幸せな世界を耐え忍ぶ
むかしむかし、理想の幸せな生活としてこんな定義があった。曰く、
『イギリスの家に住んで、中国料理を食べ、アメリカ人の給与をもらい、日本人の奥さんをもらう』
もちろんこれは、世界がパックスアメリカーナと言われたアメリカ中心のおとぎ話のさなかにあり、先進国に繁栄が遍在した頃のことであり、当時はまだ大和撫子も現存していたらしい。
もっともこれには一方で、
『イギリスの飯を食って、中国人の給与をもらい、アメリカ人の嫁さんをもらって、日本の家に住む』
という最悪の裏返しのジョークがあったのだが。
(イギリスの飯のまずさはロンドン巡業の相撲取りがやせ細るほどだし、当時の中国は赤貧洗うが如しで、意固地でガミガミアメリカ女が手に負えないことは日本のオヤジと世界でも双璧を為すと言われるし、日本の家が今も昔もウサギ小屋なのは言うまでもない)
それから月日は流れ、現代の世界は、南北問題が是正されないままに格差と貧困問題ばかりがグローバリズムに乗ってあまねく広がってしまったし、そもそも物質的繁栄を基礎とする近代的幸福感も怪しくなっている。
そう、古い定義は見直されなければならない。
ちょうど、内閣府に設けられた幸福感研究プロジェクトでは現代の理想の暮らしのモデルを募集している。
いい定義が思い付かないのだが、たとえばこのようなものはどうだろう。
『アメリカ人のように借金して暮らし、勧められるままにファーストフードを食い、日本人のように日がなゲームをして暮らしつつ面倒な結婚はせず、
酒を飲んだらロシア人』
・・・単純な人生観は計れない微妙な改定案だ。これが幸せなのかどうかはわからないのだけれど、見ようによっては、案外幸せな人生かもしれない。
もっともわたしは御免だが。。。
偽酒の楽しみと悲しみ__ ワレ、ノンアルコールワインノ調合ニ成功セリ
酒飲みにとっては酒を飲まない日に何を飲むのかは、つねに悩ましい問題である。こういうと酒飲み仲間からは、真面目でないだの、考え方が軟弱だのと、あまり好意的には相手にされないのだが、酒飲みだからと言ってのべつ飲んでばかりいるわけにはいかないし、何より年とともにアルコールの分解能力は衰えるから、酒との距離感も進んで意識せざるを得なくなるものだ。
もちろん、世の中には代用酒だのノンアルコールの酒という分野が確立し、様々な商品が提供されてきた。つまり同じような悩みを持つ酒飲みが、いろいろ工夫してきた歴史があるのだ。
たとえばジンジャーエールだって元はと言えば代用シャンパンだった。
ご存じの通りノンアルコールビールなどは繰り返し商品化され、最近ではだいぶ本物に近づいたような気もすると言うのは酒飲み仲間の大方の意見である。
また、ノンアルコール代用酒はビールばかりではなく、ワインなどでも有名なブランドがあって、本物のワインに混ざってコンテストで入賞を果たすものもあったりする。でもこれはミス美人コンテストに混ざって、おカマが健闘するような妙な気配が感じないわけでもない。それは単なる酒のみのひがみなのかもしれないが。
だいたいノンアルコールワインなどというものは、ほとんどもう限りなくぶどうジュースであり、これを本物のワインだと思って飲むには、意図的に「ワインだワインだワインにそっくりだあ!」とか自己暗示を掛けないとやっておれんというようなものである。(それはなんのノンアルコール代用酒でもおなじだけれど)
ひょっとして高価なノンアルコールワインならもうちょっとましなのかもしれないが、ただのぶどうジュースに高価な金を払う気にはなれないから、これまでのところ私は知らぬし、これからも別に知りたくもない。
と、思ったところで、ワインに酢を入れるということを思いついたのだが、どうやらこれは世界各地の酒飲みもすでに実践していることらしい。何をどう調合するか、何のぶどうジュースに何の酢・ビネガーを入れるかもまたそれぞれのやり方がある。
