『石狩川の始まりって一体どのあたりなの?』って、誰に聞いたらいいんだろう? -4ページ目

新しい携帯がえらく使いにくい件。

機種変更をしたばかりの携帯電話。


東芝→SHARPってだけでもかなり使いにくい。


東芝に慣れちゃったんだよ……もう3台も東芝続いてたから!!


今回は、いわゆる「つなぎ」で、もーちょっと興味のわく東芝機種が発売されるまで、1年くらい使えばいいか…程度の機種変更だった。


なので、色が好み…という安易な機種選択だったんですが……


うっかりY.S.さんと同じ携帯になってしまった(笑)。


わざとじゃないんだ!!

ホントだよ!!



……友達や同僚が誰も信じてくれないのは、日頃の行いが悪いからですか?

そうですか……



キーを打つのが、今までの時間の2倍かかる。

間違いが多い。



なぜなら……


キー面がまっ平だから!!



もーちょっとデコボコしとこうぜ、SHARP!!

「助かります」が「まさかりたす」になっちゃうよ!!!!(涙)


デザインなんかどうでもいい!!

要は使い易さだ!!



……色で選んだお前が言うな……




もう簡単ケイタイしかない!!!!!!




祖父という人。

幼少期を母親代わりに育ててくれたのは祖母だったが、もちろん、祖父も家にいた。

父は離婚後、結局実家に帰ってきて、帰ってはきたものの仕事と労組の飲み会ばかりで、ほとんど家には居なかった。

たまに呑んだくれて帰宅した勢いで、私を怒鳴りつけたり、泣けば叩いて押し入れに閉じ込めたりする。

まあ、22で男やもめになったわけだから呑みたくなるのはわからないでもないが、今は理解出来ても当時は単なるモンスターでしかない。

なにせ剣道4段で、体格はいいし腕っぷしも強い。

色白病弱な私が抵抗するすべもないわけだ。


……まったく、よくグレずに生きてきたもんだ(笑)。



父が呑んだくれて暴れた翌日は、大抵、祖父はとても機嫌が悪かった。

私は、そんな機嫌の悪い祖父が座るソファーにそっと近寄って、近くの床に座る。

祖父が見ている時代劇や刑事もののドラマを一緒に見て、ラジオから流れてくる落語を一緒に聴く。

一言も喋らない。

しかし、この寡黙な祖父は、決して私を追い払ったりしなかった。



ずっと後になって祖母がこぼした愚痴の内容では、祖父は、祖母が私を引き取るのにとても反対したそうだ。

そして引き取った後は、祖母が隠してあった私を産んだ母の写真を、全部燃やしてしまったらしい。



私が知りうる祖父は、普段は寡黙だが、たまに誰も居ない時に私に、とても饒舌に大阪についてや大阪弁を教えてくれる人だった。

とても私を引き取るのを渋った人とは思えなかった。

むしろ、祖父なりに可愛がってくれていた気がした。

お風呂のお湯を沸かす窯に薪をくべながら、しゃがんで見ている私に「くべてみるか」と教えてくれたりもした。



今だからこそ思うが、祖父は、いつまでも私をそばに置いておきたかったのではないだろうか。

だから、顔も知らない別れた母の写真……会う手がかりを焼き捨ててしまったんじゃなかろうか。

祖父は、祖母が想像していたよりもずっと、私を可愛がってくれていたんじゃないだろうか。

……祖父なりの形で。




9年たち、新しい母が来て、その家の中に新しい家族が増えていき、私は居場所を見失ったが、たまに祖父のそばに座る私をやっぱり追い払ったりはしなかった。

やり場のない持て余した自分の本音を抱えたまま、そこに座る私に、祖父は何も聞かない。

たまに「みかん食べるか?」と聞くくらいだった。




社会人になり、ある程度満足な給料を手に入れ、祖父にちゃんとした誕生日プレゼントを買えるようになった私は、その時になって初めて、祖父の好きなものを何も知らない事に気付いた。

あんなに長い間一緒に過ごしたというのに、何も知らないなんて。

しかも、祖父は何をあげても表情を変えない。

一体、何が欲しいんだろう?

毎年毎年悩んだ。




肺ガンで亡くなる前の年、もうその頃は入退院を繰り返していたので、プレゼントするのはパジャマと靴下ぐらいのものだった。

それでもやっぱり、嬉しいのかどうかもわからない表情。

わからないから、やはりパジャマを選んだ。





それは亡くなる少し前、最後の入院の時だった。

母が、祖父の入院支度をしていた時の事だ。

タンスからパジャマを何組か出し、そんなにたくさんは持っていけないから……といくつかに減らそうとした。

その時、祖父は、どうしてもこのパジャマは持っていく、と譲らなかったものがあったらしいのだ。

これはあの子が買ってくれたものだから、と。

それを聞いた私は、その夜、部屋でこっそりと泣いた。

祖父は、私がくれたものなら何だって嬉しかったんだ。

どんなものも同じく嬉しかったから、表情は変わらなかったのだ。

祖父は、私がプレゼントしたものを、いつもそんなふうに思っていてくれたんだ。

涙が止まらなかった。

今年も、パジャマを買いに行こう。

あと一週間で祖父の誕生日だ。

次の休みにパジャマを買いに行かなくては……。



その休みの前夜に、誕生日の3日前に、祖父は亡くなった。




私にとっての祖父は、愛情表現の下手な寡黙な大正の人間で、それでいて面倒見のいい大阪人だった。


愛情とは、見て取れるものだけではなく、受け入れ、受けとめるものもあるのだ……ということを教わった気がする。




祖父が大好きだった。

私の中に祖父の血が流れていることを、誇りに思う。

私は、祖父の孫で幸せです。

どうか、ずっと、私を見守っていてください。


小さい時と同じように、黙って、変わらぬ表情で、ずっと。





思い出のサンドイッチ。

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2010年6月13日。


忘れられないSURFACE解散ライブの日、ちょっと贅沢して銀座千疋屋でランチ。




アボカドのサンドイッチとパッションフルーツのジュース。




あんなに美味しいアボカドサンドを食べたのは初めてでした。




特別な日に相応しい、特別なサンドイッチ。




地元のSURFACE仲間と食べる東京ランチ。




SURFACEがくれたものは、12年もの間ずっと心を震わせ続けてくれた音楽と、11年間の大切な友達との思い出と、10年間の大事な大事な、胸の真ん中が熱くなるような幸せな思い出。




良い事も悪い事もひっくるめて全部、幸せな思い出。




いつでも、どんな時も、私の一番大切な場所にあるのはSURFACEです。




椎名君がいる時代に生まれて良かった。




ちょっと塩味の効いたアボカドは、まるで涙の味のようで、

そんなセンチな気持ちを誤魔化すように笑って過ごした。




あの味を、きっと私は忘れないだろう。