れいわ支持者なら気づいたかもしれないが、先日の本会議における高井たかし質問と、山本太郎質問に対する高市の答弁が一部コピペであった。

これが何を意味するのか説明したい。
なぜならこの「コピペ部分こそが日本政府の公式な見解」だからだ。

山本太郎議員の「失われた30年を40年にしないため、今の不況期には消費減税や給付をやるべきだ」との質問に対する高市首相の答えは以下のようになる。
 

▼【LIVE!】参議院本会議 山本太郎の国会質問!(2025年11月6日 16時30分~)
https://youtu.be/TPyngZ4GyyA?t=706
16:09
〇高市 (山本太郎の質問に対して)
いわゆる失われた30年物価高対策についてお尋ねがございました。
我が国の経済については1990年代のバブル崩壊以降、低い経済成長と長引くデフレによって、企業は賃金を抑制し、消費者も将来不安から消費を抑制し、結果として需要が低明してデフレが加速するという悪循環が生じたものだと考えております。
この内閣では責任ある積極財政の考え方のも戦略的に、財政出動を行ってまいります。しっかりと日本の未来を切り開く、責任を担う覚悟を持っております。内閣として最優先でまず取り組むことは物価高対策であります。


さらに高井たかし幹事長の「消費減税をやるべき」との質問に対し、消費減税をやらない言い訳として以下のように答えている。

▼【LIVE!】衆議院本会議 高井たかしの国会質問!(2025年11月5日 16時10分~)
https://www.youtube.com/watch?v=HYqqxzNCXEI
16:24
〇高市
いわゆる失われた30年についてお尋ねがございました。
我が国の経済につきましては1990年代のバブル崩壊以降、低い経済成長と長引くレフレにより、企業は賃金を抑制し、消費者も将来不安などから消費を抑制し、結果として、需要が低明し、デフレが加速するという悪循環が生じたものと認識しております。
ま、消費税だけを切り出していわゆる失われた30年の原因について論じることは適当ではないと考えております


完全なコピペ定型文である。
これが日本政府の公式な見解であり、「デフレ不況が続いたのは政府の緊縮財政のせいではなく、バブルが崩壊して民間が勝手に賃金や消費を抑えて不況になった」というストーリーとなる。

そんなものはウソっぱちであることは誰もが知っている。

実はこの「バブル崩壊以降~」という定型文であるが、2013年の安倍政権発足時から始まっていて、スガ、岸田、石破政権でも同じコピペ答弁が12年間も貫かれている

例えば今年に入ってからはこうだ(一部のみ)。

国会議事録より

この他の過去のコピペ答弁例については後述するが、「不況が政府のせいではない」との見解がウソであることをまず喝破したい。
反日官僚どもよ、「責任転嫁をするな!」ということだ。

◇◇◇◇◇◇◇◇




政府の公式コピペ見解いわく、「デフレ不況が長引いたのは民間が勝手に賃金を下げ、需要の下落が悪循環した」とのことだが、実際は以下のグラフのように」なる。

政府支出の増減率と給料の増減がド相関なのである。



「給料が上がったので政府がいっぱい支出したなんだ!」なんていう転倒した考えはありえないことはわかるだろう。
(*給与増は景気が上がった時に起こるため、同時に税収増も伴うことから、ある程度の連関はあるがメイン・ルートではない)

上記グラフの数値を使用して回帰分析も行った。



コロナ禍で「外れ値」が出るため、2020年だけを除くと、全体として相関係数は0.73以上(決定係数0.53)、「強い相関」となった。
(*四分位範囲(IQR) 検定による外れ値は4点あったが、コロナ禍の2020年のみを異常値と判断した)

なお、「政府支出→給与増」と前提を置くならば、1年ずらして回帰分析すると決定係数が0.59にまで高まる。ため、「政府支出増→給与増」の因果も確定的となる。
「給与増→政府支出増」の因果ではないということだ。

もう一度言う。政府の歳出が伸びると月給も増えるという関係があるのだ。

これは、政府の支出が伸びると、その支出先である企業の収益が増え、設備投資や賃金を増やすため、このようなことが起こるということだ。

したがって設備投資についても似たような相関関係になる。


当たり前だが、「設備投資が増えたから政府支出も増えた」なんて逆向きの因果はない。


結論として以下のことが言える。


〇政府公式コピペ見解の「デフレ不況が長引いたのは民間が勝手に賃金を下げ、需要の下落が悪循環した」はまったくのウソ!

〇「デフレ不況が長引いたのは政府の緊縮経済や消費増税のせいで民間が賃金や設備投資を減らし、需要の下落が悪循環となった」ことが正しい!
「失われた30年」は、自民党は人為的に作り出した不況なのだ。

以上の事実から、ウヨさん達が「積極財政派だ」と信じる高市が、エセ積極財政派であることがわかる。
例えば山本太郎が首相なら、上記のインチキ・コピペ見解を国会で発することなどしない。自民党と官僚が経済政策の失敗を民間になすりつけるための悪質なウソだからだ。

高市がこのようなウソを採用し続けたということは、高市が「口だけ積極財政派」であることの証左となるだろう。

◇◇◇◇◇◇◇◇




政府公式コピペ見解の歴史を少し振り返ろう

国会の議事録で調査した限り、初出は2013年の麻生答弁だ。
 

▼第183回国会 衆議院 本会議 第8号 平成25年2月28日(2013)
https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=118305254X00820130228&spkNum=8&current=58
〇麻生太郎財務大臣
一九九〇年代以降、グローバル競争が激化するなど、内外の経済環境が構造的に大きく変化する中、日本経済は、長きにわたりデフレが継続いたしております。
賃金の下落が続き、消費や設備投資が伸び悩む中で、成長期待の低下やデフレ予想の固定化が見られ、将来不安などから国民の間に生じた閉塞感は、払拭できない状況が続いてまいりました。戦後、こうしたデフレ不況を経験しているのは、世界じゅうで日本のみであります。


これ以降、首相や大臣らが12年で100回近くこのコピペを読み上げている
安倍内閣が考え出した「定型文」であることは確実であり、当時財務大臣だった麻生太郎の答弁が初出であるため、財務官僚が考えたデマ答弁だということもわかる。

先日下記ツイのようにツッコんだように、財務官僚は責任逃れのウソを考えるのが得意である。

 


