<★だまし絵>

 

みんな穴が開いてると思ってるけど、実際は穴なんか開いていないのですよ!



マクロ経済には、いくつもの「だまし絵」が存在します。

 

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【ネオリベの重大な誤り】

①投資するためには貯蓄がなくてはならない 「貯蓄が投資よりも先論」 

②分配するためには成長しなければならない 「成長が分配より先論」

③銀行貸出は銀行預金を元手に行っている  「銀行預金が銀行貸出より先論」 

④政府支出は税収を元手に行っている  「徴税が政府支出より先論」 

⑤供給を増やさないと需要は生まれない 「供給が需要より先論」 
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上記の「だまし絵」は、基本的に間違いです。
「タマゴが先か、ニワトリが先か」という議論に持ち込んで、逆張りして屁理屈を言ってるだけだろうって思う人もいるでしょうが、そうではありません。

多くの人が、財源調達に「穴」があっては投資もできないし、再分配に支障をきたすという「だまし絵」を信じ込んでいます。
経営者や投資家であればなおさらそう考えて自分や会社のお金を管理する。

彼らは、個々の経営者や企業の経済活動の合成がマクロ経済を構成すると思い込んでいますが、そうではありません。
ミクロでは正しいことでもマクロレベルで見るとまったく真逆のことが起こることが多々あるのです。

だから「だまし絵」に騙されて、経営者目線でマクロ経済や政府財政を考えると重大な誤りが多発します。
この重大な誤りを抱え込んでいるのが、今の日本政府と彼らの経済政策、または財制審や経団連、経済同友会、連合などの考えとなります。
首相が「成長無くして分配なし!」みたいなバカなことを言う国家があるでしょうか。
ここからもなぜ我が国が30年間衰退し続けてきたのかわかるというものです。

そんなわけで、今回の記事はこのネオリベ・マインドの誤りを正していきます。

 

<投資が貯蓄を増やす!貯蓄が投資額を増やすのではない!>

 

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▼ MMT(現代金融理論)のエッセンス! ウオーレン・モズラー「命取りに無邪気な嘘 6/7」
http://econdays.net/?p=10584
命取りに無邪気な嘘 その6: 投資には、先立つ貯蓄が必要だ

事実: 投資が貯蓄を増やす

(中略)
経済学の教科書で「倹約のパラドックス」と呼ばれている話がスタートだ。
こんな感じだ。経済全体の中で、産出物が全部売れたときの総支出は必ず総所得(利益を含む)と等しい。(次の文に行く前に、これを理解したかどうか必ず確認せよ)。

もし誰かが消費を所得以下に抑えようとすれば、他の誰かが所得以上に消費しない限り、産出物に売り残りが生じることになる。
売れ残った産出物は過剰在庫になり、売上不足から生産調整そして雇用カットとなり、結果、総所得が減少する。この所得減少分は、貯蓄のために使わないことにした金額と等しい。


こう考えてみよう。ある人が貯蓄(収入以下の支出しかしないようにする)しようとすれば、それは失業しつつあることになる。
売れ残りが出るなら雇用主はもうその人を雇わない。

つまり、このパラドックスはこうだ。「収入の一部を使わずに貯蓄しようとすることが、収入を減らし貯蓄を不可能にする」。反対に、借金して収入以上の支出をしようとすると、収入が増え、実物投資と貯蓄ができるようになる。
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この記述は少しマクロとミクロを混同させてしまうかもしれないけど、「誰か」とか「ある人」という主語を「複数人」とか「みんな」として変換するとマクロ全体がイメージできるかもしれません。

ちなみに「倹約のパラドックス」とは「合成の誤謬」の有名な例で、以下のようになります。

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倹約のパラドックス は、不景気下の倹約による景気悪化のことをいいます。 
具体的には、景気が悪くなると、多くの人が対策として倹約をしますが、その結果として需要が減って企業業績が悪化し、さらに景気が悪くなることを指します。

倹約のパラドックスとは|金融経済用語集 - iFinance
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この論理は何もモズラーらMMT派だけに特有のものではなく、ケインズ主義にとっては基本的な「有効需要の原理」に基づいた視点となります。

 

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「投資I=貯蓄S」について
https://finance.yahoo.co.jp/brokers-hikaku/experts/questions/q10174627685

古典派の場合、投資は貯蓄を元手とし、貯蓄から資金調達する形で行われる。
金利は、投資者から貯蓄者に対して支払われる
貯蓄された経済的資源の購入価格となる。
貯蓄がなければ投資はない。
貯蓄が先、投資が後。
投資を増やすためには消費支出を減らして貯蓄を増やさなければならない。
(一番手っ取り早いのは賃金が下がれば、企業にとっては投資費用・生産費用が下がるし、家計の消費支出も減るので投資が増え、雇用も増えることになる。)

