青空の心と、愛の空間

青空の心と、愛の空間

4人の子育ちお助けの合間に、ゆっくり学んでいる野口整体、健康に関する話と、
日々の興味を持ったことについて書いています。
2種体癖の傾向があるため、所どころ連想が飛躍してるかも。


すっかり間が空いてしまいまして・・・。

さて、
5月29日(ご飯と肉の日)〜
8月31日(野菜の日)
までの3か月間

肉食、米・小麦・砂糖、食品添加物を
排除した食事を続けていました。
 
 
 
この食事習慣を試すに至った経緯は
前回までの記事に詳しく書いていますが
 



目的を一言で表すなら
白痴状態から脱却するため、です。
 
 
 
私の場合
肉は毎回妊娠中に食べられなくなって
ほぼ菜食の9か月間を
これまでに4回過ごしてきたし
 
食品添加物などは
元々わりと気を付けている。
 
 
 
なので、今回の実験で
一番大きなポイントは
米・小麦・砂糖の排除でした。
 

 

実際に、3か月間
何をどんな風に食べていたかというと
 
食事の中心は
野菜やキノコ、豆腐製品を
たっぷり入れた味噌汁やスープと
野菜サラダ。
 
 
それに、
ナッツや果物、ゆでた豆、焼き芋などを
一日何度も
ちょこちょこ食べている
という感じでした。
 
 
スープは大体
トマトベースか
カレースパイス風味
あとは、週2でいろんな味の鍋。


近くに豆腐屋さんがあって
あまりに頻繁に厚揚げや
がんもを買いに行くので

いつもどうやって食べてるんですか?
と聞かれて、鍋です〜と言うと

えー、この暑いのに!?
と驚かれました。


みんな鍋って冬しか食べないのかな。


夫も私も、真夏でも
鍋はしょっちゅう食べてる。


そもそも台湾なんて年中暑いけど
火鍋屋はずっとやってるし☆

完全植物ベース(全素)の漢方セット。

もちろんアミノ酸など化調は無し♪

ひたすら煮出して、塩と酒で味付けし

野菜や凍豆腐を入れたら完成。



 
あと、
普段あんまり生野菜は食べませんが

この期間は
キャロットラペとか
玉ねぎドレッシングとか
めっちゃ作りました。
 
 
 
はじめたばかりの頃は
今日からご飯もパンも麺も食べないんだ~
と思ったら
何となく頼りなくて
 
トルティーヤチップスを食べたり
焼き栗とかナッツ類を
結構たくさん食べていたんですけど
 
その食生活が
当たり前になってくると
トルティーヤはすぐに要らなくなりました。
 
 
 
ただ
米も小麦も食べないと
いつも何となく口さみしいというか
軽すぎる不安感があって
 
焼き芋もよく作ったし
ナッツとかも手放せない感じでした。
 
 
 
全体としての食事量は
「主食」を食べてた頃よりは減ったし
 
摂っている食材の種類は
格段に増えたけど
 
 
「呼吸するように食べる」
には程遠く
 
やっぱり食事にとらわれて

一生懸命に
食べるものを用意している
状態で3か月を過ごしました。
 
 
 
しかも子供たちには
いつもと変わらない食事を
用意していたので
 
料理の手間は
自分用の大量の野菜を刻む分、
むしろ増えていましたね。。。
 
 
そんなわけで
この3か月では
 
アナスタシアの神なる食事には
ほど遠い結果しか
得られませんでしたが
 
「主食」という幻想から
離れることが出来たのは
なかなかの成果でした。
 
 
 
 
他人にこの食事習慣の話をすると
大抵
 
「えっ、米?米は要るでしょ!!」
 
って反応をされるんですけど
 
 
ご飯こそは
自分でも意外なほど
全く食べたくならなかったんですよ。


 
小麦はアレルギーも多いし
小麦断ちする人は結構いるけど
 
 
米って何だか日本では
神格化されてるっていうか
 
絶対に悪く言ってはいけない
完全に善なる存在
みたいな扱いじゃないですか。
 
 
私だって
妊娠中は白米苦手になるけど
基本的には玄米も白米も
炊き込みご飯も
自分で作ったお稲荷も
カレーライスも
大好きだったんですよ。


むしろ、台湾人の夫が
元々全然米食べたがらないので

いつも私が
ご飯食え〜、米は大事よ〜って
言ってたくらい。。。



 
でもね、驚いたことに
今日から食べないんだなぁ
って思っただけで
 
全然食べたくならなかったし
 
実験期間の3か月が過ぎた今でも
食べたい気持ちは全く起きないので
まだ2回くらいしか食べてない。
 
 
 