2013年の麻生答弁以降の「政府公式の大嘘コピペ見解」の行方を追ってみよう。
以下は100件近くあるなかの一部だ。

ちなみに、私がこの「政府公式の大嘘コピペ見解」に気づいたのは、2022年の2月だ。

 

それと、興味深いことに、れいわ議員の「失われた30年」に関する質問に対しては、必ずといっていいほど「政府公式の大嘘コピペ見解」で答えている


年に2、3回ほどのペースだった「定型文読み上げ」が、2019年の山本太郎議員の質問を機に、安倍晋三により乱発されることとなる。



特に石破は、2025年に入ってだけでこれだけの「政府公式の大嘘コピペ答弁」連発している。




ところが、興味深いことに、その石破は10年前に現在の自分の答弁をセルフ論破している。




過去の石破はある程度、政府の経済政策の失敗を理解していたが、財務官僚のご説明攻撃に屈し、ド緊縮おじさんになったのだろう。

結局、冒頭の山本太郎や高井たかしの質疑への答弁でも明らかになったように、高市首相もこの12年間続く安倍晋三のホラ吹きレガシーを覆すことはなかった


日本政府・自民党が、自らの失策を反省できないのであれば、これからもそのマヌケな経済政策は続くだろう。

日本国民にとっては災難だ。

 

一国も早く、高市政権をぶっ倒さなくてはならない。

以上

 

 

cargo GOKU

 

 

 

10月から公開されているOTORAKUの秋プレイリストです。

●OTORAKU HP


●USENの音楽情報サイト「encore」


●「encore」X

 

今期はkwn、 Jenevieve 、A$AP Rocky、Kyle Dion、Isaia Huron、Teyana Taylorのアルバムが良かった。
Kyle Dionは久々にグッときた。頑張ってほしい!
それとJorjianaという新人を見つけてテンションが上がりました。

プレイリストは以下の楽曲を含む感じです。
【Playlist Title】 2025 Autumn:R&B,Neo Soul,Indie,House,Chill
【テンポ帯】   SLOW, MIDDLE
【曲数】  108曲

プレイリストからポップ目の曲を少し抜粋します。

Jenevieve - Damage Control 


Omar Apollo - No Good Reason 


Jenevieve - Crysalis 


Sabrina Carpenter - Tears

上記の曲の私の評価


Doja Cat - Jealous Type


Justin Bieber - FIRST PLACE


kwn -  talk you through it ft. FLO


Teyana Taylor, Kehlani - Morning 


kwn - all the girls 


Jorjiana - Time


A$AP Rocky - Both Eyes Closed (From "Highest 2 Lowest")


Isaia Huron - I CHOSE YOU


Kali Uchis - Pensamientos Intrusivos


Kyle Dion - Tears on a Pretty Face

 

 

 

 

【目次】

 ◇ KCIAの前身(1)CIRC(米CIAと密接な関係)
 ◇ KCIAの前身(2)KACICに米国の意志が注入
 ◇ 在日米軍CICと陸自CIC
 ◇ 米日韓の防諜隊CICの魂、ウィロビー少将
 ◇ 米国の軍事・諜報同盟に取り込まれたことで邦人13名が殺害
 ◇ 米国様に倣い露中を敵視する日本政府

 

前回(https://ameblo.jp/cargoofficial/entry-12937560138.html)はスパイ防止法や秘密保護法制が、CIAエージェント岸信介の頃から米軍ないしCIAから要請されており、安倍晋三の特定秘密保護法もその延長線上にあったという話をした。

今回はKCIAの話に戻ろう。
そのあとに統一教会-CIAの話になる。

 

 

◇ KCIAの前身(1)CIRC(米CIAと密接な関係)


1978年の米国議会・フレイザー委員会は「統一教会はKCIAに組織され、隠れ蓑になっている」ことを突き止めた。いわばフロント機関だ。
さらにはKCIAは本家CIAと密に行動を共にしていた。

今回はKCIAの前身組織とCIAの繋がりを探っていきたい。

精査しなければならないのが、フレイザー報告書にあるKCIAの前身「合同情報研究センター(Combined Intelligence Research Center)=以下CIRCと表記」だ。

さらには、フレーザー委員会報告書では触れられていないが、韓国CIC(Counter Intelligence Corp=防諜隊=以下KACICと表記)もKCIAの前身であることがわかっているので、その二つの組織について掘り下げていこう。

フレーザー報告書によると、KCIAは韓国陸軍情報部の「CIRC」を吸収するかたちで設立されたとされる。
同研究所は、米国CIAと密接な関係を持っていたという。
CIRCは、二代目KCIA部長となる李厚洛少将によって設立された。

フレイザー報告書の89ページにはこうある。

1960年、張勉(チャン・ミョン)首相の政府が政権を握っていた時期に、李厚洛が外国情報の収集と分析のための「合同情報研究所(Combined Intelligence Research Center)」の設立を始めた。
1961年5月に朴正煕のクーデターが発生すると、李厚洛は解任され、クーデターの主要な立案者であった金鍾泌がこの初期段階のセンターを引き継ぎ、韓国中央情報部(KCIA)と改名した。


金鍾泌と李厚洛は双方ともKCIA部長を務め、日韓秘密外交においては筆者の別シリーズ「CIAとBチーム」で扱っているCIAエージェントの児玉誉士夫や瀬島龍三のカウンターパートでもあった。

しかし、このCIRCは、どうもフレーザー報告書以外には存在を確認できない謎の組織で、これ以上の調査は手詰まりとなってしまった。(筆者の探し方が悪いだけかもしれないが)

 

 

◇ KCIAの前身(2)KACICに米国の意志が注入

 

そこでもう一つのKCIAの前身、韓国CIC(防諜隊=Korean Army Counter Intelligence Corps、以下KACICと表記)について調べよう。

KCIAは、大韓民国陸軍の諜報機関である陸軍防諜部隊(Counter Intelligence Corps=CIC、アメリカ陸軍にも同名部隊がある。米CICはOSSとともにCIAの前身的位置づけの組織)のメンバーを中心として正式に発足した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%9F%93%E6%B0%91%E5%9B%BD%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E6%83%85%E5%A0%B1%E9%83%A8

1948年7月下旬、米参謀本部G2の第971防諜隊(CIC)分遣隊は、新しい韓国政府が防諜(CI)組織を立ち上げるのを支援
アメリカのCIC組織をモデルに、国内のすべての防諜機能を引き受けたほか、北朝鮮や共産主義勢力への対抗情報活動を担当していた。
(米軍資料より)
https://www.dvidshub.net/news/449275/cic-helps-establish-south-korean-ci-organizations-jul-1948

