失礼なコメントから思うこと | 介護日記~独身男がひとりで認知症介護~

介護日記~独身男がひとりで認知症介護~

認知症の母親をひとりで面倒見ている悲惨な状況です。

昨晩からの母からの電話


8:39

夜間は携帯の電源は切ることにし、朝方に電源を入れるパターンを継続中


今朝、一度だけ母からの電話があって、出ると


「あらぁ、やっと見つかったぁ」


母の中では、電話に出ないこと=見つからない ということになっているらしい・・・


しかし、いったい何回ぐらい電話をしているのか・・・



15:30 母の家に到着 ~ 夕飯の準備 ~


16:20 デイサービスから母が帰宅 ~ 今日は家の風呂には入らず


16:40 夕飯 ~ 寝る


昨晩はビーフシチューを作って、例によって今日もその残りを食べようと


母には絶対に食べないように注意しておいたが、今回は守ってくれていた


そのかわり、生卵1個消失・・・


聞けば、卵焼きを作ったとのこと・・・ ほんとか?





先日、以下のようなコメントをいただいた


「はじめまして
初めての訪問で失礼な事を書きますが、
お許しください。
そんなに自虐的に成らなくっていいんじゃないですか ?
まだまだお母さんはしっかりしていらっしゃいますよ。
お母さんと離れている時間も有ることだし、
一日中、傍にいて、総ての事をして上げなければ成らないのも、結構ストレスですよ。
どちらにしても、介護は、24時間頭から離れなことには違いは無いかもしれませんが、
余り、自分を追い詰めない方が、良いと思いますよ。」



この方によれば、私は「自虐的」ということになるらしい


私の母もしっかりしていると・・・


ちなみに母は、要介護度4で、重度の認知症の部類に入る


私が記事の中で、自問自答を繰り返しているのは


母にとって、私にとって、よりよい方法はないか、模索してしているからに他ならない


いろいろと思い悩むことが、「自分を追い詰めること」だと、そして止めた方がいいと言う



このコメントに対して、どう感じるかは人それぞれだと思うが


少なくとも投稿した本人が「失礼な事」と言っている以上、このコメントは


「失礼なコメント」なのだろうということで削除することにした



思い悩むことがマイナスのように思われているようだが、そればかりではないでしょう


介護の世界では、「頑張る」とか「思い悩む」ことがダメなことのように言われることがあるが


なんでもかんでも一律に考えることはないはず



そもそも「頑張る」とはどういう状態のことか


普通よりもっとやること・・・?



しかし、いくら本人が頑張っているつもりでも


他の人から見ると頑張りが足らないと言われることもあり


普通にやっているつもりでも、やり過ぎだと言われてしまうこともある


人それぞれ、持っている知識や技術、環境、やる気、精神力、体力などに違いがあるのだから


比較できることではないはず



私は、今の自分でできることをやるだけ・・・


それでも、同じやるにしても、同じやるなら


もっと効率よくやったり、より効果のあることに時間を割きたい・・・


そのために考え、思い悩んでいる



ニュース報道される介護に関係する事件、事故を危惧しての意見もあるだろうが


物事に対する前向きな姿勢は持ち続けていきたいと思う



先のコメントを投稿された方のブログを見たが


「いいかげんな介護」 「頑張らない介護」がコンセプトのように書いてあった


そのような人から見れば、私がやっていることは自分を追い詰めているように見えるのかもしれない



この方のブログは私と同じ、日々の出来事を綴っているもので、介護の様子が窺える


少なくとも、私には「いいかげんな介護」をしているようには思えなかった


おそらく謙遜されて表現されているのだろう



同じ「介護」といっても人それぞれ、事情や状況は異なるので、これが正解ということはない



母にとって、私にとって、最も幸せなことは何か、今日もまた思い悩みたい


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