1回は
子供のお昼ごはんに作った
ドライカレーが辛すぎて
残されたのを食べた
 
 
意識が朦朧として異常に眠くなった。
 
 
 
2回目は
両親が近くのホテルに泊まりに来て
 
お土産のおはぎを1個食べ
 
夜は、よりにもよって
牛肉を3枚ほどと、ご飯を1杯
さらに日本酒を1合飲んだ
 
 
翌日、前からある虫歯が
急激に膿んで死ぬほど痛んだ。
 
 
 
という事態になったので
肉はもう絶対あり得ないのはもちろん
米も基本的に食べません。
 
 

そして3か月の終盤には
スコーンが無性に食べたくなって
 
期間明け後に
しばらく毎日食べていたけど
それも満たされて落ち着きました。
 
 
 
 
今はたまに
パンや焼き菓子を
食べることはあって
(やっぱりめちゃ美味しい)
 
 
「全く食べない」が
 「食べたくなったら食べてもいい」
 
という気持ちにったら
不安感がないのか
 
やたらめったら
ナッツや果物を食べなくても
 
一日のどこかで
パンとか焼き菓子を食べるかも
って思ってるだけで
食事量がぐ~んと減りました。
 
 
麺とかも
主食でがっつり食べるってことは
滅多に無いし
 
結局いまが一番
食事量は少ないです。

でも逆に言えば
1日一回小麦が入るだけで
摂る食材(野菜果物ナッツ)
の種類がグッと減る。。。


 
アナスタシアでは
年に数回
自分の土地で出来た穀物で
パンを作って食べるだけで
十分に肉体を健康に養える

とあったけれど
 
それくらい、穀物のエネルギーって
すごいんでしょうね。
 

 
しかし不思議なくらい
米は本当に
全然食べたくならない。


食べても美味しいとも思わない。


うちは水がめっちゃいいし
毎日精米して
土鍋で炊いてるので

泊まった人とかは
ご飯がめっちゃ美味しいと
言ってくれるんですよー。




でも、
私はもういいや〜としか思えない。



こんなに米食べなくていいなんて
一体、今まで何してたんだ、と
夢から覚めたような気分です。

 
 
米が美味しい
米は大事
米は日本人の心
 
って幻想だったんだ
というのが結論です。



 
実際問題として
肉も米も食べんでよかったら
暮らしはめっちゃ楽じゃない?

米食べないと
魚も自然と食べたくならんよ。



私も子どもたちには
普通に米も麺も食べさせてるし


美味しいなー
幸せやなー

って体験は

大人だって
全然選んでいいと思うから


食べたらダメだとか
食べない方がいいとも言わないけど


米が無くなったら大変、食料危機だ! 
日本の崩壊だ!

と思いこんでるより


米って実は食べんでも全然困らんで〜

って体感伴って知ってるだけで
この世での自由度が増す。


 
 
野菜は米よりずっと簡単に育つし
野草なんて勝手に色々生えてくるし
 
米作りにかける労力って多大だけど

よくよく考えたら
何でそんなに
米にこだわらないといけないのか
誰もはっきり言わないよね?
 
 
米についてだけは
何故か、美しく曖昧で
幻想的な話になってない?



小麦とか肉、乳製品は
批判しても

まあそういう考えもあるよねー

って許されるのに 

米だけは
ちょっとでも否定的に取り上げたら
めっちゃ怒られるみたいな。

 
 
でもみんな実は
習慣や思い込みで
中毒になって食べてるだけ
なんじゃないでしょうか。


と思うのは
赤ちゃんに離乳食を食べさせるとき

うちは4人とも
お粥ってのは嫌がって
食べたがらなかったんですよね。



日本では
離乳食🟰お粥ってイメージだけど

欧米では
赤ちゃんに米を食べさせるなんて
恐ろしい、危険だ 
って認識らしいです。



しかも整体では
何を食べろとか
食べるなってのは
ほぼ言わないけど

赤ちゃんの補食に関しては
はちみつとかレバーとか
刺身とかも良しとするのに

米だけは
栄養吸収が悪くなるから
絶対に食べさせてはいけない
って言ってるんですよー。


それが、だんだんと
無くてはならないものと
思い込まされていくって
それ中毒化なのかも?