米軍資料からは、KACICが、アメリカのCICにより組織されたことがわかり、さらに米CICをモデルに「反共思想」が植え付けられていたこともわかった。
反共こそがCIC・CIA(そして統一教会や自民党も)のメインテーゼだ。

しかしKACICが正式に設立されるのは1950年10月であるため、上記の「防諜(CI)組織」とはもう少し広義の意味で解釈すべきだろう。
実際は韓国陸軍本部情報処(旧第2部)第3課が分離し、陸軍本部直属「特務部隊(CIC)」として設立した。
これが韓国CICの正式な創設となる。

この時期の変遷に関する詳細は後述したい。
少し米軍CICの話をしたい。

 

◇ 在日米軍CICと陸自CIC

 

終戦直後、米軍は極東軍司令部(FECOM)を日本に置いた。
https://en.wikipedia.org/wiki/Far_East_Command_(United_States)

米陸軍G-2のCICはCIAの前身機関(*組織制度としての直接の関係はないが人員やシステム設計が後継)ともされるが、米国は、傘下の韓国政府の組織だけでなく日本の警察予備隊/自衛隊において日本版CIC(調査隊)の設立に関与している。

特に、日本の陸自CIC内の「別班ムサシ機関」の場合は、はっきりと米国が出資して設立した記録が残っている。対外防諜のための特務機関だ。
(日本大学教授・小谷賢「日本インテリジェンス史」2022,pp64-66)https://ameblo.jp/cargoofficial/entry-12894001403.html

戦時中に少佐参謀だった松本重夫は、敗戦後(1946年頃)、米軍からの依頼で産經新聞の政治部記者となり、記者のまま米陸軍CICの諜報活動を引受けた
松本は、自衛隊のCIC(調査隊)や調査学校の設立に関わり、米軍の情報要員として利用されていたという。
(長岡大学教授・兒嶋俊郎『調査学校史第13巻 昭和43年度』(2016))

米陸軍CICが日本のCIC(調査隊)の設立にも関わっていたことを示唆する。
松本重夫は、他にも産経新聞社用地の買収工作、丸の内線駅建設への工作、共産党へのスパイ活動、GHQから依頼された芦田内閣設立の多数派工作、調査隊設立と昭和の裏面史を歩いたという。

CICといえば、在日米軍CIC出身者には、中曽根元首相の盟友で後にCIA幹部となるナサニエル・セイヤーがいる。
また、中曽根の腹心で、エージェント疑いのある後藤田正晴は日本の自衛隊CICの出身者であり、エージェントとなる服部機関や河辺機関、笹川良一、児玉誉士夫は皆、米軍CICの傘下であった(春名幹男「秘録のファイル CIAの対日工作」)。
怪しげな面々の巣窟がCICだ。

 

 

◇ 米日韓の防諜隊CICの魂 ウィロビー少将


米陸軍情報部G-2の中枢で米CIC(第441 CIC支隊)の設立に関与したのがチャールズ・ウィロビー少将で、日本だけでなく、初期の韓国の情報機関の設立にも深く関与した。

1940~50年代の米国の諜報機関には大きな混乱が見られる。
朝鮮戦争が突如勃発してしまったため、様々な小機関が組織されては消滅し、また再編成を繰り返したことで、大変複雑な経緯を辿っている。

CIA資料室にある開示資料「The Evolution of US Army HUMINT Intelligence Operations in the Korean War=米陸軍 HUMINTの進化:朝鮮戦争における諜報活動」(John P. Finnegan/ ジョン・P・フィネガン、2000)は、朝鮮戦争期における米陸軍の人的情報(HUMINT)活動の進化とその組織的展開を詳細に記録したものだが、当時の韓国の情報機関の変遷に詳しい。
https://www.cia.gov/readingroom/docs/DOC_0000872714.pdf
https://ia803209.us.archive.org/8/items/DOC_0000872714-cia/DOC_0000872714_text.pdf


 

米国陸軍は、既存の小さな諜報部隊である韓国リエゾン事務所(KLO)を基盤に、秘密の人間諜報機関(HUMINT)組織を急遽設立した。
朝鮮戦争の終わりまでに、極東司令部軍(FECOM)は陸軍が管理する大規模な秘密収集装置を配備していた。(フェネガン「Studies in Intelligence Vol.55, No.2」 2011, p.56)

FECOMは実質的な諜報資産を支配していた。
チャールズ・ウィロビーには2,500人以上の諜報要員がいたが、これらは占領軍を支援するために組織されていた
FECOM内の最大で唯一の諜報部門は、日本の破壊分子を標的とした第441対諜報隊(CIC)分遣隊だった。(フェネガン「Studies in Intelligence Vol.55, No.2」 2011, p.58)


上記のウィロビーが朝鮮戦争中に、韓国リエゾン事務所(KLO)と米441CICの人員を再編し、韓国の諜報部隊を拡大した。
そしてその影響を受ける形で韓国軍内部でKACICが設立されることになる。

韓国のCICの場合は、日本のCICとは設立過程が異なるが、やはりその根本には米陸軍G-2、そしてウィロビーの主導があって、組織が構築されていた(ウィロビーが設立したわけではない)。

その後のKACICからKCIAへの移行期(1961年)の規模感もわかっている。

初代部長の金鍾泌は、既存の陸軍防諜隊[KACICのこと]を利用して、共和国で最も強力な諜報・捜査機関である3,000人の組織[KCIAのこと]を創設した。」
https://irp.fas.org/world/rok/nis.htm

『実録KCIA 南山と呼ばれた男たち』(金忠植 著、講談社 1994)にも「KCIA創設時に「陸軍防諜部隊(CIC)から人員を大量に移管した」との記述がある。
明確な人数は記されていないが、「創設時の中核人材はKACIC出身」とされる。
KCIAの初期職員は軍人出身者が大半で、金鍾泌が直接選抜したとされる。


さて、少し脱線するが、以下は前回のブログでお伝えした件だ。
米国の要請するスパイ防止法などを介し、米国の軍事・諜報コミュニティーに取り込まれると、そのぶん敵を作るという好例を示したい。

 

 

◇ 米国の軍事・諜報同盟に取り込まれたことで邦人13名が殺害


2013年1月、アルジェリアの石油プラントでイスラム系過激派の軍事組織(アルカイダ系組織)に、米英仏・ノルウェー人などと共に邦人10人が殺害された。
フランスによる侵略に反抗しての犯行だった。

