沖縄に住む2人の友人との三角関係
沖縄には、学生時代の二人の友人が住んでいます。
3人で揃って顔合わせをすることはあるのですが、結して仲が悪い訳ではないのですが、この二人が沖縄の地で会うことは滅多にありません。
複雑に絡み合ったそれぞれの事情があるため詳細を綴ることは出来ないのですが、簡単に括るなら、米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に反対派の翁長雄志沖縄県知事に賛同派のAと、翁長沖縄県知事の県政に反対派のBという形での立場を背負わざるを得ずの2人になっているのでした。
2人の間にボクが入れば和気藹々と学生時代を語り合えるのに、「今」を語る話題になると、口を開けばぶつかることが分かっているがゆえに、お互いに貝の如くに口を閉じることになってしまう程、沖縄のローカリズムと歴史と深い地域経済等々の背景を持つ壁の存在をどうすることも出来ずに感じ続けています。
先日、基地問題の解決に尽力された元沖縄県知事の大田昌秀さんの訃報がニュースで流れ、逝去した兄とも関係があった方ゆえ、遠くの地から合掌をさせて頂きましたが、その数日後に、二人の友人からそれぞれ連絡が入りました。
Aからは「辺野古移設に反対の立場だけど、国連人権理事会で声明発表を行った、山城沖縄平和運動センター議長などと一緒に考えてないよな」と伝えられました。
Bからは「(山城議長の動きを背景に)沖縄タイムスと琉球新報の偏向報道に日本のなかで沖縄が孤立するんじゃないかと不安を感じる・・・そっちの方から見た沖縄はどう見えてる?」と伝えられました。
白と黒・賛成と反対の二元化のなかでは語り尽くせぬ複雑な現状があるのが沖縄問題の根本にあると思っていますが、いみじくも二人の友人の共通点も確実にあり、折り合える点もあるのではないのかと単純に考えてしまう自分が生まれてしまうのですが、媒介者が居なければそんな共通点さえお互いに気付くことが少ないこともまた事実であり、いつも3人で夜通し語り合った日本の音楽シーンと世界のことを、若気の至りでもあった無謀な夢のことを想い出しながら、ため息のみが出てしまうのでした。
折り合うこととは何なのか
「折り合い・折り合うこと」とは何なのでしょうか?
意味を調べてみれば、「人と人との関係。 互いに譲り合って意見や立場が対立しない一致点のポイントを見出すこと。 交渉において、互いにある程度譲り合って双方が納得できる妥協点を定めること。」と綴られています。
語源を調べてみるとこれといったモノにはヒットせず、競馬の世界では「競馬のレース(競走)において競走馬が騎手の制御・命令に従って走っているかどうかを指す言葉」ということと、表具の世界において、「襖と縁をくっつける専用の特殊なL字型の釘を指し、この道具により2カ所がピタッと収まりがつく」とありますが、日常的な意味で使う「折り合いをつける」ことの語源としてこれなのだという確証を得るには至りませんでした。
そんなことからひとり妄想の旅は始まったのですが・・・
折り合う・・・折れる姿とは、人が頭を下げるお辞儀の行為に思え、お辞儀の意味においては、様々な状況はあったにせよ「他者尊重」のお互いを認め合うことが存在していることのように思えます。
二枚の紙をそれぞれ別に折ってみても二枚の折り目が重なることはありませんが、二枚の紙を重ね合わせ一緒に折り曲げる時、折り目はひとつになり、別々の紙ながらもひとつに重なり合う姿を見せてくれます。
二つを重ねてひとつに折る
代替え案を持たぬ単純な批判や反対のための反対では重なり合うことは出来る筈もなく、妥協かどうかは別としても先ずは一致点としてお互いが重なり合うことが重要なことになり、それが出来たなら、二つを重ね合わせたままひとつに折り曲げて一緒の姿になれるといえるのでしょうか。
本来の言葉の語源は分からずも、重なり合うこと自体を拒絶する姿を国会・各種の反対運動などで目にし続け、それでは良き答えを導くことは永遠に無いだろうと思えることの解を感じたりもしていました。
先ずはひとつに重ね合わせること
沖縄に住む二人の友人の帰着する答えは違えど、重なり合える部分は確かにあることが分かりました。 お互いにある意味、公人としての立場のなかで背負わざるものがあり、友人であるのに無心でいられぬ苦渋の想いを抱えていることも分っていました。
ゆえにお互いを繋ぐ必要がある時の妙な伝書鳩のような立場にボクがいることも致し方ないことだと感じていました。
2人から尋ねられる「今の沖縄をどう感じ・見えている?」との問い掛けは、あまりにも偏向報道が過ぎている状況のなかで、真実が捻じ曲げられる事への危惧であり、その曲げられたものは、2つがひとつに重なり折り合われたものではないことで、ゆえに客観的な視点が欲しくなった時に連絡があるのかと思ったりもしています。
嘆き・・・いまの沖縄から届く・沖縄をみていて思う素直なボクの感情はこの言葉に尽きてしまいます。
国会では何度も「情報操作」の言葉が飛び交いましたが、その最前線にあるのが沖縄の現状でもあるように思え、冷静にあるべき沖縄の姿を伝えてくれているのは、我那覇真子さんの活動だと私見を抱くにいたっています(辿り着く結論のあり方の意味ではなく)。
兄の逝去に伴う弔いの後、沖縄には行っていませんが、近日中に沖縄に行くことになりました。
尻の青い時代からの友人である3人がひとつに集い、朝までの酒を酌み交わすことになるのだと思います。 そこで折り合いが生まれるのかどうかは分かりませんが、友人である只それだけでも二つがひとつに重なっているのですから、より良い折り合いが付けられればまた違った関係がそこから生まれていくのかと思います。
「個人的には何があっても応援はするけど、選挙応援だけはしないぞ」・・・そんな言葉を二人に伝え、時間と飛行機代の捻出をどうするかに悩み始めた今日この頃なのでした。
欄外:東京電力福島第一原発事故による除染事業を受注した準大手ゼネコンの安藤ハザマによる作業員宿泊費の領収書の改ざん問題には、第三者委員会による社内調査を実施しての正式発表と報道がなされました。
これが事実なら、怒りの最上級にある感情が「憎しみ」だとするなら、復興作業に携わっている方々の生活状況を耳にしている中で、ボクは強烈に同社に対する憎しみを抱き、いまこれに包まれています。
国連平和維持活動(PKO)のために南スーダンに派遣されていた最後の派遣部隊の陸上自衛隊の隊員の方の自殺報道がなされました。
PKO派遣との関連性は否定されていますが、平和を維持するための戦いが必然となるなかで、生きるために殺めることの究極の必要悪に向き合う時、ベトナム戦争以後のアメリカで今も引き続き何に対峙しているのかの現実を見て学ばなければ、この中途半端な法体系の中で命を懸ける自衛隊の隊員の方々の命を軽んじているとしか思えぬ自分がいます。
この胸の痛みをせめて子供たちが味わい悩むことが無いようにと願って止みません。
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