ケインズ(派)の場合、まずは企業が投資を決定し、生産活動を行うことによって国民所得が決まり、そのうち消費されなかった部分が貯蓄になる。
投資が先、貯蓄が後。

貯蓄を増やすためには投資が増えなければならない。
投資が増えるためには企業の期待収入が増えなければならない。
そのためには消費支出が増えなければならない。
まず消費の増加(に対する見込み)がなければ企業は投資を増やさず、企業が投資を増やさなければ国民所得も貯蓄も増えない。
もう少し一般化して言うと企業の投資を決定する(と言うことはつまり総需要を決定する)のは実際の需要(実際に貨幣の裏付けのある需要)に対する見込みであり、まず「有効需要」が決まることで国内所得や貯蓄も決まる。
こうした原理を「有効需要の原理」という。
(賃金が上がれば消費支出が増え、企業の期待利益も増え、投資が増え、国民所得が増え、雇用・貯蓄も増えるかもしれない。)

*質問者に回答をしたリッキー氏は日本有数のMMT派で、駒沢大学・井上智洋准教授の「MMT 現代貨幣理論とは何か」の監修も行っている。
https://www.amazon.co.jp/MMT-%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E8%B2%A8%E5%B9%A3%E7%90%86%E8%AB%96%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E9%81%B8%E6%9B%B8%E3%83%A1%E3%83%81%E3%82%A8-%E4%BA%95%E4%B8%8A-%E6%99%BA%E6%B4%8B/dp/4065182042

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この「投資が貯蓄を決定する」、つまり有効需要の原理はケインジアンの頃から言われていたものです。
以下に、時代をさかのぼるかたちでポストケインジアン達の説明も加えておきます。

 

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有効需要原理によると、商品の生産は、商品の需要の大きさに対応して調整される。
この原理は、すべてのポストケインズ派アプローチの核心にあるものである。
経済は、それゆえ、需要によって決定され、初期賦存量や供給によって制約されるものではない。
これが意味するところは、投資は貯蓄から独立しているということである。
(中略)
ポストケインズ派にとって、有効需要原理は、短期そして長期のどちらにおいても、常に有効である。
そのため、投資が常に貯蓄を決定するのであり、逆は生じない。
この意味で、有効需要や既存制度によって課せられた制約次第で、多数の長期均衡が可能となる。
そして、その需要サイドに対応して供給サイドが最終的に調整される。

  - マルク・ラヴォア「ポストケインズ派経済学入門」 p.17~19(2008年初版)
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労働雇用の増加分がすべてそのまま、現在の消費に対する需要の増加を満たすために使われなかったとすれば、企業全体として損失をこうむることになる。
このようにして労働の雇用が正当化されるためには、全産出量のうち、消費を差し引いたものを吸収するだけの投資が維持されなければいけなくなる。
したがって、経済全体の消費性向と呼ばれるべきものが所与のとき、雇用の均衡水準は現在の投資に依拠して定まることになる。
【中略】
消費性向と投資水準とが与えられているとき、均衡の条件と整合的になるような雇用量の水準は一つしかない。
それは有効需要に対応するものであって、他の雇用水準は必ず、総供給額と総需要額との乖離を生み出すからである。

  - 宇沢弘文「ケインズ『一般理論』を読む」 p.112(1984年初版)
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けれども資本財に対する需要というものは、貯蓄から生まれるのではなくて、資本財を生産に使用する企業から出てくるのである。
(中略)
資本財の収益性はそれを使って生産される消費財の需要に左右される。
だから人々が、貯蓄、つまりその場の消費に金を使わないことを決意すれば、その人たちは起業家たちの新規資本財を手に入れようという動機を強めるどころか、むしろ弱めることになる。
したがって、貯蓄の決意は消費財需要を減らしながら、しかも資本財需要の増加を伴いはしないのである。
(p.7)

失業が一般化されている時期に、個人の貯蓄意欲は変わらないままなのに、起業家たちがあその設備拡張の率を高める決意をすると想定しよう。
すると資本財産業では活動の増加が起こる。
今まで失業していた人たちが賃金を貰い始めるし、利潤も上向きになり出すので、所得は増加する。
こうした追加所得の一部が支出され、消費財産業でも活動が増大する。
そこで一層の所得増加が起こることになる。
いまや所得水準は上昇し、しかも貯蓄に対する一般の態度は変わらないのだから、人々が貯蓄する額は増えるだろう。
(中略)
貯蓄は所得に左右され、所得は投資財の生産される率によって決まる。
誰でも自由に好きなだけ貯蓄できるのだが、その人がどれだけ貯蓄したいと思うかはその所得に影響されるのであり、その所得は、どれだけの投資が引き合うかについての起業家たちに決意から影響を受けるのである。
(中略)
投資が人々の貯蓄欲求の成立事情を或る状態に導くから、貯蓄は投資に等しいのである。
人々を誘ってその投資率に等しい率で貯蓄させるのにどんな所得が必要であろうとも、投資は必ずそれだけの所得を成立させるのだ。
人々の貯蓄意欲が大きければ大きいほど、一定の投資水準に対応する所得水準はますます低いものとなる。
また一定の投資率増加によってもたらされる所得増加はいよいよ小さいことになるのである。
(中略)
この議論の逆は成り立たない。
貯蓄意欲は投資を促進しないのである。
起業家たちが前と同率で投資は企図しているのに、個人側の貯蓄意欲が高まる--つまり一定の所得中から人々の貯蓄しようとする額が大きくなる--と想定しよう。
その場合には、個人の中には前よりも少ししか所得を支出しない人々がいるだろう。
だから消費財産業内の活動と所得とは低下するはずだ。
この所得低下のために、消費がさらに削減され、それによって一層の所得低下が起きるだろう。
ある人の支出は他の人々の所得である。
だから一人が支出を減らせば、他の人々の儲けが少なくなるのである。
所得が低下するにつれて人々が貯蓄したいと思う額は切り下げられ、社会全体としての所得は、実際の貯蓄率がし投資率を超えなくなる高さにまで減少する。
人々が貯蓄削減を嫌えば嫌うほど、このような所得低下は大きくなるであろう。
こういうわけで、人々の貯蓄に対する態度がどうあろうとも、実際に貯蓄する額というものは、企業家達が自分達にちょうど良い投資財生産額について行う決意が人々に代わって決めてくれるのだということを、私たちは再び見出すのである。
(中略)
個々の貯蓄者は投資率に対して直接的な影響力などはまったく持っていない。
企業家達が投資から得られる利潤を見込めば投資が行われ、利潤見込みなしと判断すれば投資は起こらないのである。
主導権は企業家にあって貯蓄者にはないのだ。
(p.14~17)