これは、日本がアメリカやイスラエルと政治・軍事的に一体化していくことに対する警鐘にもなったはずだった。
反米の国々や組織からは、「日本は、米国をはじめとするアングロサクソン国と一体になった敵だ」と認識されつつあったのだ。

このような戦後まれに見る大テロ事件があったのに、当時首相だった安倍晋三は、ISIL(当時のISIS)に対して宣戦布告に等しい宣言を行った。

 

▼外務省公式: 安倍総理大臣の中東政策スピーチ
http://www.mofa.go.jp/mofaj/me_a/me1/eg/page24_000392.html

2015年1月17日、安倍晋三はエジプトで、「ISILと闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援をお約束します」と述べている。

 


さらには翌日1月18日、イスラエルでも軍事協力を見越した発言もしている。
 

▼外務省公式: イスラエル・ネタニヤフ首相との会談
http://www.mofa.go.jp/mofaj/me_a/me1/il/page4_000911.html
安倍は、安全保障分野に関して、「両者[日本とイスラエル]は,国家安全保障局間,防衛当局間の交流が活発に行われていることを歓迎し,昨年11月に二国間協議を実施したサイバー分野での連携に期待を表明した」。


つまり、エジプトでISILと戦うと宣言し、イスラエルと軍事・諜報分野での協力を深化させると宣言したわけだ。

結果、ISILは反発し、1月20日に演説への報復として日本人2人の殺害を警告したビデオ声明を出した、身代金2億ドルを要求した。


https://edition.cnn.com/2015/01/21/middleeast/isis-hostages-jihadi-john/index.html
ISILの声明動画・一部
日本国首相に告ぐ:(中略)お前たちの政府はイスラム国との戦闘のために2億を費やす愚劣なる判断をしたが、いま政府を圧迫し国民の生命救済のために2億を費やす賢明なる判断をなさしめんために72時間を与える。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/ISIL%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E6%8B%98%E6%9D%9F%E4%BA%8B%E4%BB%B6

その後、安倍晋三はアメリカ政府に言われるがまま、「タルには屈しない!」とし身代金要求を拒否し、見殺しにした

続く2015年3月18日、チュニジアでイスラム過激派による無差別テロが起き、日本人3名が殺害された。外国人を狙ったテロに巻き込まれたかたちだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%89%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E5%8D%9A%E7%89%A9%E9%A4%A8%E3%81%A7%E3%81%AE%E9%8A%83%E4%B9%B1%E5%B0%84%E4%BA%8B%E4%BB%B6

2016年7月1日、バングラデシュにおいてISIL系の過激派による外国人を狙ったテロにより日本人7名が殺害された。
この事件の前に実行犯は日本人1名を殺害しており、欧米人と共に日本人も狙い撃ちにされたた可能性が高い。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E8%A5%B2%E6%92%83%E4%BA%BA%E8%B3%AA%E3%83%86%E3%83%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6

結局、遠因となった件を含めれば、安倍の挑発行為以降に日本人13名が殺されたことになる。

安倍らは米国のインテリジェンス・コミュニティーに取り込まれるべくスパイ防止法制を構築してきたが、米国や西側の情報は役立たずだったあげく、アメリカやイスラエルにすり寄ったことで無駄に敵を作り、「タルには決して屈しない!」と叫んだあげく邦人13名を殺害されるにまかせたのだ。

 

 

◇ 米国様に倣い露中を敵視する日本政府

現在の日本政府は中国やロシアを敵国と想定しているため、中東のテロではなくもっと大きな紛争に巻き込まれる可能性すらある。
日本政府は以下のように杜撰な調査により、「ロシアが選挙に干渉した!」等と不確かな情報を拡散している。高市も中国を真っ向から敵視する危険な存在だ。

 


私と似たような切り口で山本一郎情報がクソだと検証していた方もいた。
この山本(笹川財団)の情報を元に自民党・日本政府までが「ロシアがネット工作をやっている!」と警鐘を鳴らしていたのだから世も末である。
しかもこの根拠薄弱な情報をリベラル派までが真実視するというマヌケさであった。

 


高市は真正のアメリカンドッグとして有無を言わさず中国を敵視。
さらには日本政府発としてスプートニクの誹謗中傷も。
アメリカの諜報コミュニティーに取り込まれる向きで構築されるスパイ防止法制は、「安全保障のジレンマ」に陥りうる。
西側と一体化すればするほど、敵を作るのだ。



続きは次回に繋げる。

cargo

 

 

【目次】

 ◇ 「スパイ防止法」の正体 ~アメリカの言いなり
 ◇ お爺ちゃんの代からCIA(「特定秘密保護法」の背景)
 ◇ 情報漏洩について日本に釘をさすCIA ~東芝COCOM事件
 ◇ アメリカの防諜体制との一体化がスパイ防止法の骨子

 

◇ 「スパイ防止法」の正体 ~アメリカの言いなり


前回の記事(https://ameblo.jp/cargoofficial/entry-12936596748.html)では、統一教会や関係の深い自民党がスパイ防止法をゴリ押ししていることを指摘した。
新総裁の高市早苗と国民民主、参政党も同様にスパイ防止法を推しており、怪しい限りだ。

彼らには、米CIAからの要請でスパイ防止法の制定を希求してきたのではないかという疑惑がある。

少なくとも自民党は、岸信介の時代からアメリカから特定情報の秘匿を求められていたため、CIAのフロントと目される統一教会とも共通の悲願であったことがわかっている。

本記事では、情報保護法制-スパイ防止法がアメリカから求められてきたことを証明する。
その後KCIAがCIAの意図のもと作られたこと、そして統一教会がCIAのフロントであることを証明してゆく。

まずはスパイ防止法の歴史を少し振り返ろう。
日本の秘密保護法制はその歴史の始まりからアメリカと共に歩んできた。

 

1954年には、戦後最初の秘密保護法制である、日米相互防衛援助協定等に伴う秘密保護法(MDA秘密保護法)が制定されており、これが1985年に国会提出された「国家秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案」(いわゆるスパイ防止法案)に繋がる
その流れで2013年に成立したのが「特定秘密保護法」だ。
(特定非営利活動法人・情報公開クリアリングハウス理事長 三木由希子
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jichisoken/41/438/41_1/_pdf/-char/ja


