その頃の岡山はと言うと、学生服の一大産地でした。

誰もが一度はお世話になった、トンボ・富士ヨット・カンコー・鳩サクラ・
スクールタイガーなど、学生服メーカーの多くは岡山市や倉敷市児島地区が
本社です。
戦前は10人兄弟とかも珍しくなかったのですが、戦後の日本は核家族化が
進んで子供は減少の一途した。
学生服の関連工場は仕事が減少しており、学生服に替わる次のビジネスとして、
CANTONの成功を見て、ジーンズに目をつけます。
学生服工場にとって、ジーンズは好都合の商品でした。
というのも、工業用ミシンは極薄地~極厚物まで様々な仕様があり、中身は
全く別物です。
ジーンズは学生服の極厚物の設備がそのまま転用できたのです。
児島で最初にジーンズを作ったのが、CANTONの下請け工場だったBIG JHON。
爆発的なジーンズ人気に支えられ、同社も大成功を収めます。
BIG JHONの成功に習い、児島地区ではBOBSONやBetty Smithなどのブランドが
続々と立ち上がり、極めて短期間のうちにジーンズの一大産地としての地盤を
築いてゆきます。
備州地区(福山・倉敷界隈)は元々が繊維産業の一大集積地ですし、伝統的な
藍染めの技術があったので、生地生産から洗い加工まで一環生産できるように
なるまで、そう時間はかかりませんでした。
時代は高度成長期。
物資に乏しい時代は終わりを告げ、作れば作っただけ売れたそうです。
メーカーの営業マンの仕事はショップに製品を売りに行く事でなく、現金を
握りしめて生地屋に生地を買い付けに行くのが仕事だったという話も
あるほど、活況を呈していたようです。
この時代、繊維産業が日本の基幹産業として最も光り輝いていたのかもしれません。
(続く)
3回目の次回はいよいよ最終回。
「CANTONの運命やいかに!」