Blue Steel -3ページ目

さそりの毒

ユーノス・ロードスターに乗っていたころ、山梨県の山中湖近くに、「ギャラリー・アバルト」という博物館があり、そこに行こうという話しになった。




いまはもうなくなってしまったと聞いたが、そのころ出来たてで、とあるイタ車(痛い車ではない)きちがいの友人と、「行ってみたいね」ぐらいの話をしていた。




わりと、土日は混む行楽地ではあるので、水曜日が定休のおいらは、抜け駆けして一人で行ってみた。




愛するユーノスを駆り、しとしと雨の降る中中央道を西へ走った。




カーナビなぞないころ、住所を頼りにたどり着いた木立の中の洒落た外観。




平日ゆえに、ひとはいない。




ちょいと離れた駐車場に車を停め、恐る恐るメインゲートにやってきてみると、




はたして、券売機に明かりがついていた。




「ひといるのか?」




まだ腰の引けている様子で、券を買って、入場してみた。




中には、数十台の車が、奇麗に並べられ、どれもこれも、ライトの下美しく輝いていた。




おー!カッケー!




展示してあるものの、触れたり、もちろん乗ったりするわけでもなく、




ただたただ眺めるでけのために、この車たちは集められ、ここにいるようなのであった。




そのうち奥から、熊五郎みたいなひげを生やしたおっさんが、エプロンをつけて出てきた。




「いらっしゃいませ」




「こんにちは」




「なにかおのみになりますか?」




「え?」




なるほど、中央に大きなテーブルがあり、喫茶店よろしく、エスプレッソ 600円 とか書いたメニューみたいなのが置いてある。




なんだ、ただじゃないのね




要するにここは、美しい、または、かっこいい、もしくは、激しい、車たちを眺めながら、うっとりするために作られた空間なのだ。




「えと、じゃあエスプレッソを」




はい、というと、奥に消えていった熊五郎、10分くらいしたらデミタスカップ持って戻ってきた。




「どうぞ」




席を促すように、カップをテーブルのところに置くと、お盆をもったまま、傍らでにこにこ笑いながら立っている。




どうも、と言いながら、促されるまま席について、エスプレッソをすすった。




ちらっと見ると、まだ、熊五郎はにこにこしている。




「きれいですねえ」




「きれいでしょう?」




などと会話を始めたから、止まらない。




次から次へと車の説明が始まった。






ちなみに、ギャラリー・アバルトのアバルトというのは、ある時期、イタリアの、特にフィアットなんかの、




小さな車をチューニング(改造)して、レースを戦ったコンストラクターの名前である。




彼のチューニングは神がかっていて、60年代(かな?)当時、電気制御技術を駆使しないまま、エンジン出力を2倍くらいに高めることを普通にしていた。




もちろん、並みの技術ではない。




彼の腕前をして「アバルト・マジック」と世間に言わしめたほど、高度なチューニングを得意としていた。




彼の名は、レースフィールドだけでなく、市販される車にも、アバルトの名を冠したモデルが広く出回るようになった。




「アウトビアンキ」という名はしらなくても、「A112 アバルト」と言えばその車を指すことができるほど有名だ。




現在でも、アバルトの名を冠したモデルが出て、特別仕様となっているが、当然当時のような、ハイチューンがなされているわけではない。




かの、カルロ・アバルトはもうこの世にはいないのである。






で、まあ、そんなこんなで話まくっていると、そのA112 の話になった。




正確には、A112の話ではないのだが。




「ここから、そう遠くないところに、高原ガレージというのがあって、そこに、フィアット・パンダに、A112のアバルトユニットを積んだ車がある。」




やたら、速いらしい。




普通は、50馬力位のエンジンを積んだ、コンパクトカー(そのころは、そんなイメージしか持ち合わせない)。




その実、70馬力のアバルトユニットを積んだ化け物マシン。




何となく、目に浮かぶコミカルな、小さな四角い箱。




そいつが、富士スピードウェイのヘアピンに、前につんのめりそうになりながら突っ込んでくる姿が目に浮かんだ。