そこで私が実践したのが、濃いめのぶどうジュースにこれまた濃いバナナ黒酢を入れるという組み合わせなのであるけれど、これはいい。よく分からないが、のどにキューっとくるところや口当たりの重さなど、いかにもアルコール飲料っぽい気分が味わえる。
もちろん酔いはしないのだが、自己暗示なしで気分が一瞬盛り上がるから不思議なものだ。さらに気が向いたら研究を進めてみようか、とも思う。何だかバカらしいような気がしないでもないけれど、休肝日はただ酒を休む日というだけではもったいないものだ。
花月夜、歩く
四月、仕事と宴会帰りの深夜、九段の靖国神社から千鳥ヶ淵のほとりを歩いた。このあたりは東京における桜の三大名所のひとつに数えられるところで、桜の名所というと聞こえはよいが、昼から夜遅くまで花見の乱痴気騒ぎが繰り広げられる酔客の名所でもある。
この日もすっかり遅くなって日付も変わってだいぶ経った靖国の境内は、すでに灯りも消えて、すえた酔っぱらいの残臭が漂ってはいたものの、あたりにはつかの間の静けさが戻ってきていた。
この九段のあたりは花見の名所でもあるが、江戸時代は月見の名所としても有名だったところで、九段の坂の上から眺める一月と七月の二十六夜の月光の中には三尊が現れると言われて、多くの人出で賑わったらしい。三尊とは阿弥陀、観音、勢至のことである。
もちろん、現代では月見の月を拝むような行事はなくなってしまっているのだが、信仰と救いを求めて月を拝んだ昔の人々と、つかの間日常の息苦しさを逃れて酔い騒いだ現代の人の心は結局のところ共通しているのかもしれない。いつも世の中は生きづらく、面倒と苦渋がつきまとう。
月見の参拝者は救いを得ただろうか、花見の酔客は憂さを忘れたろうか。
始終せわしなくやるべきこととに突き動かされ、あふれる情報に右往左往する私たちには、心を緩めるにも騒々しさに身を置くことで刹那の救いを求めてしまうことがある。もちろんこれも時にはあってもよいことことだが、騒々しさの去った屋外を歩いていると、私にはどうしても羽目を外した後の空しさばかりが心にひっかかってしまうのだった。
素朴な信心もなくし、絶えずアドレナリンを分泌して目標に突進することを是とする社会では、静謐な充実感など求めること自体無理なのだろうか。
とぼとぼと歩みを進め、すでに静けさの支配する九段の坂に沿って皇居の石垣の方を眺めると、かすんだ月が掘水に映り込み、足下には花見客のこぼした残り酒にも月が同じように映って光っていた。
なるほど広大な月の光ではあるが、海にも堀の水にも映るのと同様、道ばたの泥水にも草の露にも映り込む。
映り込んだ月に違いはないのなら、騒々しさに惑う私たちもまた静かに月を拝んだ古来の人と同様の静謐な充足を得ることができるとも言えるのだろうか。
うーむ、これは「人の悟りをうる、水に月の映るが如し」、というところかな。。。
などととりとめもないことを考えながら寂しい通りを歩いていると、たまたまタクシーが通りかかり、これを拾って私は、ようやく遅い帰路に就くことができた。
動き出したタクシーのバックシートで大きく息をついて、ふと振り返ると、窓にはかすんだ月と桜が混じりあうようにぼうっと映っていたのだった。
密林の王者
二月も半ばを過ぎて、梅もほころび始めた後に、雪や霙の降る寒い日が続いたところで風邪を引いて寝込んだ。いつもの関東の二月は、間が抜けたほどぽかんと冬晴れの日が続くことが多いのだが、今年は日の射さないぐずついた日が多かったせいか、私のまわりにも体調を崩す人が多かったようだ。
もちろん人間また自然の一部であるから、体調も気候の変化に伴って変動することも当然あるだろう。しかしなんだか私の場合、年を取ってくるにつれ、この気候と体調変動が足並みを揃えることが目立ってきたような気がする。
古来より人は年を取るにつれ、仕事や社会的な付き合いから距離を置き、俗界を離れて自由自然の中に心身を解き放ち悠遊と暮らすことを理想としてきたところがある。
するとこれは私にも年齢とともに自由自然に従うべきというお声掛かりがしてきたと言うことなのだろうか?
