すっかり間が空いてしまいまして・・・。
さて、
5月29日(ご飯と肉の日)〜
8月31日(野菜の日)
までの3か月間
肉食、米・小麦・砂糖、食品添加物を
排除した食事を続けていました。
この食事習慣を試すに至った経緯は
前回までの記事に詳しく書いていますが
目的を一言で表すなら
白痴状態から脱却するため、です。
私の場合
肉は毎回妊娠中に食べられなくなって
ほぼ菜食の9か月間を
これまでに4回過ごしてきたし
食品添加物などは
元々わりと気を付けている。
なので、今回の実験で
一番大きなポイントは
米・小麦・砂糖の排除でした。
実際に、3か月間
何をどんな風に食べていたかというと
食事の中心は
野菜やキノコ、豆腐製品を
たっぷり入れた味噌汁やスープと
野菜サラダ。
それに、
ナッツや果物、ゆでた豆、焼き芋などを
一日何度も
ちょこちょこ食べている
という感じでした。
スープは大体
トマトベースか
カレースパイス風味
あとは、週2でいろんな味の鍋。
近くに豆腐屋さんがあって
あまりに頻繁に厚揚げや
がんもを買いに行くので
いつもどうやって食べてるんですか?
と聞かれて、鍋です〜と言うと
えー、この暑いのに!?
と驚かれました。
みんな鍋って冬しか食べないのかな。
夫も私も、真夏でも
鍋はしょっちゅう食べてる。
そもそも台湾なんて年中暑いけど
火鍋屋はずっとやってるし☆
あと、
普段あんまり生野菜は食べませんが
この期間は
キャロットラペとか
玉ねぎドレッシングとか
めっちゃ作りました。
はじめたばかりの頃は
今日からご飯もパンも麺も食べないんだ~
と思ったら
何となく頼りなくて
トルティーヤチップスを食べたり
焼き栗とかナッツ類を
結構たくさん食べていたんですけど
その食生活が
当たり前になってくると
トルティーヤはすぐに要らなくなりました。
ただ
米も小麦も食べないと
いつも何となく口さみしいというか
軽すぎる不安感があって
焼き芋もよく作ったし
ナッツとかも手放せない感じでした。
全体としての食事量は
「主食」を食べてた頃よりは減ったし
摂っている食材の種類は
格段に増えたけど
「呼吸するように食べる」
には程遠く
やっぱり食事にとらわれて
一生懸命に
食べるものを用意している
状態で3か月を過ごしました。
しかも子供たちには
いつもと変わらない食事を
用意していたので
料理の手間は
自分用の大量の野菜を刻む分、
むしろ増えていましたね。。。
そんなわけで
この3か月では
アナスタシアの神なる食事には
ほど遠い結果しか
得られませんでしたが
「主食」という幻想から
離れることが出来たのは
なかなかの成果でした。
他人にこの食事習慣の話をすると
大抵
「えっ、米?米は要るでしょ!!」
って反応をされるんですけど
ご飯こそは
自分でも意外なほど
全く食べたくならなかったんですよ。
小麦はアレルギーも多いし
小麦断ちする人は結構いるけど
米って何だか日本では
神格化されてるっていうか
絶対に悪く言ってはいけない
完全に善なる存在
みたいな扱いじゃないですか。
私だって
妊娠中は白米苦手になるけど
基本的には玄米も白米も
炊き込みご飯も
自分で作ったお稲荷も
カレーライスも
大好きだったんですよ。
むしろ、台湾人の夫が
元々全然米食べたがらないので
いつも私が
ご飯食え〜、米は大事よ〜って
言ってたくらい。。。
でもね、驚いたことに
今日から食べないんだなぁ
って思っただけで
全然食べたくならなかったし
実験期間の3か月が過ぎた今でも
食べたい気持ちは全く起きないので
まだ2回くらいしか食べてない。
1回は
子供のお昼ごはんに作った
ドライカレーが辛すぎて
残されたのを食べた
↓
意識が朦朧として異常に眠くなった。
2回目は
両親が近くのホテルに泊まりに来て
お土産のおはぎを1個食べ
夜は、よりにもよって
牛肉を3枚ほどと、ご飯を1杯
さらに日本酒を1合飲んだ
↓
翌日、前からある虫歯が
急激に膿んで死ぬほど痛んだ。
という事態になったので
肉はもう絶対あり得ないのはもちろん
米も基本的に食べません。
そして3か月の終盤には
スコーンが無性に食べたくなって
期間明け後に
しばらく毎日食べていたけど
それも満たされて落ち着きました。
今はたまに
パンや焼き菓子を
食べることはあって
(やっぱりめちゃ美味しい)
「全く食べない」が
「食べたくなったら食べてもいい」
という気持ちにったら
不安感がないのか
やたらめったら
ナッツや果物を食べなくても
一日のどこかで
パンとか焼き菓子を食べるかも
って思ってるだけで
食事量がぐ~んと減りました。
麺とかも
主食でがっつり食べるってことは
滅多に無いし
結局いまが一番
食事量は少ないです。
でも逆に言えば
1日一回小麦が入るだけで
摂る食材(野菜果物ナッツ)
の種類がグッと減る。。。
アナスタシアでは
年に数回
自分の土地で出来た穀物で
パンを作って食べるだけで
十分に肉体を健康に養える
とあったけれど
それくらい、穀物のエネルギーって
すごいんでしょうね。
しかし不思議なくらい
米は本当に
全然食べたくならない。
食べても美味しいとも思わない。
うちは水がめっちゃいいし
毎日精米して
土鍋で炊いてるので
泊まった人とかは
ご飯がめっちゃ美味しいと
言ってくれるんですよー。
でも、
私はもういいや〜としか思えない。
こんなに米食べなくていいなんて
一体、今まで何してたんだ、と
夢から覚めたような気分です。
米が美味しい
米は大事
米は日本人の心
って幻想だったんだ
というのが結論です。
実際問題として
肉も米も食べんでよかったら
暮らしはめっちゃ楽じゃない?