上記が、現在に至るまでの日本の大まかな秘密保護法制の歩みだ。

 

外務省は2018年12月、昭和30年代前半から60年代にかけての外交文書22冊(約9200ページ)を一般公開した。
文書からは、昭和32年(1957年)2月に政権を発足させた岸信介首相が同年6月の初訪米中、秘密保護法を制定する考えを示していたことが分かった。
岸は32年6月の訪米中、ダレス氏とも会談。その際、米国側同席者の一人、ラドフォード統合参謀本部議長が米国とソ連の東西両陣営の軍備の現状を解説したが、「新兵器に関する情報の交換」をめぐり「日本には秘密保護法がないので、これ以上の情報の供与はできない」と情報提供を拒否した。
これに対し岸氏は「秘密保護法については、いずれ立法措置を講じたい」と述べていた
産経 2018年12月19日 https://www.sankei.com/article/20181219-G64U6WGY65N4XISEDSZHBC7Q54/

 

多くの人が知っている通り、岸はCIAエージェントだ。

http://www.jpri.org/publications/workingpapers/wp11.html

 

この新たに公開された公文書により、アメリカの要請でCIAエージェントの岸信介が秘密保護法制の制定を進めたことがわかる。
しかも上記産経の記事にある名前はアイゼンハワー政権のCIA長官アレン・ダレスだ。ダレスと米軍参謀からはっぱをかけられたということはCIAからの要請と受け取ってよいだろう。

件について、東京新聞の記事にはもう一歩踏み込んだ記述がある。 

岸信介と勝共連合がスパイ防止法を求めたのはなぜか。
「根本的にはCIA」と語るのは御年89歳の政治評論家、森田実だ。
「アメリカの政策は今も昔も変わらない。反共で韓国と日本の手を結ばせ、アジアを分断しながら戦いを挑ませる手法だ」と森田
また、岸は「米共和党に最も近い人物」で、旧ソ連と向き合う上で「日本の関連法制では整備が不十分という米側の意向をくもうとした」。勝共連合の方は「権力や金のために日本に食い込むには米側に取り入るのが一番早かった」とのことだ。
東京新聞 2022年8月17日 https://www.tokyo-np.co.jp/article/196366


この米国(CIA)側からの要請を受けた岸の悲願が1985年の(旧)スパイ防止法の国会提出(廃案)に繋がった。
当時の首相はこれまたCIAエージェント疑いのある中曽根だ。
(中曽根のCIA疑いについて https://ameblo.jp/cargoofficial/entry-12877907462.html

専修大学名誉教授・隅野隆徳の論文「国家秘密法案の背景と基本問題(1986)」に1985年国会提出の通称・スパイ防止法に関する詳細が記されている。(https://www.senshu-u.ac.jp/~off1009/PDF/geppo1986/smr273-b.pdf

いく度かの秘密保護法制定の動きの中で,現存する中心的な法制として,日米安保体制の形成にともない成立した1952年の日米行政協定の実施に伴う刑事特別法6条等や,54年のMDA秘密保護法がある。
これらは,日米安保条約に基づくアメリカの軍事秘密の保護を主要な対象とするが,今回の法案[*いわゆるスパイ防止法案のこと]の基礎におかれていることは明らかである。(隅野 1986 p.3)

国家秘密法案の作成過程が,1975年アメリカのベトナム戦争敗北後,80年代の日米安保体制の展開と結びついており,その根拠に,78年11月日米間でとりきめられた「日米防衛協力のための指針(カイドライン)」があることは,今日一般に認められている。
同ガイドラインは,日米共同作戦態勢を具体化させる段どりを定め,日本を「西側の一員」としてアメリカの世界戦略にくみこむものである。(隅野 1986 p.4)


連綿と続くアメリカ側からの対インテリジェンス要望が示唆されている。
80年代当時の資料からもわかるように、「旧スパイ防止法案」とは、アメリカの秘密情報の保護のために作った法案なのだ。
アメリカが情報統合のため自民党(おそらく統一教会も)に要請して、スパイ防止法の制定を持ちかけたのは想像に難くない。

しかしながら、この85年の「旧スパイ防止法案」が廃案となったため、その悲願は後の安倍政権における「GSOMIA(軍事情報包括保護協定)」と「特定秘密保護法」に受け継がれてゆくことになる。

GSOMIAは軍事関連、そして特定機密保護法は対象を公務員やジャーナリストにまで拡大した外交や対テロに向けた情報保護法制だ。
今後の「シン・スパイ防止法」では手の届いていなかった一般国民までを含んだ監視・弾圧体制、法制を強化したいのだと考えられる。

 

 

◇ お爺ちゃんの代からCIA(「特定秘密保護法」の背景)


2012年の「特定秘密保護法」成立の背景も探ってみよう。

日本大学教授・小谷賢の著書「日本インテリジェンス史(2022)」と論文「特定秘密保護法制についての一考察」(国際安全保障 = The Journal of international security / 国際安全保障学会 編、2022 https://www.jstage.jst.go.jp/article/kokusaianzenhosho/49/4/49_63/_pdf/-char/ja)から引用していく。

現在の特定秘密保護法に連なる秘密保全制度改革の源流は、2008年2月に内閣官房の内閣情報調査室(内調)で作成・公表された「官邸における情報機能の強化の方針」にある。
(小谷「特定秘密保護法制についての一考察」、2022 p.66)


なるほど、最初の呼びかけは第一次安倍政権下の2008年に、日本版CIAと呼ばれる内調から発信されたようだ。
内調がCIAに作られた、コードネームまでつけられた情報機関であることは下記リンクで記した https://ameblo.jp/cargoofficial/entry-12894001403.html

特に法整備には、内閣情報官(内調室長)を務めた安倍の懐刀、北村滋がキーパーソンとして成立に尽力したという。(小谷賢「日本インテリジェンス史」2022,p192)
北村は、TBS元ワシントン支局長の山口敬之による伊藤詩織氏準強姦疑惑を揉み消した疑いがある。スパイであるにも関わらず予期せず有名になった男だ。


山口敬之から北村滋へのメール(誤って新潮に送ったことで発覚)。暴行事件もみ消しの相談と見られている。

https://lite-ra.com/2021/10/post-6036_3.html

北村滋は、戦後に米ウィロビー少将のもとでエージェントをしていた「河辺機関」の直系のシンクタンク「世界政経調査会」の現代表も務める、なんとも怪しい奴だ。
https://www.sekaiseikei.or.jp/

