讃歌』(だったかな?)

などを読んで、

あるいは、スペイン神秘主義の概説書や、スペイン文学の概説書や、

思想史の本などを読んで、興味を持ってました。


今日参加したのは、その筋の権威が中心となった読書会。

専門でもない学生相手に、ご専門の方がご指導くださるのは、

勿体無い話しです。

しかも、研究室の雰囲気も、穏やかで居心地が良いです。



先生の著書や論文も、じつは幾つか目を通していて、

どんな方だろうとは思ってましたが、

エラい穏やかで、

恐縮しました。


機能不全の脳に檄を飛ばして、復習してみます。

本日読んだのは、

『光と愛の言葉』Dichos de luz y amor

の27から35番まで。

この部分で面白いと思ったのは(印象に残ったのは)、

amor pur を巡る議論と、これ↓。

34)
Un solo pensamiento del hombre vale más que todo el;
por tanto, sólo Dios es digno de él.

35)
Para lo insensible, lo que no sientes;
para lo sensible, el sentido;
y para el espíritu de Dios, el pensamiento.

全世界よりも、人間の一つの思考に価値があり、
だからこそ神のみがそれに値する。
感覚しえないものには感覚しえないもの、
感覚しうるものには感覚、神の精神には思考が。


類似は類似を知る、ってことでしょうか。

ここで「全世界」は、感覚対象、感覚与件に対応し、
それを思惟する人間の精神は、万物を超越する神に対応している?


この後半部分が、カルメル山の精神地理学に対応する表現のようです。

つまり、神に至る道のりの道標を、ここに探れそうです。

ただ、純粋愛との関わりは、ここではまだ明言されていないようです。

ぼくの興味としては、神の体験が、如何に記述されているのかを知ること。



「純粋愛」は、「純粋贈与」と読み替え可能だと思いますが、

十字架のヨハネでは、この「愛」は「存在」に先立つのでしょうか。

こんな観点からも、読んでいきたいと思います。


ただし、木曜日は、他にも勉強会があり、ぼくにとっては不都合なのです。

毎回参加出来ないのが残念でなりません。

影武者が、あと二人必要です。