重彩 著 松本 真 | 松本真の未来創造提案書

松本真の未来創造提案書

南京都の風雲児、表現者松本が語る、
未来に対する提案書的ブログ

第一章 2010 9月16日弓子 25歳


人は何故生きるのか?
答えはたったの2つだと私は思う。


生きる為に生きるのか。
死ねないから生きるのか、のどちらかだと。

私は紛れもなく後者だ
結局は死ねずに生きているのだ。


右に揺れるでも
左に寄れるでもなく、
自らを決めかねている。


テレビで流れるニュースを見た。
イジメにあった中学生がその積年の恨みを晴らすべく、

朗らかに最期の告白を遂げ、意気揚々と自らの命を断つという勇気ある行動に、

小さな憧れさえも抱くが、私にはその主張すら出来ない。



人生というものは生きていれば、

その意味に辿り着くのだと信じていた時期もある事はあったが、

それは結局その事を望み、あるいは挑戦し、傷つき苦しみそれでも目指し続けた強者への、

ある意味においてだれからかの贈り物のようなものであって、

全く波風をおこさず、惰性のままに、ただそれは生命の維持という作業だけを淡々と行っている

自分のような駄者には、きっと届くはずもない物だと気付かされた時、もうこれで都合の良い解釈は捨ててしまう方が得策である、と考えたのである。


かくして、私は生きる事を止め、死ぬ選択肢を捨てた、文字通り生きる屍と成り下がった。


それでも、死ぬという選択肢を捨てたからには、生命の維持の為に一応は食いあるいは排出し、眠り、起き。その為の金が必要であって、それなりに私にとっては、過酷なものではある。


今日も明日も明後日も。
いくらしがんでもしがんでも、
何の味もしない。そんな毎日を努力して過ごしている。


勤める会社近く、街の中心にある主要駅を
地下鉄で数駅南に下ると、都心の香りなど嘘のように消えた、

スラム街とまではいかないものの、薄汚れた何のとりとめのないガラクタな街に辿りつく。


駅から数分
自宅近くのコンビニエンスストアでは、おでんの販売が始まっていた。


私は、安物の生理用品と嘘くさいラベルのミネラルウォーター、

豆腐とオクラの胡麻和えサラダと金に目が眩んだどこぞのレストランの有名シェフが監修するタリアテッレボロネーゼをカゴにいれ、そのアンバランスな取り合わせをレジに運ぶ。


生まれつき滑舌が良くないであろう金髪のパンクロッカー風の少年には、

あろう事か舌の真ん中に釘型のピアスが刺さっている。

生理用品とオクラのサラダとタリアテッレボロネーゼを一緒に入れてもいいか?

と馬鹿げた質問を投げかけられた瞬間から、出来る限りこの青年との会話を減らしたいと思った。
そうしてレジ袋のカオスを黙認し、パンクロッカーには一瞥もくれずに、その場所から足早に立ち去った。


外に出ると、少し冷たい風が吹く。


昼間には、あれほど夏の名残が薫るのに、

風達は、夜には違った表情を見せてくれるのがこの季節の美しさだろう。


街灯の下には、気味の悪い色彩の虫たちが、まるで何処かの百貨店のセールの最終日のように、

我れ先にと光を求め暴れ狂っている。


今日を終えるという安堵感と
明日に向かうという緊迫感を


共有するこの時間が、私は好きではなかった。

駅からコンビニ、それとおおよそ同じ距離を進むと、

清滝荘と書かれた木造の古めかしい二階建てのアパートが見える。


これが私の住処。


住む場所など何処でも良いとは思っていた。
しかし、まさかこんな若い女がこのような薄汚いアパートに住むとは考え難かったようで、

不動産屋には別の物件を四箇所も勧めらた。
それでも、私はこの古ぼけたネズミの棲家のようなアパートが何故だか気に入った。

自宅前、いつもとさしも変わらない風景、その中に一つの違和感を私は発見した。


おぼろげで頼りない家々の光。
泥臭いの生活感を漂わす空気。
いく度とない道路工事を重ね、つぎはぎだらけの道路。
嘘くさい静寂の時間にその真ん中に
温度をまとう物体が転がっている。


人だ。
人が倒れている。


上半身は裸で、タイトなジーンズ。靴は履いていない。

明らかな異常。

この角度からでは顔の全体像は把握出来ないが、

若い男性だという事は肌の艶と筋肉の隆起でおおよその予想がつく。


面倒な事態だと私は真っ先に思った。
見なかったことにしよう。


臭いものに蓋をする…


いや、もはや鼻の中に直接異物をねじ込まれたような常軌を逸脱した状況だった。
その中を我関せずと無表情を貫くのには、それなりの覚悟がいる


生ける物体を横目に階段を昇り小さくて排他的なオアシスへ向かおうとしたその刹那、

物体から微かなSOS信号が発せられる。


「う…う…ら…ふ…る」


鼻腔の奥の方で、異物は更に強烈な臭気を放つ。
これを無視することは、私には出来なかった。
無視すれば、私はまたあの時と同じになってしまう。


恐る恐る、私は男に近づいた。


栗毛色の柔らかで若干のくせのある髪が耳を少し隠している。

スッと通った鼻筋、 肌は絹のように白く怖いぐらいに美しい。唇は少し厚めで淡い桃色をしている。

その妖美さに心が突き上げられるようだ。


瞼を閉じているので瞳までは確認出来ないが、街で見かけたらまず間違いなく、

男女問わずにその魅力的な容姿に目を奪われるはずだ。


「あの~、風邪ひきますよ。大丈夫ですか?」


体中に存在するありとあらゆる勇気をかき集めて、必死で声をかけてみるが
まるで反応がない。死んでいるのだろうか?

いや、死んでいるというよりは、むしろ穏やかに眠っているという印象だ。
酒に酔った様子も、身体に傷があるわけでもない。

目の前の少年は、この世のものとは思えない美しさを放ちながら、ただ穏やかに眠っている。
仮死と言ってもいい。


隣の家から、テレビの音と笑い声が漏れ聞こえる。

生姜と醤油の少し焦げた香ばしい匂いが食欲をそそる。
高校二年生の娘が、ソフトボール部の秋季大会に4番エースで 出場し

、チームを勝利に導く大活躍をした。


今日は、お祝いだと課長補佐に昇進したばかりの父親は

、大奮発の焼肉パーティで娘を迎え入れる。
女が抱えるその世代の微妙な葛藤や悩み、性に対する意識などとは無縁である娘。

醤油の香りに満面の笑みを浮かべ、父親の愛と滴る肉汁を一心に受け、幸福の渦へと転がり落ちる。

私にも…私にもそんな幸せがあった。


しかしそれが幸せかどうかを、今の私からは掴みとる事は出来ない。


家族、愛、食欲、青春、性。
私に欠落している何か。
埋まる事のない何か。
捜してもきっと私には見つける事が出来ない。

これまでの人生で何かを削りとり生きてきた私。
何か大切なものがごっそりと抜け落ちている私。
そんな私の目の前に一体の美しい生物が横たわっている。
それは、私に助けを求めているようには決して見えないが、

こんな自分をまるで何処かに誘おうとしているようだった。


これは一体誰からの贈り物だろう?

弓子は届くはずのない、重大な贈り物を受けとったような感覚に囚われていた。