安倍政権下における特定秘密保護法やNSC設立などのインテリジェンス法制を巡る背景だが、実は2007年の第一次安倍内閣の時代、すでにアーミテージ・ナイ・レポートで米側が秘密保護の強化を提言していた。

1. 日本は、もっとも効果的な意思決定を可能にするように、国家安全保障の制度と官僚機構をひきつづき強化すべきである。
現代の挑戦が日本に求めているのは、外交・安全保障政策を、とりわけ危機の時期にあたって、国内調整と機密情報・情報の安全性を維持しながら、迅速、機敏かつ柔軟に運営する能力を持つことである。
https://www.kokusyo.jp/nihon_seiji/6130/


それだけではない。政権奪還直後の安倍晋三も米側の要望に応えて発信している。

2012年12月26日に第二次安倍政権が発足すると、安倍晋三総理自ら秘密保護法制の整備に意欲的な姿勢を見せるようになる。翌年4月16日、安倍派国会で以下のように発言している。

「秘密保護法制については、これは私は極めて重要な課題だと思っております。海外との情報共有を進めていく、これは海外とのインテリジェンス・コミュニティーの中において日本は様々な情報を手に入れているわけでございますし、また、日米の同盟関係の中においても高度な情報が入ってくるわけでございますが、日本側に、やはり秘密保全に関する法制を整備していないということについて不安を持っている国もあることは事実でございます。」(第183回国会 衆議院 予算委員会 第23号 平成25年4月16日)

この発言から安倍が、日米間の情報共有の必要性から秘密保護法制を推進しようとしていたことが理解できる。これまで見て来たように、米側は日本側の秘密保全体制をあまり信用していおらず、その改善を訴えてきたことも事実だ。
北村は、米国だけでなく、G7諸国も日本の機密保全に対する懸念が根強く、米国から何度も改善を求められていたと回想している
(小谷賢「日本インテリジェンス史」2022, p198)


さすが「おじいちゃんの代からCIA♪」である。
2018年に見つかった50年代の外交文書におけるエージェント岸の立ち振る舞いとまったく同じではないか(笑)
家業として「アメリカの犬」を引き継いだのだろう。

結局、やはり特定秘密保護法の元ネタもアメリカ発だったと言えるのではないだろうか。
特定秘密保護法成立に先立って、軍事情報に関わる米国との協定「GSOMIA」が成立しているが、これも米国のインテリジェンスを秘匿するための法制であったことが明らかになっている。

 

冷戦期には多くのスパイ事案が生じており、日本が米国との同盟を結ぶにあたって懸念されたのは、日本に提供される米国の軍事機密が第三国に漏洩するリスクであった。
1954年3月8日に締結された日米相互防衛援助協定に伴い、日本政府は6月9日に「日米相互防衛援助協定等に伴う秘密保護法(MDA秘密保護法)」を国内法として公布していたものの、この法律は米軍から提供された装備品や情報を秘匿するためのものであり…(小谷「特定秘密保護法制についての一考察」、2022 p.64)

日米間ではGSOMIA等の軍事情報のみが秘密に指定されるのみであったが、特定秘密の導入によって、外交・安全保障から経済・技術情報に至る幅広い分野での秘密情報の共有が可能となり、米国が「シークレット」と指定する文書が、日本では特定秘密に指定されるようになった。(小谷「特定秘密保護法制についての一考察」、2022 p.73)


以上の系譜を念頭に、外務省の元情報局長・孫崎享氏は「秘密保護法は米国の要請だった(2013.11.21)」と言う
https://iwj.co.jp/wj/open/archives/112741

 

 

◇ 情報漏洩について日本に釘をさすCIA ~東芝COCOM事件

もう一つ例を出しておこう。
下記は、米国の機密情報を日本企業がソ連側に誤って流出してしまったとする「東芝COCOM事件」において交わされた、CIAによる機密扱いの評価報告書「JAPAN: CONTROLLING TECHNOLOGY LEAKAGE TO USSR=日本:ソ連への技術漏洩を抑制」(1983)だ。

ちなみに、名古屋大の春名幹男は著書「スクリュー音が消えた」で、この事件を、日米貿易問題で圧力をかけるための米側の謀略だと評価している。
また、NSCの初代室長・佐々淳行は著書「亡国スパイ秘録(私を通り過ぎたスパイたち(2016)の文庫化版)」でアーミテージに呼び出されてひどくドヤされたと著している。https://ameblo.jp/cargoofficial/entry-12885900262.html

 


https://www.cia.gov/readingroom/document/0000582201

この文書では、主に日本側によるソ連関連の企業・人員の締め出しや金融規制措置と、情報漏洩対策の取り組みとその進捗を評価している。
「中曽根による措置と日本の国際的役割の強化は、技術漏洩に対する西側諸国の一般的な取り締まりへの日本の参加を奨励した(p.3)」と、米傘下のインテリジェンス・コミュリティーへの日本の取り込みが成功したことを評価している。

しかし以下のように対策の不十分さに懸念も示している。要するに、CIAは「圧力が必要だ」と示唆している。
1950年代に岸信介に、また00年代に自民党(安倍晋三)に行った提案(圧力)と通底している。

「現在進行中のCOCOM交渉において、東京は軍事的に重要な新興技術に対する監視体制の構築には前向きであると我々は考えている。しかし、複数の日本政府関係者は、東京が米国の提案──石油・ガス産業に関連する装備や技術をCOCOMリストに追加する案──には同意しない可能性が高いと示唆している。日本側はこの提案について、戦略的でない品目が多く含まれており、正当な貿易を妨げる恐れがあると見なしている。」
「新たな措置が長期的にどれほど強力に推進されるかは不確かである。東京は、ソ連への技術移転がもたらす安全保障上の脅威を、米国ほど切迫した問題とは見なしていない。(CIA報告書 - JAPAN: CONTROLLING TECHNOLOGY LEAKAGE TO USSR、p.7)」