「アバルトのエンジン、言い音するんですよ」




音かあ。




確かに、おいらのユーノスにもスーパーメガホンが付いている。スーパーヘッダーも入れた。毒キノコもつけてみた。




でもねえ。




訴えかけてこないんだよなあ。




正直、慣れてしまったのかもしれない。




ユーノスは、とても良い車だ。




今でも、時々ほしくなる。




ただ、ここにきて、いままで経験したこともない「音」にたいする感性が働き始めた。




「あそこにある、モストロ(2000cc2ドアセダン、もともと1600ccくらいのファミリーカー、200馬力(!) “怪物”の意。RR)も、サーキット持ってくと、言い音するんですよ!」




熊五郎はうっとりしている。




うー!!なんだ!その音って!!




もんもんとしたまま、ミュージアムを後にする。




すると、今まで気付かなかったが、外の広場に、黄色いA110アルピーヌが止まっていた。




惜しげもなく雨に当たっている。




傍らに、建物の庇の陰で、アームチェアーにゆったりと深く腰掛けながら、パイプをふかしているおっさんがいた。




何もんだろう?




いぶかしみながら、目令してみると、にっこりしながら、頭を前に倒したようだった。




「きれいですね」




「今日入ってきたばかりでねえ」




「雨降ってるけど、もったいなくないですか?」




汚れるんじゃないかと、心配してみたのだが。




「いやあ、雨にぬれている姿もきれいだなあとおもってね」




ちょっと、感動した。




あとあと考えてみると、この人ミュージアムの館長であった。






続く

オープン・ツーシーター

学校を卒業して、働くようになると、ニートのあたしは小金が入るようになる。


大した働きもないのに、いっちょまえにボーナスまでもらえると、


学生時代のアルバイトのお金とは、ひと桁違う額が懐に入ってくる。


はたして、おいらは、自動車オーナーになるのである。


ユーノス・ロードスター


出たばかりのスポーツカー。


久しく、日本車に冠されることのなかった、純粋なスポーツカーだと思った。


スポーツカーの定義は、いろいろあると思うが、


当時のコマーシャル・コピーいわく。


「人馬一体」


これほど、この車を端的に表す言葉はなかった。


軽く、小さく、力もそこそこ。


なにより、この車は オープンカー だった。


風を感じ、エンジン音や、排気音が、ものすごく近く感じる。


気持ちよかった。


運転を終えた後のそう快感は、スポーツを終えた後のそれに似ているのかも知れない。


一応ローンを組んで、適当にお金を残しつつ乗っていたので、結構僕なりにいじったりもしたものだった。


ヘッダース、マフラーも自分で変えた。


オイル交換も自分でやったし。


アルミホイールも自分の好きなやつに変えたりした。


楽しかったし、それなりに満足もした。


その車との蜜月も5年を過ぎたころ、とある中古車屋の店先でえらく安いポンコツ(に見える)の小さなイタリア車に出会うのである。


ガムボールラリー3

話しを戻します。

と、いうわけで、学生の頃は車に夢中。

周りの友人たちも、車好きがいたもんだから、ある夏、とうとうキヤノンボールやろうぜ!ってことになった。

と、ある山の別荘目指して、下道使って、だれが一番早く辿り着けるか!?

もー、盛り上がった盛り上がった!
出走前にみんなテンションマックス!

映画をまねして、5分おきに走り出したりして。

しんがりはおいらだったんだけど、まあ、飛ばした飛ばした。

青梅街道、100キロオーバー

一応信号は守るってことで、安全にも何となく配慮したつもりになっていた。

途中で、先に出たやつを一台パスして、さらに興奮して、相模湖あたりまで、目を三角にしてぶっ飛ばした。

まあ、後悔は先にたたないとは良く言ったもので、そんなスピードで訓練を受けていないおいらは、ユッルーイ右上りカーブでスピン、クラッシュをやらかした。

あー思い出すのもおぞましい。

みんなの夏休みの楽しくない思い出の一ページを飾ってしまった。

くだらねえなあ。



しかし、おいらの車への情熱は衰えるどころか、さらに加熱し、熟成し、変な臭いを放ち始める。