 
酒とかタバコも薬物も
それを欲するって気持ちは
本当に身体が必要として
欲しているというよりも
 
人間の身体の中で
最も騙されやすい器官である
脳の思い込みに過ぎないわけで
 
一度しばらく抜いてみれば
それがただの中毒症状で
あることが理解できるもの。
 
 
 
私はお茶中毒だから
毎年、2週間だけカフェイン抜くと
数日は酷い頭痛になってるけど
 
その期間を抜けて
お茶抜きで暮らしてると
 
何となく
頭の中が騒がしくない
静かな心地よさがあるのを知っています。
 
 
でも、やっぱりお茶に関しては
中毒と分かった上で
飲むことを選択し続けている。
 
積極的に好きなんですよ。
 
 
 
こういう嗜好品については
みんな理解できると思うんですが
 
「米」は日本人にとって
あまりにも当たり前になりすぎてて
 
まさかそれが中毒だなんて
思いつきもしないんですよね。
 
 
でもよく考えたら白米って
本当に白砂糖やコカインと
大差無いんじゃ・・・?
 
 
 
 
千日回峰行とか山伏の修行で
五穀断ちとかがありますが
 
それは禁欲が目的ではなく
たぶん、米を食べていると
 
・腹が減りやすく食事中毒になる
・疲れやすくなる
・意識が混濁して惚けるので
 山の中では危険
 
などの弊害で
身が持たないんだと思います。
 
 


山の民は米を食わない。


 

5月か6月にエンドゥさんが
米・小麦・砂糖断ちの動画を
公開されたときは
 
翌日、マドモアゼル愛先生が速攻で
米を擁護する動画を出されてたので
 
あ~こりゃ、米こそが
秘密の核心、本丸だわ
 
と逆にバレちゃった感じでしたが
 
 
 
あれから数か月を経て
 
何と、愛先生もついに
 
「うお座の幻想支配からの解放」
という文脈の中で
 
米というのは
人々に麻酔をかけ
幻想で支配するのに貢献したのでは・・・と
 
天皇、弥生稲作にも言及して
お話しされていました。
 






 
やっぱり神官の話に繋がってきますよね。
 
 
 
 
ジャニーズの問題だって
みんな、本当はうっすら知ってたのに
 
何故か視聴者もみんなで
そんなこと無いことにして
むしろ美しいものとして扱ってきた。
 
 
 
医療も、教育も、文化も
数えきれないくらい多くの
あれもこれも色々なことが
 
ぜーんぶぜーんぶそれと同じで
綺麗な言葉で
曖昧に誤魔化されて騙されていた。


だけど、
ここに来ていよいよ本当に
2000年の麻酔は切れてきたよ

そんな風に感じています。


 
 
 
 

「水瓶座の時代には肉食は無くなる」

という衝撃的な
シュタイナーの予言について

ブログを書いた3年前には
想像もしなかったほど
世界は急速に様変わりした。



あの頃にはまだ
現実味がなかったけど


コオロギ騒動や
全国で相次ぐ畜舎の火災など
不自然なことが多すぎて


今はもう本当に
肉食が無くなる、そんな時代が
始まっているように見える。




特にこの1ヶ月は

小児誘拐・人身売買の
実話を元にした映画
「サウンド オブ フリーダム」
がアメリカで公開されたり

日本でも、
事前広告無しの異例の形で
宮崎駿監督の
「君たちはどう生きるか」が
公開されていて


これまで闇の中だった
数々の真実が

これからますます
堰を切って
表に出てくるような気配だ。




ということで、
今回は肉食という選択について


闇の中にあった真実を見て、
その意味を知るための

エンドゥさんの考察動画を2本
貼らせていただきます。


前半はインナーチャイルド癒しの話題

畜産、人間と動物の関係については27分辺りから




動物に何をしてもいい、殺して食べるために飼うという思想は、他者を支配することに繋がる。
家畜の肉を食べることで、私たちは無意識のうちに、搾取し搾取される人間牧場に加担している。





