聖地と起源は違う(1/3) | caqu-caqu日記

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おじいちゃん、おばあちゃんのタンスを覗くと、昔の洋服って本当によくできているし、いいもの持ってるなぁ、と思った事はありませんか?
サキュウは、自分の子供や孫から同じように感じてもらえるような洋服作りを目指して、日々がんばっています。

3月9日から3回シリーズでお送りするつもりでアップした大作、
「聖地と起源は違う その1」でしたが、震災により続きが頓挫
しておりました。

続きはまだか!という多数のリクエストは全くありませんが、
せっかく書きためておいたので、公開させて下さい。

さて、今回はおさらいの意味も込めて、第一回を再放送。


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ジーンズジーンズの聖地で有名なのは岡山県。
とりわけ、児島地区は全国的に有名な場所であり、もはやブランド。
確かに児島にはジーンズ工場が無数にあり、「聖地」で確定でしょう。

では「起源」となるとどうでしょうか。
諸説ありますが、日本で最初にジーンズを縫った工場はというと
私は群馬県伊勢崎市でのCANTON説を強く支持する一人です。

国産ジーンズの歴史は、1963年の繊維生地の輸入自由化をきっかけに
始まります。

前年の62年、若者のファッションとして定着しつつあったジーンズを日本で
製造できないかと、後に国産ジーンズの始祖となる鼻の利く人物達が続々と
動き始めます。
アメリカから中古ジーンズを輸入していた大石貿易の社長、大石哲夫氏も
その一人でした。
(以下敬称略)

しかし、当時の日本ではまだデニム生地を生産できる工場も、ジーンズ用の
強力なミシンもありません。

縫製の知識がない大石は、親交のあった埼玉県羽生市の高坂ミシンの社長、
高坂芳美に協力を依頼し、二人はミシンや生地・資材を買い付けにアメリカに
出向きます。

当時、世界最大のデニムメーカーと言えばコーンミルズ社でしたが、敗戦国の
東洋人は相手にされず、仕方なくキャントン社から生地を買い付けるのです。
(当時の日本は三流国で外貨規制も厳しく、先人達の苦労が偲ばれます。)

輸入したミシンを置いたのが、高坂と親交のあった伊勢崎市の渡辺縫製。
ここで日本で初めて渡辺千代子夫人がパターンを引き、縫製したサンプルが
国産ジーンズ第一号とされています。

翌63年、大石は生地メーカーの名前そのままの「CANTON」ブランドで
日本初の国産ジーンズを発売しました。

しかし、期待に反して全く売れません。

理由は、未洗いの固いゴワゴワの生デニムで売り出した事でした。

本場アメリカで新品と言えば生デニムが当たり前だったのですが、日本人は
米軍払い下げの古着しか見たことがなく、日本人にとってジーンズとは最初
から色褪せた柔らかいものがジーンズだったのです。

在庫の山を目の前に、はたとそれに気づいた大石は、自宅の洗濯機で
洗って柔らかくして売り出すと、一転大爆発。爆弾
瞬く間に全国に拡大し、生産が間に合わないほど、まさに飛ぶように売れ
始めたのです。



(続く)


2回目の次回は「そのころ岡山は」です。

お楽しみに!