また、パペットである中曽根に期待し、その去就を見守る記述もある。
 



過去1年間の出来事──レフチェンコ事件、ソ連の産業スパイ2名の国外追放、大韓航空機撃墜事件、そして中曽根の当選──は、東京の新たな政策にとって理想的な状況を生み出した。ただし、これらの多くの効果は短命に終わる可能性がある。
(*黒塗り部分 中略)
しかし、日本がソ連の脅威をより強く認識するようになれば──特にアジアにおけるSS-20の配備や北方領土での通常戦力の増強に対する認識が高まれば──東京の対ソ技術流出を抑制しようとする決意は強まるだろう。
中曽根首相はこの新たな措置の推進者としての役割を引き続き果たすだろうが、1983年12月下旬の衆議院選挙で与党が後退したことを受けて、国内問題への関心を高めるにつれ、その影響力は弱まる可能性がある。
(中略)
現時点では、外務省がこの新たな政策に最も積極的に取り組んでいるが、通産省(MITI)でさえ、より厳格な規制を支持することが政治的に得策だと考えている。
これらの省庁および他の関連機関は、官僚間の意見の相違を乗り越え、東京がより厳格な輸出規制を実施できる制度的枠組みを構築した。
日米協議の中で技術移転問題の重要性を継続的に強調することは、この新政策を軌道に乗せ続ける助けとなる。
また、国際的に厳格な輸出規制を支持する環境や、同盟国による規制の公平な執行という認識も、政策の維持に寄与するだろう。
(CIA報告書 - JAPAN: CONTROLLING TECHNOLOGY LEAKAGE TO USSR、p.7)


この他、通産省が約束を守らない等の苦言も呈しながら、概ね官僚機構の当問題への協力姿勢に期待する旨が綴られている。
黒塗り部分もあるが、トップシークレット文書でもないためわりと素直な評価報告となっている。

 

 

◇ アメリカの防諜体制と一体となるのがスパイ防止法の骨子

インテリジェンスに関わる法制の背後には必ず米国の要望があると言ってよい。

現在、自民党の高市早苗や参政党、国民民主などは「スパイが大変だから防止するんだ!」と息巻いているが、アメリカの防諜体制と一体となるのがスパイ防止法の骨子だ。
要はアメリカのインテリジェンス・コミュニティーに取り込まれるための、「米国のスパイが作ろうとしている法案がスパイ防止法」なのである。

スパイ防止法は、落日の帝国に搾取されながら共に没落してゆくため打ち込んだ楔として機能するだろう。
本当に日本国民は、このような売国右翼たちの反日行為の正体をよくよく考えるべきだ。


今回はここまで。
次回は再度KCIA、CIA、統一教会の話に戻る。

 

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現在、統一教会の総裁、韓鶴子が逮捕され起訴されそうになっているが、CIAは統一教会を見放したのだろうか?
https://www.bbc.com/japanese/articles/c80g3x53z25o

「統一教会はCIAのフロントである」
よく言われていることだが事実なのだろうか。
今日はそのことを掘り下げる。

また、今回の調査では、統一教会と共に「スパイ防止法」をゴリ押しする、自民党新総裁となった高市早苗の正体もわかるかもしれない。
 

 【目次】
 ◇ スパイ防止法と統一教会、自民党
 ◇ 米フレーザー委員会「KCIAが統一教会を組織した」
 ◇ 泣く子も黙る謀略組織「KCIA」
 ◇ CIAがKCIAを作ったのか?

 

◇ スパイ防止法と統一教会、自民党


何十年もの間、統一教会は「スパイ防止法」の制定を悲願としてきた。


彼らが日本においてスパイ防止法を制定する目的とは、アメリカの覇権主義に抗う者を逮捕、弾圧することにあると断言したいが、これは極右組織CIA、ディープステイトの意向を受けてのものと考えられる。
(*スパイ防止法制定の論議が湧き起こったのはKGBスパイによる「レフチェンコ事件」からだった。 参考 https://ameblo.jp/cargoofficial/entry-12882707900.html

その統一教会と関係の深い自民党(特に高市早苗ら)、国民民主、参政党も「スパイ防止法」を制定しようと頑張っているが、これはまさに「お察し案件」と言えるだろう。

ジャーナリスト・作家の佐高信氏は「スパイ防止法が一番適用されなければならないのは統一教会」「統一教会は保守政党の外にあるのではなく中にある」「スパイ防止法について玉木雄一郎は統一教会と同じ考え。統一教会との関係を聞くべきだ」と発している。
https://www.youtube.com/watch?v=Sxp98PjDkfY

自民党と国民民主(民社党)がともにCIAに作られた政党であることはアメリカの公文書でも確認されており、彼らが工作員政党であることは確定しているため、本記事ではそのコリーグの統一教会がCIAのフロントであることを証明したい。

 


また、統一教会がCIAのフロント組織であることが立証できれば、歴代ボードメンバー(執行部)15人中6人が統一教会関係者だった参政党についても、おのずと疑惑が深まるだろう。
一方で、参政党とCIAの直接的な関わりについてはまだまだ多くの調査が必要となる。

 

 

 

 

◇ 米フレーザー委員会「KCIAが統一教会を組織した」


1978年、米国議会のフレーザー委員会で、KCIAと統一教会による日米の政治に対する工作が明らかにされた。
KCIAが統一教会を国家組織として再編成したと報告された。

フレーザー委員会は、KCIAや統一教会のアメリカにおける浸透工作を調査するために立ち上げられた小委員会だ。一連の騒動はコリア・ゲートとも呼ばれる。


フレーザー委員会(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%83%BC%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A


下の画像はCIA資料(78年3月のワシントンスター紙の切り抜き)だ。
見出しは「韓国のCIA長官が政治的道具として文鮮明の教会を設立した、とフレーザー委員会は言う」


https://www.cia.gov/readingroom/docs/CIA-RDP81M00980R000600200010-3.pdf

実際のフレーザー報告書の記述はこうなっている。

朴正煕のクーデター直後の時期、金鍾泌(Kim Jong Pil)はKCIA(韓国中央情報部)を設立し、新政権の政治的基盤の構築を監督した。
1963年2月の未検証のCIA報告書によると、金鍾泌はKCIA長官在任中に統一教会(UC)を「組織」し、統一教会を「政治的ツール」として利用していたと述べられている。
 - フレーザー委員会報告書、 p354
https://archive.org/details/investigationofk00unit/page/354/mode/2up?q=%E3%80%80cia

・・・・・・・・


金鍾泌は、1949年に韓国陸軍将校候補生学校を卒業し、すぐに米国陸軍情報参謀(G-2)に配属され、防諜と北朝鮮問題を専門に担当した。
1961年5月16日に朴正煕(当時少将)とクーデターを起こし、同年6月19日に元米陸軍G2所属の軍人らとKCIAを発足させた。