  - ジョアン・ロビンソン「ケインズ雇用理論入門」(1930年初版)
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この投資額=貯蓄額という考え方は、ケインジアン・ポストケインジアンたちが進化させ、ISバランス式「S-I = (G-T)+(EX-IM)」、そしてウェイン・ゴドリーのSFC(ストック・フロー一貫モデル)へと進化を遂げます。
つまりMMTの説明でよく聞く赤字額=黒字額(「誰かの消費は誰かの所得」、「誰かの負債は誰かの資産」、「誰かの赤字は誰かの黒字」)という考え方になります。



ちなみに上記SFCモデルのリンクのSorataさんが「2019年7月の講演会場でケルトン教授が『ゴドリーを知っている人は手を上げて』と言ったのですが、挙手したのは60人いる参加者のうちのたった3人だけでした」と報告していますが、その一人は私です(笑)
(早くまた貨幣論ファンで打ち上げしたいなあ。そしたらツイッター上でのケンカも少なくなるのに笑)

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話が横道にそれたけど、なぜいろんな人たちの似たような有効需要の説明を並べるのか。 
それは、この考えがそれほど重要だからとなります。

ケインズと、ロビンソンらケインズ・サーカスが「一般理論」を起こした1930年代からネオリベの誤り「①投資するためには貯蓄がなくてはならない『貯蓄が投資よりも先論』」が指摘されていたからです。(当時は古典派の誤りとして)

100年くらい経ってもいまだに間違えっぱなしってヤバいを通り越して、病院に隔離したほうが良いレベルの話じゃないですかね。 

そしてお気づきかと思いますが、この有効需要の原理は、先に掲げた「ネオリベの誤り」の「⑤供給を増やさないと需要は生まれない 『供給が需要より先論』」も同時に粉砕しています。(というかむしろこっちが有効需要の原理の説明としては本筋か)

企業による投資、もしくは不況で企業投資が少ない場合は政府による公共投資が行われることによって、その投資が人々の需要(購買力)や雇用を創出し、その結果、企業も利潤が増えて供給体制が強化されるということです。
必ず、供給よりも需要が先の関係になるのです。

半径10km以内に20人くらいしか住んでいない山奥で、アイスクリーム屋さんを開店して、その店の経営は成り立つと思いますかね?
需要(消費)してくれる人がいないと無理ですよね?

「いやいや、それでも先立つもの(資本や税収)がなければ投資もできないでしょ!」とまだ信じられない方は、もうちょっと待ってください。その説明も後述しますので。


ネオリベは総じて経営者目線であるため、「貯蓄(もしくは利潤や所得)の中から投資用の資金を見出す」性質があります。
でもこれはミクロで見た場合の視点で、マクロではそれが逆転します。
金儲けを生きる目的としているネオリベにはこれが理解できないのです。

竹中やアトキンソン、中空、新浪、櫻田健吾、夏野、三木谷のような倒錯しきったネオリベが、政府の諮問機関に入り込み、「もっと企業に儲けさせろ!そのためには規制緩和と生産性向上だ!」とやってきました。

 

彼らの考え方をまとめるとこうです。

日本政府の場合 「無駄を削ってPB黒字化し、税収が増えるまで(貯蓄が増えるまで)は、投資はせんぞ!」

経営者の場合 「景気が悪いので内部留保を貯めるぞ(貯蓄を増やす)! 業績が上がるまでは投資はせん!」

 

この愚かな考えを25年間すすめた結果がこれです。




人への投資(人件費)、モノへの投資(設備投資)を削り続け、貯蓄(内部留保)を増やし続けた結果、衰退国家になってしまいました。




本日も長文を最後までお読みいただきありがとうございました。
次回は「②分配するためには成長しなければならない 「成長が分配より先論」」が誤っていることを説明をします。

ではまた!

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