シリーズ 松本真 その3 | 松本真の未来創造提案書

松本真の未来創造提案書

南京都の風雲児、表現者松本が語る、
未来に対する提案書的ブログ

兄二人は京都市内の有名私立に進学しましたが、
僕は隣町の工業高校に入学しました。

まぁ、なかなかのギラギラ感がある高校でした。
普通科と工業科に分かれているのですが、
工業科には特有の油臭さと凶暴性、
明らかに穏やかではない雰囲気が漂ってました。

それこそ、
トイレで打ち上げ花火からの窓ガラス破壊とか
三段シート、ファイアーパターンのKawasakiが校庭を走り廻るとか、
まぁスクールウォーズばりにありましたから。
冗談じゃなく、工業科の生徒は3年になったら
半分ぐらいは退学やらなんやらで居なくなってましたね。

良くも悪くも、僕はここで人生の生き方を学んだのかもしれません。

そして、私がこの焼け野原の戦場を渡り歩けたのも、
「喋り」という武器があったからに他なりません。
人を常に観察し、適所で面白いであろう事を言う。
当たり前の事でも、タイミングさえ合えば笑いに変えれる。
そういうかけ引きは恒常的に頭の中で回転していました。

とはいえ、中学を卒業し何となく惰性で生き、
また陸上部に入り、そしてうだつの上がらない
スクールライフを送っていたかもしれない僕を色んな意味で救ってくれたのは
、ギターとロックとくだらない事で笑いあえる仲間たちだったと思うんです。
その中に、将来共に歩むことになるパートナーがいたことは
、その時の僕たちには想像すら出来ませんでしたが。

この頃になると、本来なら誰しもが否が応でも
未来将来について考えないといけない立場になるわけです。
進学か??或いは就職か??
しかしながら、当時の僕たちは極度の楽観主義でありまして、
「まぁなんとかなるだろ」みたいな柔らかい空気が辺り一面に充満しており、
社会に放り出される危機感というか焦燥感というか、
そういう枠内のルールというものが理解できずにいました。

そうして、中学の時の仔犬のような意気消沈の松本は次第に影を潜め、
新たな松本がにょきにょきとまさに雨の後のたけのこよろしく顔を出し始めるのです。

これまさに「若気の勘違い」であり、
瞬間的調子乗りの極地であります。

家がラウンジを営んでいることもあり、
人より少しだけ歌を歌う機会が多く、
それにより人より少しだけ声がでかくなり、
人より高い声が出るようになっていたその頃。

高らかに宣言するのであります。

「俺はロックスターになる!!」と。

若気のいたりはそれはある意味において純粋なる活力であり、
ある角度においては無知無謀なる冒険であるわけで、
当時の僕はそれはそれは有りもしない才能(あったかどうかは本当のところは誰にも判断できないが)に
酔いしれる小天狗のようなもので、
自分の行く道は必ずや成功に繋がるものと、
僕は選ばれた人間であり、他の人とは違うのだと、
疑うことがなかったわけであります。

これから先に断崖絶壁から
転がり落ちるような人生が待ち受けている
とは露知らず。


またそれは次のお話。
アディオス。
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