しかしながら実際のところ、まだまだ当分働かねばならないし、公私ともに毎日とんでもなく忙しいのではあるが、それでも忙中に天然自然の摂理にしたがうべき老いた先のことを考えねばならない段階というものもあるのかもしれぬ。
そうしてみると、まだまだ想像もしていなかったのだけれど、いずれ都会を離れた田舎暮らしや、晴耕雨読の生活のことなどもまぶたに浮かんできては自分には何のビジョンもないことににわかに不安になったりして、田舎への隠遁生活や老後の暮らしのことなどを家族と話をしてみたのである。
・・・山の中の一軒家で、畑にはあまり手のかからない果樹なんかを植えて、野山の散歩と読書、夜には質素な食事と酒の生活。。住むのは別に海辺でもいいし、森や林の中でもいい。あまり出歩かず、煩わしい人との接触も最小限にしたい。年を取ったらアマゾン生活かな・・・。
などと言ったところで不意に家族の猛反発を食らった。
「とんでもないそんなところ、行くのなら一人でどうぞ、あんたは何ことにつけ極端な人だが、とても付いてはいけない、勝手にしろ」と、大変な言われようである。
いったいどうしたことだ、そんなに街中がよいのかとよくよく聞いてみると、どうやら私が本当に田舎暮らしをしに南米のアマゾンに引っ越すつもりだと思ったということらしい。
私としてはアマゾン生活というのは、単に買い物などで街中に出かけることなく引っ込んだ田舎で通販でも利用した生活をしようと言うことだったのだけれど。
それが熱帯のアマゾン生活かあ、まあ年取って隠遁したら、密林の王者、老ターザンになるというのも悪くないかもしれないと思い、今のところ誤解はまだ放置したままなのである。
春への憧れ
曇り空の下、遅まきながら地元の氏神様への挨拶に回って境内から出ようとすると、ぱらぱらと頭上に降りかかるものがあった。
氷雨かと思ったのだが、これは細かいあられだった。
首をすくめて足早に歩くうちにあられはやんだものの、
今度は冷たい北風が頬に吹き付けてきた。
寒さの底にいるようなこの時期、自然とみんな身をすくめて春の訪れを待つ。
春になれば春が無条件に楽しめるかどうかはわからないが、
今はただ季節が早く過ぎて次の季節が巡り来るのを待っているのだろうか。
わたしたちは今を逃れて、やってくる未来に無条件に期待を寄せる。
とはいえ、時節の流れとは誰しも自分の時間を費やすことでしか
めぐり合うことができないものだから、
私たちは自らの生を少しずつ失い、死への階段を積み上げることでしか
巡る季節を愛でることができないものだ。
それは季節の移ろいを演じるものも、この恩恵にあずかるものにも
等しく割り当てられた対価である。
もちろん冬ばかりではなく今を生きることは、時に苦しみを伴うことではあるけれども
ともすると私たちは何とかこの苦い今を早くやり過ごそうとして、
当てのない未来を漠然と期待していることがある。
私たちは根拠のない期待を抱いては今でない未来に
ただ憧れることがあるのだろうか。
自分で手を下し、遂行できるのは、この今だけしかないというのに。
未来に歩みを進めることができるのは、
この今を失うことでしかできないというのに...。
限りある時も季節の移ろいも
楽しくもあり悲しくもあり
たそがれて
「黄昏(たそがれ)る」とは、もともとの意味は夕方日の暮れていくことなのだろうが、
そこから転じて、次第に年をとって衰えていくさまや、
停滞し落ちこんでいくさまを言うこともあり、
私などはまったく良い意味にはとらえていなかったのだが、
どうやら意味はそればかりではないらしい。
近年の使われ方としては、状況や精神状態が劣化することに伴う
負の意味ばかりではなくて、「たそがれた」がゆえの状態を肯定的に
とらえる場面があるようだ。
「何もない島で日がな一日ボーッとたそがれていたら幸せだよね・・・」などというと、
これはある種の心の動きに伴う幸福感とでもいえようか。
英文学者の加島祥造氏が心の働きについて、ハートとマインドの面から
面白いことを言っていた。
ハートもマインドもどちらも日本語では心や精神状態の働きのことだが、
