学生の頃、高田馬場は
名画座天国で、東映パラス、早稲田松竹や
カーペットに座布団で空いてりゃ誰はばかる
ことなく寝転んで観れるACTミニシアター。
『ぴあ』だけは毎号買って
どこで何と何を(大抵は2本立て)やってるかは
ちゃんとアタマに入ってた。『カサブランカ』や
『ひまわり』から、アントニオーニの『欲望』とか
ゴダールの『勝手にしやがれ』。貪欲だった。
ただ『欲望』なんて
ヤードバーズの演奏シーン観たさに行って
ACTの座布団を枕に爆睡、なんてことも(-_-;)
次第に60年代のアメリカン・
ニュー・シネマへ。あの暗い、連綿たる
負け戦のドラマが本当に理解できていたか
まるで自信はないけど、自分がリアルタイムで
生きられなかった時代を、必死に追体験しようと
していたのかもしれない。
まあ、わかろうがわかるまいが
夢中でキャプテン・アメリカとビリーや
ボニーとクライドを追い続けた。まるで街の
顔役を訪ねて行って、その薫陶に授かるように。
いい天気だ。さあ今日は誰に。
雨か…うん『カッコーの巣の上で』でも
観て堕ちるか。とか何とか。あのしらけた
でも心優しき男たち、時々女、から学んだこと。
どんなカッコつけてても
男はカッコ悪いのだ。どんなカッコ悪くても
カッコつけなければ死んだほうがマシ。
武士は喰わねど高楊枝、だろう?
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