米食べないと
魚も自然と食べたくならんよ。
私も子どもたちには
普通に米も麺も食べさせてるし
美味しいなー
幸せやなー
って体験は
大人だって
全然選んでいいと思うから
食べたらダメだとか
食べない方がいいとも言わないけど
米が無くなったら大変、食料危機だ!
日本の崩壊だ!
と思いこんでるより
米って実は食べんでも全然困らんで〜
って体感伴って知ってるだけで
この世での自由度が増す。
野菜は米よりずっと簡単に育つし
野草なんて勝手に色々生えてくるし
米作りにかける労力って多大だけど
よくよく考えたら
何でそんなに
米にこだわらないといけないのか
誰もはっきり言わないよね?
米についてだけは
何故か、美しく曖昧で
幻想的な話になってない?
小麦とか肉、乳製品は
批判しても
まあそういう考えもあるよねー
って許されるのに
米だけは
ちょっとでも否定的に取り上げたら
めっちゃ怒られるみたいな。
でもみんな実は
習慣や思い込みで
中毒になって食べてるだけ
なんじゃないでしょうか。
と思うのは
赤ちゃんに離乳食を食べさせるとき
うちは4人とも
お粥ってのは嫌がって
食べたがらなかったんですよね。
日本では
離乳食🟰お粥ってイメージだけど
欧米では
赤ちゃんに米を食べさせるなんて
恐ろしい、危険だ
って認識らしいです。
しかも整体では
何を食べろとか
食べるなってのは
ほぼ言わないけど
赤ちゃんの補食に関しては
はちみつとかレバーとか
刺身とかも良しとするのに
米だけは
栄養吸収が悪くなるから
絶対に食べさせてはいけない
って言ってるんですよー。
それが、だんだんと
無くてはならないものと
思い込まされていくって
それ中毒化なのかも?
酒とかタバコも薬物も
それを欲するって気持ちは
本当に身体が必要として
欲しているというよりも
人間の身体の中で
最も騙されやすい器官である
脳の思い込みに過ぎないわけで
一度しばらく抜いてみれば
それがただの中毒症状で
あることが理解できるもの。
私はお茶中毒だから
毎年、2週間だけカフェイン抜くと
数日は酷い頭痛になってるけど
その期間を抜けて
お茶抜きで暮らしてると
何となく
頭の中が騒がしくない
静かな心地よさがあるのを知っています。
でも、やっぱりお茶に関しては
中毒と分かった上で
飲むことを選択し続けている。
積極的に好きなんですよ。
こういう嗜好品については
みんな理解できると思うんですが
「米」は日本人にとって
あまりにも当たり前になりすぎてて
まさかそれが中毒だなんて
思いつきもしないんですよね。
でもよく考えたら白米って
本当に白砂糖やコカインと
大差無いんじゃ・・・?
千日回峰行とか山伏の修行で
五穀断ちとかがありますが
それは禁欲が目的ではなく
たぶん、米を食べていると
・腹が減りやすく食事中毒になる
・疲れやすくなる
・意識が混濁して惚けるので
山の中では危険
などの弊害で
身が持たないんだと思います。
5月か6月にエンドゥさんが
米・小麦・砂糖断ちの動画を
公開されたときは
翌日、マドモアゼル愛先生が速攻で
米を擁護する動画を出されてたので
あ~こりゃ、米こそが
秘密の核心、本丸だわ
と逆にバレちゃった感じでしたが
あれから数か月を経て
何と、愛先生もついに
「うお座の幻想支配からの解放」
という文脈の中で
米というのは
人々に麻酔をかけ
幻想で支配するのに貢献したのでは・・・と
天皇、弥生稲作にも言及して
お話しされていました。
やっぱり神官の話に繋がってきますよね。
ジャニーズの問題だって
みんな、本当はうっすら知ってたのに
みんな、本当はうっすら知ってたのに
何故か視聴者もみんなで
そんなこと無いことにして
むしろ美しいものとして扱ってきた。
医療も、教育も、文化も
数えきれないくらい多くの
あれもこれも色々なことが
ぜーんぶぜーんぶそれと同じで
綺麗な言葉で
曖昧に誤魔化されて騙されていた。
だけど、
ここに来ていよいよ本当に
2000年の麻酔は切れてきたよ
そんな風に感じています。