統一教会はKCIAの工作活動の隠れ蓑として機能した。金鍾泌と文鮮明は相互支援関係を築いていた。」
  ー ジェフリー・M・ベール博士(ミドルベリー国際問題研究所教授)
(*下記リンク先脚注61、65部分)
https://howwelldoyouknowyourmoon.tumblr.com/post/190421644278/the-unification-church-and-the-kcia

複数の情報源から、統一教会とKCIAが密接に関係していたことがわかる。

 

 

◇ 泣く子も黙る謀略組織「KCIA」


KCIAは本家CIAとは異なり、対外防諜に留まらず内政でも、とくに秘密警察のような役割を果たし、民主化を求め北朝鮮との融和を図ろうとする学生運動などの反体制的な動きに対して恐怖政治をしいた。
盗聴・監視、誘拐、強制捜査・逮捕、拷問、嫌がらせ、脅迫、殺人、メディア支配など反共のためのありとあらゆる謀略行為を行った。
多くの民間人が行方不明になり、殺害された。

フレイザー委員会では、元韓国外交官イ・ジェヒョンが「KCIAは韓国生活のほぼすべての側面に関与している」と証言した。
KCIAは「国家内の国家」と形容されるほど影響力が絶大であった。(フレイザー報告書、p.46)

歴代のKCIA部長・金鍾泌(キム・ジョンピル)は当初からKCIAを自身の個人的な政治的権力を維持するための手段と見なし、KCIAの謀略方針を構築した。
KCIAは常に韓国における主要な権力ブロックの一つであり、その部長は多くの韓国人に恐れられてきた。(フレイザー報告書、p.89)

1973年に朴正煕大統領の政敵であった日本に亡命中の金大中を拉致し、殺害未遂に至った事件もKCIAの犯行だ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%A4%A7%E4%B8%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6

また、KCIAは、79年には権力闘争の果てに、独裁者だった朴正煕大統領ら6名の暗殺も実行している。犯人は当時のKCIA部長・金載圭のグループだった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B4%E6%AD%A3%E7%85%95%E6%9A%97%E6%AE%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6

まさに泣く子も黙るKCIAである。
統一教会は、そのKCIAが作った(組織した)フロント機関なのだ。

 

 

◇ CIAがKCIAを作った?


ではKCIA設立にはどういった意志が介在していたのだろうか。CIAの意志が注入されていたと見るのが自然だ。
フレーザー委員会の報告書からCIA-KCIAの関係を示す箇所を引用しよう。

 

KCIA(韓国中央情報部)は、クーデターの主要な立案者であった金鐘泌(キム・ジョンピル)の発案で設立され、彼が初代部長となった。
庁内の要員の中核には、大韓民国陸軍情報部から採用された約3,000人の人員がいた。
KCIAは、その前身である「合同情報研究センター(Combined Intelligence Research Center)」を吸収しており、その合同情報研究センターは、金鐘泌の元補佐によれば、米国のCIAと密接な関係を持っていたという。
このセンターは、1956年~1959年にワシントンD.C.駐在軍事武官を務めた李厚洛(イ・フラク)少将によって、クーデター直前に設立されており、李は朴正煕政権時代にも主要な人物であった。
1961年5月のクーデター時点で、李厚洛は汚職容疑で逮捕された。しかし、彼の逮捕の真の理由は「アメリカ人と近すぎる」と見なされたからだという事情を示す動きもあった。数か月後、軍事政権が米国政府との友好関係を築く一環として、アメリカ側の要請を受け入れて李を釈放した。
同じ補佐の証言によれば、アメリカCIAはその釈放の実現において重要な役割を果たしたという。
(フレーザー委員会・報告書、p23)


収監されていた李厚洛がアメリカの手引きによって釈放されたという逸話は、巣鴨プリズンから釈放された岸信介や笹川良一、児玉誉士夫ら日本のCIAエージェントを想起させる。
その李の同僚の金鐘泌がKCIAを創設し、李自身は二代目部長に就任していることからも重要なパズルのピースだと感じさせる。

KCIAが設立されたのは1961年だが、どうやら李が創設した前身組織「合同情報研究センター(Combined Intelligence Research Center)」の設立にCIAの意志が介在していたこともわかった。

ちなみにこの金鐘泌と李厚洛の双方が、CIAエージェントだった児玉誉士夫とKGB/CIAのダブル・エージェント疑いのある瀬島龍三のカウンターパートであった。
彼らは日韓交渉の裏の立役者で、賠償金ビジネスの過程で巨利をむさぼった。
https://ameblo.jp/cargoofficial/entry-12878720630.html

また、金鐘泌はなんと1971年と98年の二度首相になっている。永遠のナンバー2とも言われた。
2018年に死去した際には安倍晋三も弔意メッセージを送るほどの日韓関係における超重要人物だ。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/na/kr/page4_004152.html

フレイザー報告書の23ページと89ページでは、関係者全員が「CIAがKCIAを設立した」ことについては否定している。
金鐘泌の元補佐官は、米国CIAが組織問題についてKCIAに助言を提供したが、米国の役割を他に知らないと述べたという。(p.23)

93ページには「要するに、在米KCIA職員の日常業務の多くは、米国情報機関との連絡、米国政府の政策や行動に関する出版物の収集、メディア、学界、在米韓国人コミュニティの監視などを行っていた」とあるため、CIAとは密接な関係を保っていたことは確実だ。

しかし、他のCIA関連の公文書にも「CIAがKCIAを作ったのか」が明記されたことはない。だがこれは機密が解除されたことがないだけであって、このことをもって否定することはできない。

韓国メディアによる金鍾泌のインタビューでは、KCIAを組織するにあたって、金は「KCIAをどのように運営するかという基本的な考え方は、アメリカ合衆国の中央情報局(CIA)をモデルにしていました私は1958年に陸軍本部でアメリカのCIA職員による講演を聞いた後、CIAのような情報機関を韓国に導入するという考えを温めていました」と答えている。
https://koreajoongangdaily.joins.com/2015/04/06/politics/How-the-KCIA-was-born-in-deep-shadows/3002809.html

しかしながら金鍾泌の発言からも、KCIA創設に関しCIAの直接的関与があったのかは微妙なところだ。

さて、次回は公文書以外のソースからももっと傍証を探してみようと思う。

その過程で、統一教会や関係の深い自民党がスパイ防止法をゴリ押しする理由が、米CIAからの要請だったことがわかるかもしれない。


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