2000年続いた魚座時代は
宗教、幻想による支配を可能にした。


この魚座時代に、
私たちは神の創造した
明らかな現実=自然から離れて


誰かの話すイメージや
崇高さを装った詭弁
もっともらしい権威などを
信仰し、
それが現実かのように
思い込んできた。



古くは教会での教義
今ではマスコミのプロパガンダや
科学雑誌や学校の授業など
一見、宗教とは関係ないものも

どこかの誰か権威の説を
盲信するという意味で
完全な宗教・幻想による
支配ツールだ。



コロナ茶番の期間で
感染症の重症化率や死亡率
また、周りの検査陽性者の症状
などといった
明らかな現実よりも

どんなにか

マスコミの作るイメージ
雰囲気、周囲の目
などという幻想を
多くの人が信じ
それに従っていたことか。


彼らは全く宗教信者のようで
論理的な話が一切通じなくて
苛立ちを覚えた人も多いだろう。



そんな時代の大転換期を経て

水瓶座の時代というのは
何ものにも囚われない
純粋で自由公正な
知性の時代だと言われる。



これまで
美しい幻想のベールで
覆われていたものも

全て例外なく剥がされて
そのありのままの姿を
知性の光の下に晒されるはずだ。


私たちはもうすでに
現実を見る時代に入った。



今のテーマで言うなら
私たちの口に入るものが
どのように作られているのか

肉食という選択肢があるなら

その肉は、かつて
どのように生きていて
どのように殺されたのか・・・。



幻想の霧は、急速に晴れていく。



私は妊娠すると毎回
肉が一切食べられなくて

いつも、突然
肉に触れられなくなって
妊娠を知るのだけれど


友人は
妊娠中に牛肉を食べたら
牛の想念が
ドッと流れ込んできて
大変辛い思いをしたらしい。


普段、麻痺して気づかないだけで
もしも肉を食べるごとに
そんな念を取り込んでいるとしたら

それは私たち自身をも
酷く傷つけているのではないか?



神に捧げる生贄という文化も
全く行為の理由が分からない。


この世界を創造した
父なる存在にとって

自らの子供である生き物たちを
殺して、差し出されて
何が嬉しいと言うのだろう。


そんなことが
宗教、文化などと言う幻想で
意味のあることだと
信じられてきたなんて!



ましてや
自分の創造した動物たちが

同じく自分の子たる
人々の手によって

劣悪な環境に置かれ
もののように扱われ
殺して肉にされるためだけに
生かされている状況などは

身を引き裂かれるような
悲しみでしか無いように思う。





今、この水瓶座の時代には
肉食は無くなるという論点では


いわゆる先進国の
工業的な畜産業と
精肉されたものを消費する
グルメ文化についてのみ語る。



私自身はジビエも食べないけれど

動物と対峙して狩猟する
対称性の世界や

共に暮らす羊を
自ら捌いて食べるような
遊牧民の文化については

どう考えたら良いのか
まだ分からない。


一体、ヴェド期から
どのような変動があって

肉を中心に食べなければ
生きていけないような
過酷な環境が地上に現れたのか?


それらの場所を全て
植物が豊かに育つ
実り多き土地にすることは
可能なのだろうか?
(中村哲さんのように!)



ともかく
自らの手で動物を殺し
その肉を食べる限りは

それは紛れのない現実であり
幻想のベールは無いのだから


私たちの食べている
動物がどのような環境で生かされ
肉にされたのか

明らかな現実を見た上で
選択しようという話とは外れる。



しかし日本のように
野菜も果物も豊富に採れる環境なら
わざわざ動物を
殺すために飼わなくても
充分生きていけるわけだから
本来、家畜食は余分なのだ。




もちろん畜産業の方々が
悪いのでは無く

以前の私も含め
グルメという光しか見ない
片目族の人々のために

これまで闇を一手に
引き受けてくれていたのだから
有り難いことだと思う。



片目をつぶって
ただ家畜グルメを堪能する

牛肉が旨いと言って
自由だと言って
幸せだと言って

それは本当に幸せなのだろうか?