マインドが合理的な判断によって利害を峻別し新たな価値を創造して行くような
社会的な営みにも有意義な精神活動であるのに対し、
ハートは善悪や正誤・損得のような二律背反的な価値とは無縁の、
愛情や思いやり、幸福を感じる心の動きであるというのである。
してみると、「たそがれる」ことが肯定的にとらえられるというのは、
社会的な取り組みを推進するような「マインドの活動がたそがれた」その結果、
社会的には役立たずなハートの働きが前面に出て、本人はゆるゆるとした
安心平穏と充実に満たされてくると言うようなことなのかもしれない。
確かにいつも忙しく利益やスケジュールを追いかけるマインドの働きばかりが
前面に出ていたら、
夕日を眺めて過ごすような1円にもならない素朴な幸せを感じるハートの出番は
ないだろう。
私もよくマインド優先になって、忙しさの中にむやみに大きな欠乏を感じることが
よくある。
そんなときはたそがれようか、たそがれてみようか。
この不況下で社会的には、バランスを欠いてやくたたずの幸福ばかりを求めるのは
あまりに無謀なことかもしれないが、忙しさの向こうに出会うのは、
目尻をつり上げたマインドと利得ばかりではなく、
たっぷりふかふかのハートと幸福でありたいものだ。
*
おまけ (たそがれ映画の傑作:「めがね 」2007年)
年の初めのご挨拶
あけましておめでとうございます。
今年一年が穏やかで、希望が実りとして手応えをつかめる年となりますように
お祈りいたします。
太平洋側はおおむね穏やかな一年のスタートとなりましたが、
日本海側は年末から続く大雪で交通機関も混乱し、生活にも
初詣や帰省の足にも支障が出るほどのところもあるようです。
雪とはあまり縁のない地方の人にとっては、降雪は珍しい
何か素敵なことのように考えがちですが、
雪の地方の人にとっては単なる冬の厄介ものだったりするわけで、
雪のために費やされる労苦は想像を絶する大変なものです。
大雪と向き合う生活を余儀なくされた皆様には心よりお見舞い申し上げます。
こんな年初の大雪の報せを聞くと、わたしは因幡の国司だった
大伴家持が詠んだ歌を思い出します。
家持は今年一年が今日降る雪のように良いことがたくさんありますようにと、
正月から盛大に降る雪を祝福としています。
新しき年の初めの初春の 今日降る雪のいや重け吉事
あたらしきとしのはじめのはつはるの きょうふるゆきのいやしけよごと
年初から日本にやってきた大雪のように、
どうか皆様に良いことがたくさんある年でありますように。
立冬
早朝、冷え込んだ空気を切り裂くようにして走る電車に乗って
川を渡るときにふと窓から見える天地の色がまったく
変わってしまっていることに気がついた。
渋色になってきたと思った木の葉はすでに地面に落ちて
空には線状に群れを成す鳥の群れが移動していた。
鏡のような川は、まだ明けやらず晴れとも曇りとも
つかない空を水面に映しこんで、ひたすら静かだった。
いつの間に秋はこんなにも過ぎてしまったのか?、
誰にというわけでもなく、思わず私はと問わずにはおられなかった。
日々仕事は忙しく、行き帰りの電車も情報収集と勉強に追われる毎日で、
顔を伏せて本を読んでいる間に窓の景色ばかりか
季節までも移り過ぎ、時はすでに立冬に至っていたのだ。
草もなくあらわになった地面には冷たい露が降りていたが、
一枚の薄衣をまとうように霜で被われるのももう間もなくのことだろう。
*
私たちは時代のうねりと世の中に流されては、ただ日々溺れまいともがくだけの
卑小な存在ではあるが、人工的な管理の優先する都市部にあってさえも
自然の大きな営みの中で生かされるとともに、まずは自分自身がその大きな
自然の一部で在ることは時々折に触れては思い出してみたい。
葉は褪せて地に還り、空に群鳥あり。
樹も土も被くものなく、水面も静に天を映す。
借問す、何時の間にか秋は過ぎしかと。時正に立冬に至れり。
露は凄として、朝には霜一枚の薄衣を纏わん。
都会に残る風土性
先日、用があって東京人形町のオフィスに出かけた折、ふと思いだして首相の似顔絵を焼き込んだせんべいを売る店に立ち寄ってみた。
