主語が「時代」とか「社会」になった時ほど、自分事として考えていく | Yukikazu Kawagita ~Happiness!!~

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自身のミッションである「みんなが安心して生活できる場を提供する」に基づき、お互いが「ハピネス」になれる機会をブログを通して提供していこうと考えています。
よろしくお願いします。

私たちは、考えを論ずる時に、「時代」とか「社会」を主語にする場合があります。
でもよくよく考えてみると、主語の規模が大きくなればなるほど、自分事として捉えることができていない事実に気がつくと思います。

 

何かを考えて論ずる時には、それを自分自身ならどうしていくのかを論じていく必要があると考えます。
勿論、規模が大き過ぎる事は、自分一人では難しい事もあるかもしれません。
でも、まずは自分が行動を起こさなければ全ては始まりません。
「自分ならどう行動していくか」を考えるところから始めていきませんか。

 

今日もお読みいただきましてありがとうございます。

 

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