人間様のグルメのためだから
家畜が殺されるのは仕方ない


それは無意識下で


白人の豊かさのため
アジア人やアフリカ人が
搾取されるのは仕方ない


大金持ちの快楽のためだから
子どもが売られて
性虐待されるのは仕方ない



という世界を肯定する論理だと気づく。



加担するか、終わらせるか。

私たちには
ちゃんと選択の自由がある。


平行世界では鳥が人を食べている




水瓶座の時代
これから約2000年のうちには
砂漠のような過酷な環境も
緑豊かな豊穣の大地となって

すべての人が
動物を殺して食べなくても
良いようになる

そのように
イメージを象っておこう。


2000年のうち、と書いたけど
たぶん、
意外とすぐのような気がしている。








肉食と米・小麦をやめて
1ヶ月になるが

全く何も困らないし
不調もないし

むしろ毎朝の目覚めが
のっけからスッキリ冴えてる。




先日は学校で授業参観。

次女の方は食育で

お決まりの3色の
唯物論栄養学だった。



シュタイナーは

唯物論 とは
物質について
何も理解していない人の論理だ

と言ってたけれど
まさに、って感じだな。



ましてや人間は機械ではない。

燃料を入れれば入れただけ
それが吸収されるわけでも
活用されるわけでもない。



だからうちでの食育は

食えねば、死ぬし
食わねば、健康になる

胃袋とゴミ箱を混同する勿れ、だ。




さて、アナスタシアの語る
人間本来の叡智
「呼吸するように食べる」への
足掛かりとして


私がひとまず始めてみた
新しい食事様式は


①化学調味料、添加物
②砂糖、米、小麦
③肉食

の3つを廃止すること。



今日は②の
砂糖、米、小麦についてです。




砂糖の害は
広く知られているけれど


今回、あっさりと
米、小麦をやめてみようと
思ったのは


アナスタシア7巻にある


闇の神官たちが

「全人類の思考を減速させる」
ために

人々には

あるいくつかの種類の
植物の種を蒔くことを勧めながら

自分たちは
より多様な植物を口にしていた


という記述の

「あるいくつかの種類の植物」
というのが

小麦や米ではないかと
推測したからだ。




前回、前々回の記事を
読まれてない方は
こちらからお願いします。




この度の食生活変革の
きっかけとなった


砂糖はもちろん
米、小麦といった
糖質の高い食品を
常に取り続けることで 

私たちはの脳は
「食事中毒」
の状態になると言う。



食べれば食べるほど
もっと食べたくなる

というわけだ。



これって私は
めっちゃ思い当たる。




朝断食をしていた時に
気づいたのだが

朝食べなければ
それほど食べたい欲求は
湧いてこないのに


朝にパンを食べると
またすぐに
昼にパスタなんかを
食べたい欲求が出てくる。



しかも大抵は
昼までに
焼き菓子とかを
つまみ食いしている。


そして
パスタやチャーハンなどを
たっぷり食べたって

午後はやっぱり
お菓子を食べて

そして夜は
また、ご飯と
沢山のおかずを食べていた。



最近はマシになってたけど

20代の頃は、外食なら
大盛り、替え玉、おかわり
が当たり前で


しかも間食には
スイーツもパンも
コロッケも食べて

夜中には
酒もガバガバ飲んで
スナックも空けていた。


まさに食事中毒。
食事に意識を奪われまくり。



それでも
ずーっと痩せていたのは

上の動画で説明されているように


糖質が入ることで
インスリンがどばどば出て
筋肉などの細胞から
栄養が奪われるため
常に栄養を欲する

↓           ↑

たくさん食べても
やはり糖質が多いので
インスリンがどばどば出て
細胞から栄養が奪われる



の無限ループで
全く身に付かず


大量に食べては
その消化排出で
内臓に負担をかけ続けて
しかも万年栄養不足の状態

というわけだった。



だからダイエットなどで
少食で、
かつ糖質の割合が高い食事
というのは

必要な栄養が欠乏して
本当に危険なのだろう。




で、米や小麦を
いざ止めてみると
何のことはない、

ガッツリ食べることなんて
全く必要無かったと分かる。



お腹が空くというよりも
何か口に入れたいなぁって
欲求が出た時に
ちょこちょこ
ナッツとか果物を食べたりして 

そんな感じで
お腹が空いて困ることも
逆にお腹いっぱいで
眠いとかダルいとかも無い。




さらに、糖質による
急激な脳への刺激は

私たちに
高揚感をもたらしたり
眠くさせたりと