首相の顔は鳩山さんになっていたが、客の応対をする姐さんたちは相変わらずで、世間話のついでに首相せんべいの売れ行きなどを聞いてみると、以前人気のあった小泉首相の時よりも今の鳩山さんの売れ行きが良いとのことだった。
ここは都心に程近いところではあるが、オフィスや全国チェーンの店に虫食いにされながらも昔ながらの味のある小さな商店が軒を並べる東京の下町で、待ち歩きついでの買い物にもそれぞれの店の人と交わす時間にも、かつての日本的人情と風情が息づいている。
大規模なショッピングセンターよりもこちらが落ち着くような気がするのは年のせいだろうか・・。
そもそも私の東京における田舎は千代田区の飯田橋というところで、古くはあまり身分の高くない武家の屋敷が並んでいたらしいが、当時は住宅地に行商人宿屋や小さな個人商店の点在するなかに、企業ビルや誰が住んでいるのかわからないマンションが入り混じり始めてきたころのことだった。
住んでいたのは皇居の外堀をはさんで新宿区との区界に近いところで、お堀にかかる牛込橋を渡ればすぐに神楽坂下に至り、日常の買い物などはこちらに出かけることが多かった。
神楽坂というところは今でこそタワーマンションがそびえ、おしゃれな飲食店が立ち並んでいるが、当時は高度に開発の進んだ都下にあって、黒い板塀で仕切られた小路に古い芸者置屋や料亭だの、さらには連れ込み宿屋(何と言う古い言い回し!)などが寄り集まった旧態依然とした歓楽飲食街で、ぽつりと時代に取り残された古い日本の商業コミュニティーだった。
もちろんいまでも芸者新道だのかくれんぼ小路だの狭い路地や、一部の店は残っていて、東京最後のワンダーランド的な扱いをされてメディアに紹介される機会は増えたし、神楽坂散歩ツアーなどと称した集団がやってくることも珍しくない。
昔ながらの商店街には人を惹きつける何かがあるのだろう。
買い物は郊外大規模ショッピングセンターやチェーン店で済ませるのは便利だし、きらやかな流行の店の揃った中を闊歩することには気分の高揚を覚えるかもしれないが、どうやら人はそれだけでは飽き足らなくなったのかもしれない。
この傾向が近年さらに顕著になったような気がする。
ここ1年、全国チェーンの流通グループによる大規模ショッピングモールの出店計画のつまづきや見直しが伝えられるのを目にするようになたのも、この風潮と無縁ではあるまい。
これからも私は都内に残る古めかしい商店街に出かけることだろうが、残念なことに地方にはこれが残っていない。
’90年頃から顕著になった生活店舗の郊外化と大規模チェーン、ショッピングモールの波に洗われたあとにあるのは、街の中心部に並ぶ荒廃したシャッター街や、車での通過を前提にした道路端に立ち並ぶカラオケボックスとパチンコ屋、ファミレスが点在する全国の郊外に共通する光景である。
味のある個人商店の並ぶ地域の生活コミュニティーは地方ではどこもほとんど絶滅寸前だ。
私の今の実家は地方都市にあるが、帰省して大規模郊外店舗の散在する産業道路を車で走っても、東京のはずれの無機質な眺めとさして印象は変わらなくなった。
だからなのだろう、私も帰省するのに心ときめかなくなったのは。
これは日本全国が良くも悪くも同質化が進んだということなのだろうが、田舎道に大規模チェーン店がポツリポツリとあって、東京でも田舎でも同じ服、同じ食品、同じサービスが受けられるようにはなったものの、地域商店のコミュニティーはなくなってしまった。
皮肉なことだが、いまだに大都会とその周辺にだけはそれぞれの地域特有の独特の雰囲気を醸す田舎じみた零細商店街が残っている。
昨今は地方分権の議論が盛んで、地域の独自性を目標に掲げる動きも目立つが、
なんでも東京と同じにしようとしては、引き継ぐべき伝統を滅ぼして、均質化してしまって昔の田舎が滅んでしまった今となっては、各地域は昔ながらの風土性ではない、新しい独自の個性を創造しなければならない立場に立たされているともいえる。
いったい時代はどんな未来に向かっているのだろうか。
地方は実に難しい選択をしているのだ。