覚醒剤のように
軽度の躁鬱症状を
作り出しているということだ。



実際、私は
砂糖、米、小麦をやめてから
寝つきも目覚めも
とても良い。



まだカフェインを
多量に摂っているので
ベストな状態ではないだろうが

朝の重さがほとんどなくて
起きた途端に冴えてる感じ。


夜も
興奮や考えごとなどで
寝つきにくいことが
無くなっている。



自分で体感してみて

やはり糖質は
意識や思考のスピードを
遅らせる目的で
世界中に広められたのかも

という気もせんでもない。



縄文から弥生へ
という公式の歴史の中で
稲作が華々しく
取り上げられているのも怪しげだ。



また、多くの神話の中で穀物が
女神の死体から誕生する

= 女神殺しと深い関連

というのも
闇の関与があるのかもしれない。



あと、驚いたことに

上のエンドゥさんの
米・小麦の動画が出た翌日に

スピ界大御所の
マドモアゼル愛さんが

慌てたように米を擁護する
動画を配信していて


そのことが逆に

あ、米こそがタブーなんだ

支配者が最も知られたくない
最大の秘密なんじゃないか?

という疑いを濃くさせたのだ。




ちなみに
じゃがいもも
米、小麦と同じように
闇の意図を感じるので
ほとんど食べていない。

→じゃがいもで唯物論者に


さて
アナスタシアシリーズでは
1巻で早速

庭に植える植物について
その種類や種の蒔き方が
詳細に語られており


その中で
穀物を植えるのは
1.5〜2m四方の範囲
と明確に書かれている。



そして重要なのは
そこでとれた小麦やライ麦を
自分たちの手で粉に引いて
パンを作ることで、

このパンを年に1回か2回
食べるだけで
その人には
十分なエネルギーが蓄えられ
肉体も精神も
健全な活力を得られるという。



え!?

穀物は最大でも
たった4平方メートルの
畑からの収穫で

食べるのは
年に1、2回で良いって!!?




うちの田んぼは
1.5反(約1400平方メートル)。。


今年は営農組合にお任せしてるが
はじめに教えてもらったのは

大体、慣行農法だと1反で
8俵(60kg×8=480kg)
の収穫が見込めて
一家6人が一年間食べられる

という試算だった。



いやいや

年に1、2回食べれば
十分なものを

365日、3食食べてたら
それって大丈夫なんですか?




未来では、そのうち
カラスミとかイクラを
毎日3食食べることが
広められてるかも 笑



ちょっと振り返ってみれば
私たちが子供のときは


今みたいに、そこら中に
美味しいパン屋さんも
パティスリー も無かったし


百年あまりも遡ったら
普通の人は砂糖なんて
ほとんど摂って無かっただろう。



米は食べていただろうけど
宮沢賢治は一日玄米四合で
30代で亡くなっているし


明治頃
米を食べていた村の人は短命で
雑穀を食べていた村は長命だった
という話もあるらしい。



江戸時代の

百姓は米ではなく
粟やヒエ、菜、大根などを食え

という政策は

大切な農民を守るため
だったのかもしれない。



公園に持って行ったお弁当

大豆のトマト煮・山芋とエリンギ炒め

カブの葉と厚揚げの煮物・海藻入りサラダ



そもそも
「主食」という概念が
怪しいのだ。


とりあえず

ご飯か麺かパンの

いずれかは

食べるのが当然、みたいな。




冷静に見たら

この単語は

洗脳でしかない。



だって抜いてみたら

無くても全然困らんし。




米なんかは

栽培にやたら手がかかるし



小麦だって

粉にして、それを

パンやら麺にするってのは

とんでもない手間で

意識をたくさん奪われる。





どちらも

「呼吸するように食べる」からは

かけ離れており



つまり

奴隷労働で

人々の意識を束縛することに

大いに貢献した作物と言える。





家の溝に生えてくるフキ

葉を蕗味噌にして、お焼きにしたら

美味しいだろうなって味だったけど、小麦が×なので、

あげに包んで焼いたら最高でした




砂糖はともかく


米、小麦を断つというのは

現代の食生活からは

かなり奇異に映るし



ほとんどの人は

反発を感じるだろうから


誰にもおすすめはしないけれど



実験として、とりあえず

ひと月あまり食べてないけど

何も困らないという

途中経過の報告と



身近で

当たり前になっているもの

尊ばれているものほど


改めて疑ってみると

世界の見え方が変わるかも


というお話でした。




次回は肉食についてです。